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絵を描くのが大好きだった少年が、観音経の絵本を作るまでのお話

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わたくし、神仏絵師・昌克の自伝です。
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01_序

昭和38年(1963年)。翌年に東京五輪を控え、7年後には大阪万博を迎えるという夏。その子供は、東大阪市の下町で生まれた。
さほど、体は丈夫とは言えなかったそうだが、とりあえずはすくすくと育ち、地元の幼稚園・菊組に通うこととなった。
幼稚園では、活発な子供だったようだが、何より「お絵描き」が大好きだった。こんな逸話がある。
幼稚園で、1mくらいの角材に絵を貼り付けただけの人形劇があった。その絵を園

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02_目醒め

02_目醒め

さて、とりあえずは、すくすくと育った少年ですが、幼稚園生であった彼を虜にしたのが「万国博覧会」でした。当時は、大阪万博を前にして、建築中のパビリオンのニュースにワクワクしていました。中でも彼のお気に入りは、岡本太郎氏の「太陽の塔」でした。当時は、白い紙を見つけては、太陽の塔を描いていたのです。覚えてるのは、幼稚園で作った絵皿に「太陽の塔を中心に、その左右にソ連館とみどり館を描く」というレイアウトま

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03_覚醒

03_覚醒

絵に目覚めた少年は、おそらく小学校への入学祝いであったであろう「原色学習図解百科・全10巻(ネットで調べると出てくるもんだね)」が愛読書であった。
しかし、文字通り百科事典なので、その内容は、すべてアイウエオ順でした。それでも、普通の百科事典と違って、紙面の半分くらいは、写真や図説だったため、興味が湧いたものを、熱心に読みふけっておりました。少年にとって、その本の中にある情報は、普段、自分の目に見

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04_邂逅

04_邂逅

少年には、二人の恩師がいた。
一人は、東大阪市の荒川小学校で、四年生の時の担任だった川見先生。もう一人は、俊徳中学校の美術の岩本先生。こちらは、後日紹介。

川見先生は、とてもユニークな先生で、教科書はほとんど使わず、オリジナルのガリ版印刷で作ったプリントが教材だった。学級新聞も面白く、とにかく創作・表現することの面白さを実践してくれました。とにかくこの先生は、生徒のすることに肯定的で、それは少年

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05_脇道

05_脇道

少年は、胃腸が弱かった。そのために大きい方のお漏らしが頻回だった。
それは、小学校高学年まで続いたのです。
ちなみにどれくらい頻回だと言うと、なんと1学期に1回程度のペースで漏らしていたのです!。
小学生の頃と言えば、大きい方のトイレに入るところを見られただけで、大事件になるくらいです。それが、授業中に大きい方を漏らしてしまうとなれば、大事件どころか、人生が終わるような大惨事です。しかも、それを年

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06_脱皮

06_脱皮

少年の通っていた小学校では、図画工作の授業で生徒の描いた絵の中から、優秀な作品を学校のエントランスに貼り出すという名誉なことがあった。これは、全校生徒を対象にしたもので、入学して以来、少年は、その常連でした。
しかし、学年が上がるごとに、少年の作品が選ばれる回数が減ってきたのです。絵には、自信があった少年は、焦りました。なぜ、自分のが選ばれないのか。少年は、選ばれてる作品を観察し、その傾向を研究し

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07_道形

07_道形

少年は、いよいよ中学生になる。ほとんどの同級生が同じ小学校からの入学だった。そうう意味では、なんの変化もなかったのだが、なんと少年は野球部に入った。
ここまで書いてなかったが、文化系かと思いきや、意外とこの少年は、運動神経が良かったのです。
しかし、さすが練習はハードでした。一年生は基礎練習ばかりなので、無理はありません。しかも、野球部に在籍中は、硬球と準硬球(トップボール)しか、使ってはいけなく

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08_特選

08_特選

全国政令指定都市美術展で「特選」に選ばれた少年に届いたのは、賞状と記念バッジだった。賞状はともかく、このバッジは、しっかり鋳造されたもので、結構自慢できるものでした。ちなみに政令指定都市と言うのが、なんなのかを知ったのは、かなり後のこと。
まずは、その絵(版画)が、どんな絵だったかと言うと、そこには三つのグローブが並んでた。真ん中に普通のグローブ。左右にキャッチャーミットとファーストミット。背景は

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09_決意

09_決意

少年は、その美術展で特選に選ばれた事で、好きなことが認められたのだった。
当の本人は、さほどそのことを意識していなかったかもしれないが、おそらく自分には、コレがあると言う自信となり、自己肯定感が確立されたのでしょう。しかし、これが後に彼の人生に大きな影響を与え、様々な悲喜劇を起こすことになったのは、まだ先の話。

そう言えば、少年が最も嬉しかったプレゼントに「模造紙のロール(縦が約1m、長さは約2

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10_反抗

10_反抗

中学2年生になり、思春期を迎えた少年には、当たり前のように反抗期が訪れた。しかし、その反抗の相手は、全人類と言う途方もない相手だった。1970年代も後半に差し掛かると、高度経済成長時代が終わり、公害や環境破壊と言ったその弊害が表面化し、動物や昆虫をリスペクトしていた少年には、全人類を敵に回すだけの理由があったのです。この時期に彼の「人間への嫌悪感・不信感」は、形成されていったと思われます。
そこに

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