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10_反抗

中学2年生になり、思春期を迎えた少年には、当たり前のように反抗期が訪れた。しかし、その反抗の相手は、全人類と言う途方もない相手だった。1970年代も後半に差し掛かると、高度経済成長時代が終わり、公害や環境破壊と言ったその弊害が表面化し、動物や昆虫をリスペクトしていた少年には、全人類を敵に回すだけの理由があったのです。この時期に彼の「人間への嫌悪感・不信感」は、形成されていったと思われます。
そこにスッポリはまったのが、フォークソングや、洋楽でした。反戦・反体制へのメッセージが、彼の心を掴んだのです。特に衝撃を受けたのがイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」でした。フォークギターを始めた少年は、あのイントロを大練習したのでした。しかし同時に、アバのダンシングクイーンもヒットし、まさに古いもの【ロック】と新しいもの【ディスコミュージック】が鬩ぎ合う端境期にあったのでした。そして少年は、【ロック】を選んだのでした。その後も、作詞をしたりと音楽へと表現の幅を広げるのでした。

一方で、軍艦のプラモデル(ウオーターラインシリーズ)を作り、海上のジオラマを作ったりなど、創作意欲も旺盛でした。ちなみに彼が軍艦を好きになった理由は、そのデザインでした。特に日本の戦艦の美しさは、海外の軍艦の比ではありません。その城郭にも似た艦橋部分に、心を奪われたのでした。戦車や、戦闘機も美しいものが好きだったようですが、戦艦は格別の思いがあったようです。
それは、小学生の頃に作った平等院や、多宝塔、姫路城などの建築物プラモデルが好きだったことと同じ理由だったのでしょう。

とにかく家に引きこもることが多くなった少年は、ラジオもよく聞きました。
面白いのは、深夜ラジオは、子供っぽくてあまり好きではなく、それよりも、永六輔氏のラジオが好きでした。反体制志向は、ここでも更に培われたのでしょうか。

いずれにしても1980年代を前に、インベーダーゲームが流行りだした頃で、多くの友人がそちらへ流れる中、彼は、黙々と引きこもっていたのでした。

どうやら自分は、みんなとは違うことに気付きながら。

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