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06_脱皮

少年の通っていた小学校では、図画工作の授業で生徒の描いた絵の中から、優秀な作品を学校のエントランスに貼り出すという名誉なことがあった。これは、全校生徒を対象にしたもので、入学して以来、少年は、その常連でした。
しかし、学年が上がるごとに、少年の作品が選ばれる回数が減ってきたのです。絵には、自信があった少年は、焦りました。なぜ、自分のが選ばれないのか。少年は、選ばれてる作品を観察し、その傾向を研究しました。そして、気付いたのは「絵画教室」の存在でした。選ばれてる作品そのものよりも、作者に着目した少年が導き出した答えでした。

さあ、ここで皆さんならどうしますか? 自分も通いたいと親に言う? あきらめる?

少年がとった行動は「真似る」でした。とにかく自分よりうまいと評価されてる作品に負けたくない。よく見て気づいたのは「絵画教室」で学んでる連中の絵は、俯瞰で見てることに気づいたのです。
実は、独学でしか絵を描いてこなかった少年は、その対象を正面・上面という視点から見ることが当たり前となっていたのです。これは、少年の愛読書が「百科事典」ということに由来していたに違いありません。しかし、それ以上に「シンメトリー」と言う構造に美学を感じていたのです。

とにかく、もっと上手くなりたいと、真似ることを平気で受け入れたものの、これも独学だったため、あくまでも自分らしさは損なわずに済みました。その結果、彼の絵は大きく進歩しました。
ここに当時の絵が残ってればいいのですが、さすがにありません。しかし、6年生の頃に描いた「雪の四天王寺」は、大胆さと緻密さが見事にミックスされた作品でした。そしてその作品は、再び堂々とエントランスに貼りだされたのでした。

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