01_序

昭和38年(1963年)。翌年に東京五輪を控え、7年後には大阪万博を迎えるという夏。その子供は、東大阪市の下町で生まれた。
さほど、体は丈夫とは言えなかったそうだが、とりあえずはすくすくと育ち、地元の幼稚園・菊組に通うこととなった。
幼稚園では、活発な子供だったようだが、何より「お絵描き」が大好きだった。こんな逸話がある。
幼稚園で、1mくらいの角材に絵を貼り付けただけの人形劇があった。その絵を園児たちが描くのだが、ほとんどの園児は、先生に手伝ってもらって作っていた。その中に一人、先生に手伝わせず、自分で描き上げようとする子供がいた。実は、絵の大きさは、自分の身長ほどもある。園児一人で描き切れるものではない。しかし、彼は、困っている先生を気にとめることもなく、一人で描き上げた。外は、すっかり暗くなり、一人では帰れない。
親が迎えにきたのか、先生が送ってくれたのか覚えていない。とにかく満足で家路についたのだった。
すっかり大人になった数年後、その劇の写真を見る機会があった。そこに写っていた「黄色い鹿」は、紛れまなく、満足げに踊っていた。

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