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#エッセイ
自分がどうしたいかより周りにどう思われるかが重要。両親が教師だったからなのか、まだ人生のうんと初めの頃、何かできれば「先生の子だから」、できないと「先生の子なのに」、言われていた。心の中で反発しながらもいい子を演じていた。その方が楽だったから。そろそろそんな自分を解放しよう。
「あなたはどうして人にへつらうんだ?」と夫。そんなつもりはないけれど相手に強く出られると言い返せない。何を言ってもいい人だと思われがちなのかいわれのない攻撃を受ける。今朝も突然の攻撃。言い返せないまモヤモヤ。大きな声と攻撃的な物言いは苦手だ。不快なことは不快と言える強さが欲しい。
歳をとってから家を探すハードル。都内で一軒家を探すと細長い敷地に3階建。多くの場合寝室は3階になるのだが、トイレは2階。夜中に目を覚ますことが多い高齢者にとって危険。家の管理や歳をとってから知らない土地で暮らすのは億劫だろうと選択肢から外れた。都内広めの2階建庭付き一軒家は夢ね。
白内障手術後、のぞいた鏡に映った自分の顔、シワとシミにかなりショック。よく見えるようになるのも良し悪し。焦って、ネットでシワ、シミ用の化粧品を見たり、パックしてみたり、悪あがき中。手術しても私は私。新しい自分に生まれ変わるなんてことはやっぱりないのね。
白内障の手術をしたことを忘れ、つい鼻のあたりに手をやりメガネを探している
こんにちは。ご機嫌よう。
白内障の手術からはや3日。とりあえず手元は見えるので、メガネがなくても家の中ではなんとか生活ができている。
これまでもう何十年もメガネと共に生活してきた。
朝起きればすぐにメガネをかけ、下手すれば寝るときもかけたままなんていうこともよくあった。
なのに、メガネがない!
手術後なので1日4回の点眼が必要なのだが、目薬をさすときについメガネを外そうとしてしまう。
長
お財布の中の小銭がはっきり見えるのがこんなにうれしいなんて。白内障手術をした。
2日連続。白内障の手術を受けた。
実はこの2年ほど、メガネで視力の矯正ができなくなっていた。
物書きという仕事柄、パソコンの文字が見づらいことは致命傷だ。
地元の目医者さんから大学病院へ紹介状をもらい、
考えられる検査をしたけれど、これといった原因が見つからないまま、
様子を見ながら約1年。
白内障というには本当に軽度だけれど、
白内障は自分が不自由だと思ったときが「手術のしどきだと言うよ」
このドクター、信頼できるかも
大した病気ではないけれど、目の手術をすることになった。
近所の眼科から紹介されて行った大学病院。若い医師が担当になった。
「紹介状を持って来たのに、偉い先生は見てくれないんだ」と、ちょっと思ったのは本当。「この先生の診断で大丈夫?」と不安が頭をかすめたのも本当。
でも、手術をすることに決めて、「この先生信頼できるかも」と思えるようになった。
本を読んだり、ネットで調べたりして身につけた素人の
昨日の朝刊に掲載されていた広告。育毛剤、シワ改善ジェル。膝腰肩の痛み用のサプリ。あったか楽チンパンツ。ツバメの巣美容液。老人ホーム。老後の住み替え。ノコギリヤシ。明らかに高齢者向け。買いたいものが見つからない。新聞を手に取った時の感触は好きだけど、そろそろ止めてもいいかな。
電気製品って一つ壊れると次から次へと壊れる。人も同じ。血圧が上がり、歯、目、次々と。歳をとるってそういうこと。まだまだ余裕のある生活はほど遠い。
いつも自分の方が年下だと思っているが、実際は自分より年上の人にはそうそう合わない。私の精神年齢が低すぎるのか。若作りなのか。●●は死ななきゃ治らない。って。相変わらず思い立ってnote ^ ^