三流絵師 一話 【短編恋愛小説】


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

あらすじ

有名美大出身の里見円(さとみえん)は、日本代表の芸術家になりつつあった。稀代の天才明野星(あけのほし)が現れるまでは。
明野星に敗れ荒れ狂った里見は、強く思うのだった。
「明野星を殺したい。こいつが死ねば、自分はもっと先を見られるのに」
負けたショックから、いつもの店で飲み潰れていると、見知らぬ男に声をかけられる。
妙に気が合うこの男に、里見は言われるがまま着いて行ってしまい・・。

二話 https://note.com/major_akifuyu115/n/n0f43533a2973

三話 https://note.com/major_akifuyu115/n/nb6605c8959e5

四話 https://note.com/major_akifuyu115/n/nce9af0ac1877

五話 https://note.com/major_akifuyu115/n/n821359e8023a

六話 https://note.com/major_akifuyu115/n/n78514a0d75c8

七話 https://note.com/major_akifuyu115/n/n84bbfc6a20f7

八話 https://note.com/major_akifuyu115/n/nf451f8b2e1f1

九話 https://note.com/major_akifuyu115/n/n87b849ad1e4b

十話 https://note.com/major_akifuyu115/n/n448d006f584d

十一話 https://note.com/major_akifuyu115/n/nf2bd8bf662a7


一話

「ふざけるな!」
絵の具はひっくり返り、容器は粉砕されている。まるで廃墟のような光景に、アトリエの連中は揃って入り口付近に避難していた。
ちょうど工房の真ん中で怒鳴りながら暴れているのが里見円。
彼女は髪を振り乱しながら、絵の具塗れの白いシャツをくしゃくしゃにして叫んでいた。

ここまでくると、誰にも手が付けられなくなる。
季節は秋。イタリアで開催される芸術祭、国際芸術博覧会の代表が決まる時期だ。
毎年、彼女は代表に選ばれず工房を破壊する。

毎度の光景であるためか、関係者共々迅速な対応を見せてくれていた。
誰一人として彼女を宥めない。いくら慰めても無意味である。
紛争地帯に救世主が訪れるまでこの状態は続くのだ。

「やめなよ、里見君。毎度のことながらよく暴れるね、君は」
その救世主が現れると、みんな待っていましたとばかりに道を開ける。それは口ひげを蓄えた老紳士だった。微かに絵の具のついた右手が見える。
「先生・・」

里見は一瞬動きを止めると、剛速球に変換する予定だったパレットナイフを床へ投げた。
落ち着きを見せたものの、瞳孔は開きっぱなしで荒い息が漏れている。

「やはり今回の結果には納得がいきません。品評会の老害共は頭に画材でも詰まっているのかと」
「君の絵は素晴らしかった」
「だったらなぜ?」
再び爆発寸前の彼女に臆さず、先生は静かに続けた。
「ただ彼の絵が選ばれただけだ。作品に良し悪しをつけるのはよくないことだよ。君の絵も彼の絵も素晴らしい」
「そんなことわかっている!選ばれない、誰の目にも触れない作品なんて意味がない!作品は選ばれなければゴミと同じです」

彼女にとってこれが五回目の挑戦だった。国内でトップの帝都芸術大学を首席で卒業し、芸術家として生きてきた。在学中から国際芸術博覧会代表候補として名前があがっていた。
彼女は天才だった。日本の芸術を背負い、これから世界的に有名な画家になるだろう。
誰もが思っていた。もう一人天才が現れるまでは。

明野星。芸大を出たわけでもない。何か過去に作品を残したわけでもない。
流星のように現れ、芸術界に衝撃を与えた。明野が現れてから一瞬だった。気づけば明野、明野ともてはやされ、今では日本代表の称号を与えられている。里見はこの状況が面白くなかった。明野を殺してやりたいとさえ思う程に。いつのまにか絵を描く喜びを忘れ、大衆に媚びるような作品を創っていた。自分の持つ世界を無視し、その美しさを伝えることを忘れ、憎悪で動く亡霊のようになっていた。

そんな芸術が誰かに評価されることなどなく、ますます里見は評判を落とした。
里見の前にはいつも明野がいた。
後ろから明野の首を刎ねてやりたい。明野の首をもぎ取れば、その先の景色が見えるかもしれない。嫉妬心は露骨に彼女を不安定にしていった。
がたがたと怒りで震えだす里見。今の彼女に何を言っても無駄だと悟ったのか、先生は深くかぶっていた帽子を取るとただこう言った。

「今度、明野君の個展が開かれる。いってきなさい」
「は?」
「君は明野君の絵を直接見たことがないだろう。見たら自分のコンディションに影響が出るとでも思ったのかな?それはそれでいいが、大切なのは敵を知ることだよ?」

里見は極力、自分の精神状態をクリアに保つため他の芸術家と交流を持たない。
作品に影響されるのを嫌っていた。明野の作品は、街中の書店で売っていた画集でちらりと見ただけで、じっくりと見たことなど一度もなかった。
「行ってごらん。君の中で明野星を見る目が変わるかもしれないよ」
先生の言葉に里見は何も言えなくなった。まだ怒っている里見に先生は笑いながらチケットを渡す。明野星の個展のものだった。
「あんた私の話を聞いていましたか?明野星が選ばれたことに納得がいかないと・・」
「彼が選ばれた理由がそこにあるから」
半ば強引にチケットを押し付ける先生。里見には何故かそれを無下に破り捨てる気力などなかった。
「じゃあ、私はこれで」
チケットを持って呆然としている里見を見ると、先生はゆっくりと会釈して、扉から出て行った。あまりにも流れるように出て行ったせいか、里見はうまく反応できなかった。
残された彼女は手の中のチケットをゆっくりと絵の具塗れのテーブルに置くと、直ぐに絵の具の掃除を始める。ちょっと頭が冷えた。
大人しくなった彼女を見てほっとした人々は、持ち場に戻って行った。里見の絵を習いたいと押しかけた美大生の彼らは、里見の激しさから芸術の厳しさを知るのであった。


東京芸術博物館。明野星~新星の描く世界~などと書いた旗がそこら中に立てかけてある。
大暴れ事件からだいぶ落ち着いたものの、里見は相変わらず機嫌が悪かった。
入り口で手に取ったパンフレットには、今回の作品の製作年月日と配置場所が記されている。小さく作品の写真が載っており、里見は思わず目を背けた。
敵陣に単騎で突っ込む武将の気分である。どんなものか見てやろうという気持ちと、しょうもない作品を並べようものなら嘲笑ってやろうという気持ちが入り混じる。
自分を破った怨敵は果たしてどんな雄姿を見せてくれるのだろうか。

明野星展は大盛況で、老若男女が集っていた。里見は一般での参加なため、長い行列の中、人ごみに紛れながらの鑑賞になる。
壁には作品の保護のためか、暗い色の布が張り付けられていた。小さな照明が配置されている。
ゆっくり行列に続いて角を曲がる。そこからが作品ゾーンだ。
確かはじめは明野のデビュー当初の作品が展示されている。
心臓が早鐘のように鳴り出した。このまま明野の作品を見て、自分が敵わないと悟ったらどうしよう。自分をここまで追い詰めた相手の作品を直視しなくてはならない。
入場したのはいいが、ここに来て震えが止まらなくなった。
怒りか、恐れか。
様々な感情がもみくちゃに里見を揺さぶる。面を上げれば、自分は死ぬ。
自分の価値観も存在する意味も砕いて捨ててしまうような、人を殺しに来る絵を。
里見は観なくてはならない。敵を知りなさいという先生の言葉が後押しし、里見は静かに絵を観た。

だが、溢れた感情は敗北感でも恐怖でもなかった。
大衆に揉まれながら目にしたものは、ただ一つ。明野星が作りだした世界だった。
他の芸術家を顧みず、ただそこに自分の世界を見てほしいという願いがあった。世界を見に来てくれた人々への感謝があった。
そこにある絵は里見を引きずり込んだ。こちらに行けば楽しいものがある。一緒に世界を共有しよう、一緒に遊ぼうと呼びかけられ、ついて行ってしまった。
良いも悪いも全てのみ込む。
こいつの主張はあまりにも強い。
里見は呆然としながらも、形容しがたい心地よさに浸っていた。こんなにも楽しい。明野の絵はこんなにも優しい。この世界を里見と大衆は共有している。みんな一つになってこの世界を愛でている。これが「魅了された」というのならば、それでもいいと思えた。

しかし床へ目線を戻し、絵の具塗れの自分の靴を見た時。
ぐっと現実が襲い掛かる。催眠が解けた。そして残ったのは確実な敗北感。里見はもう一度顔を上げた。彼の絵がみるみるぼやけていく。目玉が融けるかと思うくらいに揺らぎ始めた。
大粒の涙を流しながら、里見は行列から離れた。嗚咽を抑え、他の客を押しのけながら入り口まで戻った。泣きながら彼女は逆方向へ全速力で走った。
彼の作品を一瞬でも称賛した自分が悔しかった。そして先生の言う選ばれた理由が一作品目から滲み出ていた。
勝てない。どうにも勝てない。明野星を殺したい。






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