三流絵師 二話 【短編恋愛小説】


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

二話

東京芸術博物館からそれほど遠く離れていない飲食店にて。
明野星を褒めちぎる自分と明野星へ殺意を飛ばす自分との闘い。彼女はあまりにも不毛な戦いに疲弊していた。
人の心をここまでかき乱しておいて、明野はそれも知らずに、涼しいアトリエで今度の国際芸術博覧会の準備でもしているのだろう。
疲弊しきった彼女は空になったジョッキを並べ、それについた水滴をおしぼりで只管拭いた。
日曜日の夜ということもあり、あまり客はいない。
里見は顔を赤く染め、ぼんやりと店の入り口を見つめた。明野星ならもっといいデザインにできるのではないか。
「なんであれのことばっかり考えるかな」
自嘲気味に笑うと、彼女は新しく来た酒に手を伸ばす。

「少し飲みすぎではないですか?」
「あ?ああ、大丈夫、大丈夫」
軽く答えると、歪みだした景色の中で誰かが隣に座るのがわかった。さっきから店の入り口を見つめていたのに全く気がつかなかった。
黒い壁みたいな男だった。髪が長い。出で立ちからして会社勤めではないだろう。身長も190は超えている。上着もズボンもべったり黒かった。中のシャツだけ白くて、それが骨みたいでまた不気味だった。でも服そのものは高そうだ。
「あまり飲みすぎるのもよくないよ?」
零しそうになった酒を取り上げられる。
「こんばんは。隣、いいですか?」
怪しい外見のくせに、やたら仕草がスマートで紳士的なやつだ。そっちをあんまり見たくなくて、里見はわざとらしくテーブルに突っ伏した。
何もかも面白くない。
男は里見の態度を気にも留めず、適当に注文し始めた。こんな酔っ払いの隣に腰を掛けるなんて物好きがいるのか。
次に男は里見の指先にしわくちゃになった展覧会のパンフレットを見つけた。
「絵が好きなの?」
馴れ馴れしい口調に苛立ちを覚えるところだが、酔っているせいかほとんど気にならない。
呂律の回らないまま、里見はパンフレットをひらひらと揺らした。
「好きも何も、私も絵を描いております」
「おや。同業者の方でしたか。私もよく博物館に行きます」
食いつきがいい。怪しい男だと思ったが、物分かりがよさそうな話し方と、素直に語る様子から、あまり悪い印象はなかった。
同業者とわかると、どこかで接点があるかもしれないと思ったのか、ふと話し方も丁寧になる。
「僕もしがない絵描きでして、最近はスランプ気味です」
「はあ、スランプって。私なんて何もかもダメで、今日は特に荒れていますよ~」
同業者というからにはどこかの教室の講師か、デザイナーか。それにしては綺麗すぎる恰好だし絵の具の跡も見られない。どこか小汚い印象のある芸術家とは真反対のイメージが残る男だ。
「僕もその気持ちはよくわかります。自分の作品なんて、誰も見てくれないのではないかなんて、どんどん気持ちが沈んでしまって」
「わかる、わかる。トレンドの変化が目まぐるしいからな~」
里見は自分より5個ほど離れていそうな男に説教するように語りかけた。
酒の力もあってか、同業者を励ますような口調になっていく。
「でも、いつの世にも天才はいるもので」
里見はパンフレットをバンバンと叩いた。
「明野星!こいつ、めちゃくちゃ絵が上手いよな。上手いというよりなんだろう?あの、あれだよ。世界観に引きずり込まれるというか、絵がすごい!」
笑いながら語る里見。
いつのまにか男の前にはサンドウィッチとアイスティーが並んでいる。サンドウィッチに噛みつく男の口元をなんだかじっと見てしまう。

「こいつ嫌い」
食事をする男に、里見は更に続けた。
「こいつが死ねば、私が日本代表になったかもしれないのに。後ろから首を切り落としてやろうかな、なんて」
落ちかけた胡瓜を舌で拾いながら、頷く男。もしかして食事に夢中じゃないか。
「どうして私じゃなかったかな」
明野に対する恨み言を並べてはいるが、アトリエで暴れた時ほどの怒りは感じていなかった。どこかでやつの作品が選ばれた理由に納得しているのだ。
今の言葉は、いわば愚痴の一種である。
初対面の相手に見苦しい姿を見せているという自覚はあったが、どうにも止まらない。
「才能はさ、突き抜けて使えるものと役に立たないものがあるじゃないですか。私の才能は役にたたない。あってもそこで終わるものだよ。だったら最初から何もない方がよかった。芸術に出会えてよかったなんて、そんな綺麗事を言えるやつが、名前も残さないやつの中に何人いると思う?」
芸術家気質な人間は孤独なものだ。誰にも理解されない。でも心の内をさらけ出したい。大人しいくせに我儘だ。
そして一人でいるのが辛くて作品を出す。見てほしいと承認欲求を剥き出しにしてくる。
人間にもなりきれない半端もののくせに、願いだけは一丁前に人間だ。
誰も見てくれなくなった時、ぼっきり心の内側から折れてしまう。そういう弱い生き物だ。
「明野星は、そんな万人の中からパッと出て来た鬼才だ。あいつは自分の世界を曝け出して、一人だけ気持ちよくなってる。私が欲しいものを全部持っている」
あんなに素晴らしい世界を描く術を全て持っている。そんなの狡すぎる。

「失礼ですが、お名前を伺っても?」
いつのまにか手を止めて、男は里見の顔を覗き込んでいた。
「はあ、名前。芸名でいい?里見円」
「里見って・・あの里見ですか!?」
突然がばっと身を乗り出すと、男は全身を凝視してきた。身長差があるため、かなり迫力があった。
「里見先生、お会いしたかった!ずっと前から」
そのまま抱きしめられるのではないかというような距離感だ。一瞬、酔いが飛ぶほどだった。
「おい、なんだ、急に。ファン?」
「はい!里見先生にずっとお会いしたくて!いやぁでも、こんなに綺麗な人だとは思わなかったな」
心から感激したようで、男は掴んだ手を確認するように何度も振ってくる。
ファンだなんていわれたのは何年ぶりだろう。
里見のアトリエを訪れる美大生共は、確かに里見を尊敬していた。だが、同時に技術を取ってやろうと盗賊のような視線を向けてくる。ここまで素直に好きだと言ってくれる相手は珍しかった。
「里見先生・・」
愛しい相手を呼ぶように男は呟いた。二人は初対面同士で見つめ合った。
しばらくして男は我に返ったように座りなおした。
「すみません。あまりにも感動して。まさか会えるなんて思いませんでした」
奇妙なこともあるものだな、と里見はいつのまにか出されていたお冷を飲みながら思った。
さっきまであんなにも落ち込んでいたのに。変な男に気に入られて、今はまあまあ機嫌がいい。
「先生のお話をもっと聞かせてください。これからの作品づくりの参考にします」
「なんだよ、しょうがないやつだな」
そんな可愛いことを言われて、嫌だなんて言えない。
里見はこの不思議な男に芸術のなんたるかを語り聞かせるのだった。

しばらく語り合った後、二人はすっかり意気投合していた。同業者同士だから話が合うというわけではなく、もしかすると運命的な何かを感じていたのかもしれない。
芸術家はロマンチストだ。こういったインスピレーションを刺激される状況に滅法弱い。つまり場の雰囲気に酔いやすい、というやつだ。
酔いがある程度覚めたところで、二人は美術館駅に来ていた。駅までの道中も話題が尽きることはなかった。里見が一方的に管を巻くだけだったかそれでも男は聞いてくれた。
「葛西彩人といいます。あまり聞かない名字でしょう」
少し前にぽつりと名乗ってくれた。図体はデカいくせにやけに華やかな名前だなと思った。
駅に着くころには日を跨いでいた。
さっきまで楽しく談笑していたのに、突然、葛西が黙った。二人は距離をあけて立った。
上をみながら葛西が言った。
「もう電車がありませんね」
言われて顔を上げる。電光掲示板を見ると、まだ各駅停車が何本かあった。それに気づくと同時に里見は耳まで真っ赤になった。
「困りましたね」
早く電車はまだあるぞと言わなくては。だが、里見は口を噤んでしまった。
「先生、何も言わないでください」
葛西はこう言うと、ちょっと笑う。
「ついてきてください。それか黙って帰ってください」
もう上を向いていられなくて、里見は赤くなりながら葛西の革靴を見つめた。
ちょっとそれが大きく見えだしたところで、葛西は里見の腕を軽くつかんだ。
「ありがとう」
あまりに短いお礼の言葉だったけれど、甘すぎて眩暈がした。

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