「みんなできるよ」をやめてみるよ
- ヤな親なのに離れられない
- 私はこんなに頑張ってるのに旦那が
- 離婚したいけど子どもが可哀相だから
- 病気だからどうしようもないの
そんな言葉たちに私は、
半分は共感するし
半分は同意できない
共感できる半分は
「自分もそう思ってたな…」
という部分
同意できない半分は
「できないって思いたいんやな」
という部分
…
私自身は、
一度家族と縁切って
夜逃げして
離婚して
子どもを養護施設に預けて
自分は障がい者手帳2級を保持して
それでいま
普通に暮らしながら
自分も家族も周りも幸せなんだから、
「できないって思い込んでるだけで、
ほんとはできるんだよ」って
つい思ってしまう。
だけど、自分じゃない人に
「私ができたんだからできるよ」って言うのは、
それはそれで押しつけなんだろうなと、
最近、思うようになりました。
…
明さんは強いからできるんだよ、とか
いいよね~運がよくて、とか
恵まれてるからできるだけじゃん、とか
そういう言葉で片づけられてしまうのが、
以前は悔しかったです。
だって、
人生を好転させるためにたくさん学んだし、
自分ともたくさん向き合ったし、
最初からできるんじゃなくて
できるように努力を続けたからな
前はそうやって妬みをぶつけてくる人に
「自分がやらんことの言い訳に他人出すなよ」
ってイライラしてたけど、
そう思うのも
もう違うのかなぁって
…
確かに
依存体質で精神病抱えた人が
全てを手放すって
ある意味 “賭け” ではあって
私はたまたまその賭けに勝っただけかもしれない
(発狂してもおかしくないよね)
賭けだと思うと、
「みんなできるよ!」と
簡単にオススメできないし、
その賭けに勝った部分について
変に謙遜するのも違うかと思った
うん、私は、
自分と向き合うという分野においては
【タフ】なんだと思う。
そして、そんなタフなやり方が
他の人もできるのかどうかはわからない
ただ、
機能不全家族で育っても
結婚に失敗しても
母親として失敗しても
人として失敗しても
いま、こうやって幸せに生きてる奴がいる
“そんな奴もいる”ってことを
ここに記していくだけでもいいのかなって
思いました。
自分と向き合うのが
一番つらかった時期の話です↓
そういえば、
殴りたい衝動に駆られることは
もうすっかりなくなりました
ということはやっぱ
病気だったんだな
と思う
幸せな家庭が増えることを
心から願っています
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