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「みんなできるよ」をやめてみるよ




- ヤな親なのに離れられない
- 私はこんなに頑張ってるのに旦那が 
- 離婚したいけど子どもが可哀相だから
- 病気だからどうしようもないの

そんな言葉たちに私は、
半分は共感するし
半分は同意できない


共感できる半分は
「自分もそう思ってたな…」
という部分

同意できない半分は
「できないって思いたいんやな」
という部分




私自身は、

一度家族と縁切って
夜逃げして
離婚して
子どもを養護施設に預けて
自分は障がい者手帳2級を保持して


それでいま
普通に暮らしながら
自分も家族も周りも幸せなんだから、

「できないって思い込んでるだけで、
 ほんとはできるんだよ」って
つい思ってしまう。


だけど、自分じゃない人に
「私ができたんだからできるよ」って言うのは、
それはそれで押しつけなんだろうなと、
最近、思うようになりました。




明さんは強いからできるんだよ、とか
いいよね~運がよくて、とか
恵まれてるからできるだけじゃん、とか

そういう言葉で片づけられてしまうのが、
以前は悔しかったです。


だって、

人生を好転させるためにたくさん学んだし、
自分ともたくさん向き合ったし、

最初からできるんじゃなくて
できるように努力を続けたからな



前はそうやって妬みをぶつけてくる人に
「自分がやらんことの言い訳に他人出すなよ」
ってイライラしてたけど、

そう思うのも
もう違うのかなぁって





確かに
依存体質で精神病抱えた人が
全てを手放すって

ある意味 “賭け” ではあって

私はたまたまその賭けに勝っただけかもしれない
(発狂してもおかしくないよね)


賭けだと思うと、
「みんなできるよ!」と
簡単にオススメできないし、

その賭けに勝った部分について
変に謙遜するのも違うかと思った



うん、私は、
自分と向き合うという分野においては
【タフ】なんだと思う。




そして、そんなタフなやり方が
他の人もできるのかどうかはわからない

ただ、
機能不全家族で育っても
結婚に失敗しても
母親として失敗しても
人として失敗しても

いま、こうやって幸せに生きてる奴がいる

“そんな奴もいる”ってことを
ここに記していくだけでもいいのかなって
思いました。




自分と向き合うのが
一番つらかった時期の話です↓


そういえば、
殴りたい衝動に駆られることは
もうすっかりなくなりました

ということはやっぱ
病気だったんだな
と思う




幸せな家庭が増えることを

心から願っています





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