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とある母親の物語 ~#家族について語ろう~


先日、
自立前にお世話になっていた
福祉施設を訪ねました。

人生再スタートの原点となった場所です。




“虐待” や “毒親” の話題は

子ども側に焦点が当たります。

子どもが
守られるべき存在として、
優先されるのは当然のことです。

その点については、
私もまったく同感。


だけど、ひとつ、
気にかかります。

親側はどうなるんだろう?


私がこう思う理由は、
これからお話しする体験が
元になっています。

子どもを連れて家を出たのち、
生活の建て直しを
目指していた頃のお話です。






不安定な日々が続いていました

自分の周りにはもう、
恐怖となる人が誰もいないはずなのに、

気分は沈み、何かに怯え、
満たされないココロを満たそうと必死で
いつもイライラしていました



ある人に言われました

「あなた、子どもを手放したら?」

私は即答しました

「嫌です」


その人は続けます

「どうして?」

「どうしてって…
子どもが…可哀想だから…」

「可哀想かどうかは
子どもが決めることよ
手放せない理由が他にあるでしょ?」

「・・・」

「子どものせいにするのも
いい人ぶるのも
いい加減やめにしたら?」

「・・・」

私は何も言えませんでした。


手放せない理由、
本当はその時点で
わかっていました

ただ、認めたくなかったんです




自分の不安定さに加え
イヤイヤ期も重なり、
当時の私は毎日、
子どもを怒鳴っていました

今、思い返してもアレは
“叱る” ではなく
“怒鳴る” でした


母の不安定さは、
子どもの不安定さに直結します。

激しい癇癪や夜驚症、
何をするにも上手く進まない毎日、

子どもは悪くないと
頭ではわかっていても
感情は全く
追いついていませんでした



ある日、子どもに
憎悪を覚えた瞬間がありました

その日から
自分の中に生まれたその黒い渦は
顔を出す回数が少しずつ増えていき、

その渦にのみ込まれそうになると
殴りたい衝動に駆られる自分がいました

もういよいよ
自分の中の闇を
認めざるを得ませんでした






当時、
私が子どもを手放したくなかった一番の理由
それは “自分のため” でした。


親であること以外に
生きる意味を見出せない

自分の価値を自分で認められない

条件なく一緒に居ていい人が
子ども以外にいない

この子を手放したら
気が狂ってしまう

そんな不安が常にありました。


でも、
一緒に居る一番の理由がそれだから、
子どもの自我が強くなり、
反抗してくるたびに、
この利己的な願望は暴走を始めます







…このままだと私は
いつかこの幼い子を殴ってしまう





「不安定になるとパニックになって
 子どもを殴りそうになるんです
 ……子どもを保護してください」


当時の私にできる
最善の選択がそれでした






子どもを里子に出して
私は死ぬか

こんな奴、
生きててもしょうがないもんな


児童相談所に子どもを預け
ひとりになってから、
何度も考えました




だけど
私は本当に
あの子を愛していないのだろうか


お腹に宿ったとき
胎動を感じたとき
産まれた瞬間
安心して寝る姿
天使のような笑顔
初めてママと呼んでくれた日
一生懸命に挑戦している姿
日々の成長とできるようになった
ひとつひとつのこと

その時に感じた喜びや
言葉にできない愛おしさは
一体何だったのか


子どもが公園で突然
意識不明に陥ったとき

私の命をこの子にと
願ったあの気持ちは
一体何だったのか


それぐらい大切な人を

なぜ

私は

殴ろうとしているのか





その時、
一本の電話がかかってきました

児童相談所から、
最初の定期報告でした


「最初は寂しそうでしたが、
〇〇ちゃん、元気に過ごしてますよ」

「・・・よかったです」


それだけ言うのが精一杯で
電話を切ったあとも
一日中、泣いていました




あぁ、よかった
「よかった」と思えてよかった

これ…
この感情を知りたかった

自分の状態に関係なく
相手の幸せを喜べるココロ
これが愛なのかな

愛を学ぶチャンスを
あの子が与えてくれた

これを学べたら私は
あの子を迎えに行ける気がする


そして、三ヶ月間
自分自身と向き合い続け、
子どもを迎えに行きました


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐




「子どもを殴る親なんてあり得ない
    人間失格だ」

そう思われている人にとって、
私もまた、憎まれる存在です。



なぜこの記事を書いたのか、

親を擁護するため?
虐待を肯定するため?

ううん、違います


暴力を肯定したいとは
思っていません


もし娘が将来、
「頭の悪い親の元に産まれ、1歳で夜逃げ、2歳で育児放棄され、施設に入れられた」
と語るなら、

それは彼女にとっての真実であり、
彼女の権利であり、彼女の自由
です。



そして、
今日のお話は、“ 私の ” 物語。

いち母親からみた
不甲斐ない真実
、のお話でした




起きた出来事(=事実)はひとつでも、

そこに対しての真実は、人の数だけあります



自分にとっての真実をすべて吐き出せたら

憎い相手からみた真実を
自分の中で創作してみてもいいのかもしれません



全く同じ真実は存在しないけど、
創作(想像)したその真実から

あなたの新たな真実が
見つかるかもしれません





ありがとうございました

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