映画「すずめの戸締り」を観て
みなさん、こんばんは🌝
今週水曜日突如、原因不明のめまいに襲われて体を動かすことができなくなり、
今は回復したけれど咳が止まらない真穂です。
季節の変わり目だからか、朝晩は冷え込み、日中は真夏のような暑さか、大雨の日々。きっと疲れも相まって、体をお休みする必要があったみたいです。
元気に動けて、noteを書いたり、買い物に行ったりできる身体に大感謝!🙏
みなさんは体調、大丈夫ですか?日本は暑いかしら。
なるべく常温か温めた水を飲んで、体調に気をつけて過ごしましょうね🪺
今日は、映画の感想をはじめて書いてみます。
分析とか、そんな大それたものではないけれど、
私が感じたことをシェアすることで、何かみなさんにとっても感じることや
インスピレーションをお届けできれば幸いです💐
C'est parti !
今週月曜日、ニューカレドニアは日本でいう勤労感謝の日で、ほぼ全ての店が閉まり、バスは止まり、静かな1日だった。
だけど、そんな1日でも何か初めての経験をしたい!と思っていた私は、夜、近所の映画館にいた(映画館は年中無休らしく、やっていたのです)。
私の受け持つクラスの一クラスが、9月に開催される学校のイベントで「すずめの戸締り」の歌を合唱するということで、
私も参加することになり。
まだ映画を見たことがなかったので、見てみよう、という成り行きで
内容については全く知らずに映画を観ることに。
ー映画のあらすじー
静かな町に住む17歳の鈴芽=“すずめ”は、ある日扉を探しているという旅の青年に出会う。彼を追ったすずめは、山の廃虚に佇む古い扉を見つける。やがて日本各地にある扉が開き始め、その向こうから訪れる災いを防ぎに、すずめは扉を閉める旅に出ることに…
作中では東日本大震災がキーテーマとなっていて、
地震の警報や地震のシーンが沢山ある。
2011年3月11日、11歳の時に仙台で東日本大震災を経験した私にとって、
地震のシーンばかりではないけれど、かなりショックを受けた映画だった。
幼い頃から結構大きな地震を何度か体験していて、神経質なくらい地震に対して恐怖を感じてきたり、
津波の映像や津波を経験した方の新聞記事やドキュメンタリーテレビを幾度と見る機会があったから、私が持つ記憶や思いと、映画の内容が重なって、
震災前、そこに住んでいた人々の声をすずめが聞くシーン、
2011年3月11日の朝の、みんなの「行ってきます」のシーン
は、本当に悲しくて、後半は涙が止まらなかった。
ハッピーエンドではあったけれど、
自分の中ではいろんな感情が渦巻いて、帰りの足取りが重く、
自分が今、ニューカレドニアにいて、映画館で映画を見ていた、ということが信じられないくらいの衝撃を受けていた。
終わってしばらくは放心状態で、
あの日あの時、いつものように安全に家に帰って、
家族と夜ご飯を食べて、お風呂に入って、
「明日」があると思っていた多くの人々。
生きたかったけれど、消されてしまった多くの命のことを、思い出していた。
(私は実際に沿岸地域で被災したわけではないけれど、震災の日、次の日は週末だったので、「女川に釣りに行こうか〜」と話していたほど、家族で沿岸部をよく訪れていた。)
小学生になるのを新品のランドセルと一緒に楽しみにしていた女の子がいたこと。
経験したことがないくらいの大きくて長い地震の後、心配して母や父のお迎えを待っていた多くの小学生や中学生がいたこと。
安全避難所として指定されていた場所に逃げていた人々がいたこと。
彼らが、確かにあの日あの時存在していたこと。
虚しくも彼らの命を奪った黒い津波。
自然災害や地震に怯えて日々を生きるのは違うけれど、
今、生かされている私。
私は、どう生きるのか。私は、なにができるのか。
深く、深く自問させられた作品だった。
同じ時間に映画を見た、どれだけの人が東日本大震災のことを知っているのだろう。
彼らは、ただのアニメ映画としてではなく内容を真に理解しているのだろうか。
そんなふうに、孤独感を感じた。
高校まで、仙台に住んでいた私。
宮城や東北では東日本大震災についてある程度共通認識があったから、
当時の話をすることや地震に対する意識も、友人との会話などは共通認識を基にされていたけれど、
大学で横浜へ出て、今は日本を離れて、
その共通認識がある人々が近くにいない場所にいるとき、
なぜか少し、危機感のようなものさえ感じた。
「みんなに、伝えなきゃ、知らせなきゃ。」
また、ある登場人物が「歴史は繰り返すね〜」という言葉をすずめにかけるシーンがある。
東日本大震災に限らず、これまで起こった自然災害。人災、原発。
経験し、生き残った人々が、どれだけ当時の記憶を忘れることなく、
次世代に伝えていけるか。
どれだけその声に耳を傾けて、自分ごととして一人一人がその生きる場所で、
歴史を繰り返さないためにできることをするか。
そんなことが、これから震災のことを知らない人々が増えていく中で、
とても大事なことなんじゃないかと思った。
私はこれからの日本語の授業のテーマとして、この作品と東日本大震災について取り入れてみようと思っている。それが今、私ができる最善のことだと思うから。
どんなふうに伝えるか、どんな内容にするかはよくよく考える必要があるから、まだ明確になっていないけれど、
私が今、ここにいる使命のようなものを感じている。
もちろん、震災や、地震という一側面からのみで語られる映画ではないけれど、
私はこんなふうに感じながら「すずめの戸締り」を見ました。
いつ、なにが起こるかなんてわからないから、
「行ってきます」も、
「大好き」も、「ありがとう」も、「ごめんね」も
今まで怖くて挑戦できなかったことも、
誰かに変に思われてしまうかもしれないことだって、
全部全部、伝えてしまえ。
全部全部、思いっきり経験しよう。
生かされているのだから。生きているのだから。
ここまで読んでくれて、心からありがとう🧡素敵な週末をお過ごしください。
また書きます!
Love,
真穂
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