「同じヒトなのに」が通用しない、精神性を軽んじる近年の介護・福祉。その先に「しあわせ、ゆたかさ」はあるか。
今回はこの記事を見ていきます。
【記事の概要】
[自治体アンケートから見える課題]
[第三者の目が働くも…]
[有識者の声]
【『ヒト』を見ずに介護・福祉を「している」と語れるか】
この記事を読んでもわかるように、営利目的で障害者グループホーム(GH)を運営する組織あるいは個人には『福祉』を実践する明確な動機がありません😔
目的が「お金(コト)」であり「障害者(ヒト)」ではないのですから、利益の最大化を狙うほど
『コト〉ヒト』
となり、記事にあるような「問題があると思う」サービスの質やスキルを持つ職員が多く集まる訳ですね👨🏻🏫
それでも倫理的に「同じヒトならばここまで酷いコトはできないはず」と思われるかもしれません。
しかし目的を「お金」に据えた福祉(?)を実践するということは、いくら表面上では素晴らしい理念を掲げていても自分たちのサービスを受ける障害者を意識しない方が「お金を得る目的」を達成しやすい訳です🥲
「サービスを如何に効率よく提供して最大限の利益を得られるか」、すなわち『利益〉コスト』の最大化が企業が達成すべき市場目的であり、ここに性善説を持ち込むのには限度があります。
それだけに『規制』や『仕組み』が必要になるのですが、そもそもの話
「ルールを決められなければ『ヒト』を思いやることができない」
という事態が異常です😢
しかもこれを人と直接関わる介護・福祉分野でやってのけるのですから、現代人がどれだけ「今だけ金だけ自分だけ」の『自分狭窄』に陥っているかがよくわかります😔
福祉とは「人のしあわせ、ゆたかさ」という意味ですが、人を見ずにどうして「人のしあわせ、ゆたかさ」が実践・実現できると言えるのでしょうか?
「何」を見て自らを介護・福祉職、事業者あるいは施設だと言うのでしょうか?
こうした見方を忘れて「こういう決まりだから」といった『正しさ』でしか自分の存在が何かを確認できないのだとしたら、そうした福祉を欠いた介護・福祉人が招く未来は『自滅』です😨
【人を愛せない現代人の『他責思考』が「正しさ」へ傾倒させる】
こちらでもお話ししたように、介護・福祉の存続の核となるのは
「人がどれだけ人を愛せるか」
という倫理観、『生命の価値』の保障以外にはありません😶
現代を生きる、他ならぬ私たち一人ひとりがまず「人を愛せるか」を問われているのであり、『自分狭窄』に陥った人々には、人を愛するだけの
「理由」
「意思・意欲」
「エネルギー」
が不足していることから
「〇〇なのは誰かのせい」(=私は悪くない)
という『他責思考』へ逃げ、それを保証する『正しさ』へ傾倒・盲信していくことになります😰
その『正しさ』は「人のしあわせ、ゆたかさ」につながらないどころか
「『正しさ』を決める一部のニンゲンに従うことを良しとする」従順さ
を生み出す訳で…そうして生まれたのが2020年の『コロナ禍』だったことは、最早説明不要かと思います😔
『正しさ』に傾倒しなければいけない自分の事情と向き合い、自分狭窄から抜け出せると氣が楽になります。
そうして初めて「周りのヒト」を見る余裕も生まれます😊
周りのヒトが見えるようになると、周りのヒトの『感情』も伝わってきます。
そしてその感情が、人が人を愛する「理由」「意思・意欲」「エネルギー」の源となります。
『ヒト』がいてこそ感情が生まれ、
感情の交流によって『愛情』が育まれ、
愛情によって人が人を尊び、『生命の価値』が守られます😊
そうして人を愛せてこそ「その人を大切にしたい気持ち」が自ずと湧き上がり、その人を『介け護る』営み(=介護)につながるのです。
【精神性を軽んじる近年の介護・福祉が辿る未来】
介護・福祉が抱える問題は『ヒト』の問題であり、『コト』(サービスや制度など)の問題は解消に向かって日々突き進んでいます。
しかし『コト』の発展に『ヒト』が付いていかなければ
「コト〉ヒト」の構図
→「コト」の示す『正しさ』に「ヒト」を当てはめる仕組み
からは抜け出せませんし、それによって多くの「ヒト」の『生命の価値』とそれに紐づけられた『感情』が正しさによって評価される社会を助長することになります😱
このままヒトが「今だけ金だけ自分だけ」の『自分狭窄』から抜け出せないまま、『介助』と介助に紐づけられた介護報酬ばかりに気を取られて『利用者』を見なくなれば、介護・福祉が自己矛盾から自滅するのも致し方ないでしょう😔
[精神性を欠いた介護・福祉が『公共の福祉』にならない理由]
感情や愛情が語られる時、ともすれば「それは精神論だ」と揶揄したくなるかもしれません。
しかし現代人に足りないものはそうした『精神性』であり、精神性を欠いたからこそ
「『感情』を持つ利用者(ヒト)」
を見ずに
「『正しさ』によって示された、提供されるべき介助(コト)」
ばかりを見てきた結果、『今』の諸問題を抱えるに至ります😰
一人ひとりの精神性、すなわち「私はどう生きるか」という『生命の価値』をニンゲン自ら手放そうとしているからこそ介護・福祉のあらゆる問題は起こるのです。
本来、介護・福祉は一番『生命の価値』を感じやすい分野です。
人と人が交わり、感情を豊かにする営みによって互いの精神性を育みながら暮らしていく。
「ありのまま」で「お互い様」であることが自然な介護・福祉のあり方なのですが、介助者にせよ利用者・家族にせよ、お互いが利己的になって自分の取り分(権利)ばかり主張するのでは『公共の福祉』にはなり得ず、介護・福祉は成立しないのです😥
[愛情を見失い、愛を装うならAIがヒトに勝る]
この視点で介護・福祉の現状を見れば
・介護人材不足
・介護虐待
・「介護職の賃上げ」による事実上の増税
・介護事業者倒産数増
といった諸問題の根本には「人が人を愛せていない事実」が垣間見れます。
人への『愛情』を見失い『愛』を装うことで体裁を取り繕ってばかりいるから、介護・福祉の問題は介助者・事業者、利用者・家族などあらゆる『ヒト』が愛情を求めた結果引き起こされるのです😭
こうして「装われた愛」を愛情と誤解するようになれば、より効率的に「人を騙せる」AIによってヒトは管理されることになるでしょう。
擬似友愛、疑似恋愛、擬似性愛…AIは統計データに基づき、人よりも人らしくヒトを騙し、快楽によってヒトを「導きたい方向」へと誘い込むことでしょう。
このあり方は、一部のニンゲンがAIを用いてヒトの主権を奪う『人権侵害』を疑わなければなりませんが、一見「良い反応」をしているように見えるので、そうと指摘することも難しいと考えられます。
[「正しさ」へ傾倒した先に生まれた『コロナ禍』から何を学ぶか]
人がどれだけ人を愛せるか。
そうした精神性を軽んじることこそヒトの驕りであり、AIを始めとしたテクノロジー、さらに言えば「科学的根拠に基づいた『正しさ』」に主体性を明け渡すことになるでしょう😶
それでも「それが偽りであろうと、快適・快楽ならばそれで良い」という心の持ち主が大半なのであれば、それは遠からず自業自得となるでしょう🫥
対症療法が直接人を治さないのと同じように、目の前の出来事ばかりを追いかけて根本的な問題と向き合わないのであれば、姿形を変えて何度でも『問題』を引き起こします。
それを幾度となく繰り返していても尚学ぶことがないのであれば、「新型コロナウイルス感染拡大第11波」が起きるように、同じことを何度でも繰り返しては被害を生み続けるのです😨
【『本質・本音・本物』の時代に介護・福祉を全うするなら】
もし人が人を愛せているのなら、「愛する人」を窮地に追いやる先の感染症拡大が11回も起きていることに危機感を抱き、原因を追求し「本当のところはどうなのか」を知ろうとします。
その最中、日本国内の情報のみならず海外の情報にまで手を伸ばすことで「情報隔離・情報格差」を思い知るかもしれません。
自分が信じていた価値観を疑うタイミングが訪れる方もいるでしょうし、深い後悔や慚愧の念に駆られる方も出てくるでしょう🥲
それでも、その時期を通過しないことには「人が本当に人を愛している」と証明することは叶いません。
何故なら情報がつまびらかにされ、『本質・本音・本物』が明らかにされる今の時代において
「言われた通りにしている」という『表面』
「そういう事になっている」という『建前』
「これが正しいのだから」という『偽物』
これらのウソは「ヒトの直感」によってたやすく見抜かれ、物理的にも精神的にも人を遠ざけるからです。
そして残念ながら、人が己の「快適・快楽」ばかりを求めて『表面・建前・偽物』に染まるうちは
「装われた『愛』を『愛情』と誤解する」
ことによって
「私は人を愛せている」
と思い込んだまま、今日も「愛する人」を窮地に追いやるのです😔
今日、介護・福祉分野が「人材不足」となるのは、給料や待遇などの『表面・建前・偽物』だけが理由なのではなく、現状の介護・福祉が『本質・本音・本物』の部分で「人を愛せていない現実」が看過されているからだと言えます。
それだけに「人がどれだけ人を愛せるか」が介護・福祉の根本問題であり。
『介護』をさせず『介助』へと終始させる制度によって
『報酬(=携わる人々の生計、生命)』
を握られているうちは介護・福祉事業者に「ヒトへの愛情」を期待すること自体、構造上無理があるのです😭
こうした世の中では「本当に人を愛せている人」だけが愛情を証明することになります。
そしてそれは「意識して人を愛するようにする」という『愛』の装いではなく、「無意識で人を愛している」状態によって実践・実現されます☺️
愛を意図せず、愛情が溢れる。
「Do(行動)」ではなく「Be(状態)」に至るためには、一人ひとりが自分の欲だけではなく
「私はどう生きるか」
という人生哲学と、邁進するための精神性を養う『日常』が大切です😊
介護・福祉の現状を改善したい場合、まず一人ひとりが『他責思考』から抜け出し「自律・自立」に向かう必要があります。
例えば「感染するのは誰かのせい」というこれまでの感染症対策から抜け出す為には、国民一人ひとりが「免疫とは何か」「ウイルスとは何か」の『基礎』を学んで実態を知ることです📕
介護・福祉事業者は『報酬』というヒトジチを取られ責任を負わされる立場である以上、国民から変わっていかなければ経営方針を変えるのはかなり厳しいのです😥
自分の家族や伴侶へ手厚く介護してほしいと願うのなら、介護を任せきりにせず「介護チームの一員」として参加すること。
介護業界の実情を知り、悩みを共有して「家族としてできること」を役割として担うことが大切です☺️
また介護・福祉サービスが必要となる状況に備えて普段から関連情報を集め、資金を貯め、健康に努めておくことも必要となります。
すなわち、誰一人として介護・福祉に無関係な人はおらず。
国民一人ひとりが介護・福祉を『自分事』として捉え、介護・福祉の現状を理解して備え、扶けること。
そうした『自律』があって初めて自立ができ。
自立してこそ人を想う『愛情』が湧き上がり。
愛情があってこそ人を『介け護る(たすけまもる)』理由と成り。
人を介護することで『生命の価値』が保障され、次の世代へ「しあわせ、ゆたかさ」を継承することができるのです🧒🏻👧🏻
精神性を軽んじた近年の介護・福祉の行く先は「科学的知見」や「科学的根拠」に自分の生命を委ねたがる『他責思考』によって、一部のニンゲンに管理・統制される未来です。
その状態は「生きる」なのか、それとも「生かされる」なのか。そこに自分が望む幸せがきちんとあるのか。
真に『自分本位』であればこそ、自分が「生きる」為には他人が必要と理解し、他人を「生かす」為に『自責思考』で行動します。
自分が幸せである為の労力を惜しまず、現実を見据えた上で決断するものです。
「今の介護・福祉はそうなっているかどうか」
そう社会に問うた時、自分が、周りが「しあわせ、ゆたかさ」を感じられているかどうかが、その答えとなります。
この他にも介護ブログや読書ブログを運営しています。
今回の記事に共感してもらえたり、興味を持ってもらえたなら、ぜひご覧ください☺️
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