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人への『愛情』不足が介護崩壊を招く



今回はこの記事を見ていきます。

【記事の概要】

・東京商工リサーチの「2024年1-4月『老人福祉・介護事業』の倒産調査」によれば、2024年1月~4月における介護事業者の倒産は、同期間の過去最多を記録


・介護業界は、バブル崩壊後の不況によって就職難が続いた「就職氷河期」と呼ばれた厳しい雇用情勢でも求人倍率はいつだって高い水準のままであり、言わば「デフレの申し子」だった。


・その反面、介護業界は介護報酬によって事業者(ひいてはその事業者で働く職員)の収入がほとんど決まってしまうため、インフレに弱いという性質があった。

・サービスの質にかかわらず、事業者が受け取れる報酬があらかじめ決まっているので、創意工夫で生産性を高めるという余地が小さいのが主な理由。

このままだと2040年までに"介護崩壊"が起きる…介護を「だれもやりたがっていない仕事」にした決定的要因

[介護崩壊 〜誰もやりたがらない仕事へ]

・加速する高齢化とインフレと人手不足によって、介護需要に対して人的リソースの供給がまったく追いつかない「介護崩壊」がいよいよ現実味を帯びはじめている。

・求人倍率は急激に上昇していて、たとえばヘルパーでは2022年度の求人倍率がすでに10を超えている
朝日新聞デジタル「求人倍率15倍、「介護崩壊」の懸念に現実味 ヘルパーの高年齢化も」2023年12月4日)。


・「介護崩壊」最大の原因は結局のところ、デフレ不況期という特殊な経済状況だから吸収できたマンパワーの規模を基準にして日本社会の「高齢者福祉」の基本的な制度設計を組んでしまったこと


・2040年ごろの要介護者のニーズを満たすためには、いまより60万人近い介護人材の増員が必要という推計がある。
(日本経済新聞「介護職員、40年度までに57万人の増員必要 厚労省推計」2024年7月12日)。


・介護職員の高齢化はすでに深刻な水準で進んでおり、若い人材の採用が急務となっているが、これから「若い労働力」をあらゆる業界が奪い合う構図がますます激化する

・仮に介護報酬をいくらか積み上げて、多少の賃金改善が政治的に達成できたとしても、やはりそれでは他業種との人材競争に負け、根本的な人的リソースの供給不足を改善することは不可能だろう。

このままだと2040年までに"介護崩壊"が起きる…介護を「だれもやりたがっていない仕事」にした決定的要因

[徴介制へのシナリオ]

・役所が社会福祉協議会と連携し、足腰が弱っている高齢者のゴミ出しを近隣の中学生に「ボランティア」として代行するよう要請する事業を行っている事例が紹介され、これが「ただ働きさせるな」「実質的な強制労働だ」と非難の嵐であった。
(参考:J-CASTニュース「『中学生に働かせるな』ゴミ出しボランティアに異論 高齢者宅向けで募集、募集団体に意義を聞いた」2024年7月11日)。

・本当にもはやこれしか解決の糸口が見いだせない地域はこれから世の中にどんどん出てくることになり、介護においても『徴介制』(介護ボランティアの義務付け)が出てくるのではないか


・たとえば若年層に一定期間、斟酌すべき特段の事情がないかぎり、介護もしくはそれを補佐する地域活動への参画を「ボランティア」という名目で実質的に義務づけることができたとする。

・そうすれば、認知症高齢者1000万人に対して新卒の若者が60~70万人前後になる2040年代の超高齢社会でも、介護・福祉リソースの決定的破綻を回避することは可能


・名目上「ボランティア」であれば、経済生産性とか事業採算性といった観点を気にする必要はない。

・初期コストもきわめて低い。行政が社会福祉協議会と連携して地元の中学校や高校に働きかけ、学校活動の一環にしてしまえばよいだけ。

このままだと2040年までに"介護崩壊"が起きる…介護を「だれもやりたがっていない仕事」にした決定的要因

【一億総介護職時代にならなければ『徴介制』へ】



今回の記事では

・介護が「やりたがる仕事」にならない理由
・介護ボランティアの義務化『徴介制』

について書かれていました😧


これらが意味するところは「介護への無関心が突き進めば国民一人ひとりに介護の責務を負わせるしかなくなる」という現実です。





「最早『わたし』が家族やパートナーの介護をしなくても『だれか』がしてくれるような時代ではなくなった」


一人ひとりがそう理解し、「わたし」もまた1日のうちのどこかで介護を担わなくてはならない時間が出てくる、でなければ「生命を見捨てる」ような時代へ移り変わっていくのです😢


[介護職の賃上げが介護への無関心を助長し、『一億総介護職時代』へ]




そのような事態を避けるために『(広い意味での)税金』で介護職の処遇改善を図ったのが、2022年以降に見られた「介護職の賃上げ」でした。


しかしそれは

「(お金さえ払えば)介護のことは介護職に任せれば良い」

という価値観を助長して介護問題にフタをさせただけでなく、介護に関わる全ての人を「貧しく」することにもなりました😰





介護を「自分事」として受け入れた先にあるのは


家族やパートナーの介護を無料でするか
他の要介護者の介護を有料でするか


という二択であり、いずれにせよ介護職として機能せざるを得なくなることから、この現象を


一億総介護職時代


と名付け、一人ひとりが「介護職」になり得るこれからの時代を先回りして介護について知り、学び、対策を取れるようにしておくことが重要だとお伝えしているのです👨🏻‍🏫


[それでも「介護をしたくない」なら]




しかし、それでも


「いやいや、『わたし』は介護をやりたくないし…😅」


と言う人が多いのであれば、強制力を持ってでも「やらせる」しかなくなる訳です。


何故なら個人の意志がどうあれ物理的に要介護者は存在し、その要介護者に対して介護を提供しないのであれば『ヒトの価値』を下げることになるからです🥲





『ヒトの価値』が下がれば「人の生命はどうでも良い」という価値観が蔓延し、人の生命に紐付けられた法やルールの価値も下がり無法状態に陥ります。

暴行、強盗・強姦、殺人など「個人の欲」ばかりが浮き彫りにされ、外を出歩くのすら危険な状況を「自ら作り出す」ことになりかねません😱



このような事態を避けるための現実的な打ち手として「介護ボランティアの義務化」である『徴介制』が導入されても何らおかしくはない、そこまでの事態に突入している、という話なのです🧐


【「人がどれだけ人を愛せるか」が介護存続のカギ】




『徴介制』のような事態に陥るのは最早時間の問題であり、介護問題を介護職任せにしてきたツケを社会全体で支払うことになります😔


また介護職は介護職で原資を考えないまま「他職と比べて給料が低い」ことから賃上げを望むようになり、自分を含めた全国民に金銭的負担(事実上の増税)をもたらしました😶



どちらにもやむに止まれぬ事情があったにせよ、これから先は「介護をする『意味』」を社会全体で共有していかなければ、利便性や快適性によってヒトが排除される社会が加速していくことでしょう。


[介護をする『意味』とは]




では、その「介護をする『意味』」とは何かというと『生命の価値』に他ありません。


何故なら、あらゆる介護の対象は『ヒト』であり、介護を通じてそのヒトがこの社会に生きることにこそ意義があるからです。


その上で介護とは「介け護る」、すなわち『権利擁護』ですから、介護をする意味とは

生命の価値を保障すること

となります☺️


[人がどれだけ人を愛せるか]



それだけに「他者の生命に保証したい価値がない」とみなされる社会では、介護は機能しません😨



特に今はインターネット・スマートフォンの普及により「自分と他人が分けられない時代」に入り、自分を感じる為に承認欲求を満たすよう行動する人が増えています😳





その先で「今だけ金だけ自分だけ」の『自分狭窄』に陥り、自分さえ良ければいいと考える方も増えており、この社会で


「他人の価値を守るために活動したい」


と考えて介護を仕事に選ぶ人が少なくなるのも頷ける話です😔





事実として2024年1月〜4月の介護事業の倒産は過去最多を記録しており、ここでは


「何のために介護の仕事をするのか」という『本質・本音・本物』が問われている


ことが明らかにされています🔍





介護にとっての『本質・本音・本物』とは『ヒト』に他ならず、人が人に価値を見出す時、そこには『愛情』があります


愛情とは「相手を愛しく思う気持ち」であり、「人や物に対するあたたかい心」のこと。


人への『想い』が愛しさや温かい心を育み、それらが感じられた時、人は「今ここに生きていられることへの感謝」を感じられるのです🥰





これこそ『個人の尊重』であり、一人ひとりが自分の意志で生きていこうとする『自立』への意欲を生み出します。


故に介護においては


人がどれだけ人を愛せるか


が肝心要であり、人が人を愛せる社会でこそ介護は機能すると言えるのです👨🏻‍🏫


【まとめ】「『あなた』は人を愛せるか」が問われている



今回は介護の現在地と「徴介制」について見ていきました。


介護は介護をする人、される人ともに『愛情』がなければ成立しません


本来等しくある『生命の価値』をどちらか一方が背負えば、そこには「一方通行の思い」が生まれ、やがて共依存となって共滅します🥲





仮に今後『徴介制』のような介護ボランティアの義務化が起きるのだとしても、


「なぜ『わたし』が介護をするのか」


という『意味』が見出せなければ、そこで行われるのはマニュアルに則った作業的な『介助』となるでしょう。


そして『介助』の領域こそAIをはじめとした介護ロボット等テクノロジーの本域ですから、余計に「わざわざ人がやる必要がない」と『生命の価値』を下げることにもなりかねません😔





介護の前提には『愛情』があり、そもそも今の社会が「人が人を愛する社会」になれているか。


自分を愛し、人を愛し、土地や地域を愛するように普段から暮らしているか。


つまり、


「まず『わたし』自身が生命(ヒト)の価値を認めているか」


から始めなければ、介護の問題はいつまで経っても表面的な介助の充足に終始し、延々と『情のネグレクト』を繰り返すことになります😭





ひるがえって2020年からの新型コロナウイルス・パンデミックは、介護・福祉において「人が人を愛せているか」の試金石だったように思います。

そして少なくとも2020年からの一年間は一致団結して感染症対策に勤しみ、人が人を守ろうとしていたと言えるのでしょう🤝🏻


しかし、2021年のワクチン接種辺りから「人が人を愛する」のではなく「(科学的に)正しいかどうか」へと舵を切ってしまったように感じます😶





そのあり方が真に正しかったかを省みることなく今後も突き進むのであれば、その陰で苦しむ人々を「見て見ぬフリ」をすることになりますから、その姿勢に『愛情』はありません😔



一度『正しさ』に舵を切ってしまったら、その正しさを無理にでも「正しい」ことにしなければならない。

そうでなければあの日、「正しい」と信じて行った全ての『意味』を失い、その重荷を背負わなくてはならないから。


そうした背景を踏まえて、2024年現在の介護・福祉施設及び職員が国から推奨される感染症対策から抜け出せないのだとしたら。


国民一人ひとりがよく学び、考え、その重荷を下ろせるように周りの人々の意識を変えていくように行動することで、介護・福祉にも『愛情』が戻り、人も集まるようになるでしょう☺️





介護の問題は人の問題であり、2024年における人の問題の最たるところは

『あなた』は人を愛せるか

です。


それは言わば「『あなた』はどう生きるか」という問いであり、この問いについて考えられるタイムリミットは今夏までなのだと思います。




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