【生き方を見つめ直す】映画のネタバレはせず、「君たちはどう生きるか」について考えてみる
先日、宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を見てきました。
そこで今回は、元同僚たちにお金の学びを伝えるグループで投稿した「君たちはどう生きるか」についての話をしていきます。
ただ映画のネタバレはせず、「君たちはどう生きるか」というフレーズについて考えたことを伝えていく形となりますので、ご安心ください😊
かなりの長文となりますので、時間のある時に目次から項目ごとに読んでもらえると良いかと思います☺️
【まず押さえておきたいこと】
この映画の表題を見た時に、真っ先に思い出したのが吉野源三郎さんの著書「君たちはどう生きるか」です。
これは一昔前に漫画化されて有名になったもので、原作からテーマを取ったと監督も述べているようです😊
さて、「君たちはどう生きるか」を考える時、
「君たちは」
「どう」
「生きるか」
の三点に分けることになります。
この三点が大切なポイントで、それぞれに思いつくところがないと、
「なぜこの映画の題名が『君たちはどう生きるか』なんだろう?🤔」
と、映画を見終わった後に悩むようになります😅
(同じタイミングで映画を見た客席から戸惑う雰囲気をヒシヒシと感じました)
【君たちは】
「君たちは」と聞かれて、皆さんは誰を思い出すでしょうか?
家族や友人、職場の人々など、人によって様々かと思います。
ただ「自分を含めた複数人」であることは確かで、『君たちはどう生きるか』は
「あなた一人」
ではなく
「あなたを含めた人々」
への問いかけとなるのです。
「いやいや『君たちは』って言ってるから、そりゃそうでしょ😁」
という話ではなく、
「あなたが生きていく中で、どれくらいの人を普段から自分の意識の中に入れていますか?」
という話なのです。
これは単純なようで難しい話で、現代人には
「自分さえ良ければ良い」
「何かあったら『誰かのせい』」
という意識が脳にこびりついており、「今だけ金だけ自分だけ」で世の中を捉えている節があります🥲
つまり「私はどう生きるか」ばかりを考えて「私たちはどう生きるか(=君たちはどう生きるか)」の意識が薄れている訳です😮
そうと気づくと、この「君たち」が誰を指しているのかも見えてきます。
先ほど挙げた家族や友人もそうですが、更に広げていくと自分の住む地域の人々や『国』、果てには『人類』や『地球』、『宇宙』にもつながっていきます😳
そうした広い視野を持つことで、
「自分が『今』ここで生きていることの意味」
について思いを馳せることができるのです☺️
自分一人が生きることではなく、自分を含めた皆が生きるにはどうしたら良いのか。
それは、例えば「自分が学んだことを人に伝える」のも生き方の一つになります。
自分が稼いだお金の一部を人のために使うのもそう。
寄付やクラウドファンディングによって「救われる命がある」ことは【びわ湖花火大会から見る「お金のリテラシーとマナー」】でもお伝えした通りです。
だからこそ「君たち(私たち)」という集団意識・仲間意識が、生きていく中で大切なポイントとなるのです。
【「どう」を選べない?】
「君たちはどう生きるか」の「どう」について見ていきましょう。
「どう」とは『方法』であり「選べる方法がいくつかある」ことが前提の問いかけとなります。
しかし、雇用されるのが常となった現代人にはそうした「選べる方法」がないような感覚が浸透しています。
決められた日時に決められた仕事をするのが当たり前であり、それ以外の選択肢は「許されていない」と思い込んでいるのです😨
【今の生き方を選んだのは他ならぬ自分自身】
実際にそれ以外の選択肢を取ってしまうと仕事に支障が出て、最悪職を失う可能性もある訳ですから「許されていない」という感覚自体はあって然るべきでしょう。
ただしその「許されない」範囲はあくまで「今の生き方をするのであれば」が前提であり、『生き方自体』を制限される謂れはないのです。
ここを混同して「私は今の生き方をするしかない」と思い込んでしまうのは、自分の生き方を他人に預けているのと同じです。
かつて、今の生き方を定めた『誰か』のルールに従って生きることを自分で選び、その選択の結果を背負って生きるのを「良し」として。
長い年月によりその選択をしたこと自体を忘れて、「私は自由に生きられない」と思い込んで「誰かのせい」にする。
その結果「誰か」への被害妄想をたくましくし、「自分さえ良ければいい」と考える現代人が増えていった訳です。
「どう」という方法を私が選べないのは誰かのせい。
そう思い込まされているところから抜け出すきっかけとなるのが「君たちはどう生きるか」という問いかけなのではないでしょうか👨🏻🏫
【「どう」を選ぶ意味とは】
過去も現在も変わらず『自分の選択』によって生きている自覚が薄れてしまったのは、
「そうした方が(誰かにとっては)都合よく社会を回せるから」
「そのルールに則って『誰かのせい』にした方が楽だから」
であり、雇用する者・される者の利害関係の一致による訳です。
それで誰もが豊かで幸せに暮らせるならよかったのでしょうが、その在り方によって生み出されたのが『コロナ禍』であって。
一部の利益のため『ルール』に従った結果、今となっては効果があったか疑わしい対策によって多くの人々が苦しめられることになったのは記憶に新しいかと思います😔
(今この時も救急車のサイレンが聞こえてきませんか?🚑)
しかもこの事は2022年では人々に上手く情報が伝わらず環境も整っていなかったため早く、2024年では「手遅れ」の話です。
つまり2023年の『今』、「君たちはどう生きるか」を問うことが現代人にとっては欠かせないことだと言えます。
今まで通りに生きていくにしても、そうでないにしても、2023年の今、立ち止まって考えないまま進むのは危うい、と。
それだけに「生きるか」の最後の問いかけに込められた意味は相当なものがあると思います。
【「生きるか」の意味】
「生きるか」とは、もちろん「生きる」こと前提の問いかけになります。
ここをもう少し深掘りすると、
・生きる『条件』(can)
・生きる『意思』(do)
に分けられます。
【生きる『条件』を満たす】
生きる『条件』とは「どれだけ『自然』な状態でいられるか」になります。
これは人間が自然の一部である以上、自然な状態に近いほど長く生きられる、という話です。
ひるがえってそれは
「世の中のものが『不自然』にあふれかえっているという事実をどこまで知っているか」
という話でもあり、そうした『条件』を満たしていることが「生きるか」に応える形にとなります。
【生きる『意思』を見つめる】
生きる『意思』とは「生きる目的・理由があるか」です。
これは「生きて何をするか」という人生の哲学であり、誰かに問われるよりも自分自身で問い続ける課題になります。
ただ現代は様々な『刺激(不自然)』にあふれており、そうした人生観が無くても人生を完遂することができる時代です。
食べ物、映画、ゲーム、アミューズメントなど、光や音、味など五感に訴えかける刺激を求めていくだけで晩年を迎えられる、豊かな時代と言えます。
こうした社会では「生きる意思」がなくとも生きていられる訳ですから、意識して生きる目的や理由を自分自身に問いかけていかないとあっという間に時間が過ぎていきます。
だからこそ
「何のために今生きているんだろう🤔」
という問いかけが大切になる訳ですね。
ただし根を詰めて考えてもパッと答えが出るものではないので、『瞑想』しながら1〜2分考え、それで答えが思いつかないなら一旦止めて後日考え直す方が良いです👨🏻🏫
【生き方を選び直す】
ここまでの話を聞いて
「そんなの考えたことなかった😨」
「今さらそんなこと言われてももう遅いよ😭」
「今から自分に何ができるかわからない😵💫」
と、自暴自棄になって考えるのを辞めたくなったかもしれません😔
しかし「過去は過去、今は今」です。
「今までの自分(過去)」に囚われて
「今の自分(現在)」を否定し、
「これからの自分(未来)」を手放す必要はないのです。
これまでの自分を受け入れて、今から生き方を選び直せば良いのです☺️
それは
「できる・できない(条件)」
「やれる・やれない(意思)」
で考える必要もなく、ただ自分なりに、自分のペースで「やる」と決めれば「できる」ものです。
大切なのは「私にはできない・やれない」という呪いから解き放たれること。
あなたにそうした呪いを掛けた人々の言いなりになり続けなくても良いこと。
そして「生き方は『今』選び直せる」ことが大切なのです✨
【先祖たちを想う】
そうして改めて自分自身を見つめ直すと、2023年の『今』に「君たちはどう生きるか」というテーマを採用した宮崎駿監督の慧眼に恐れ入ります。
先に少しお話ししましたが、この問いは2022年では早く、2024年では手遅れなのです😮
選び直せるのは2023年の『今』であり、2023年後半ではいろんな場面で「選択」を迫られることになるでしょう。
しかもその選択は2024年以降に大きな影響を及ぼし、引き返すことのできないものとなります😧
伐採された自然の上にソーラーパネルや風力発電などの『不自然』が作られれば、もう『自然』がそこに生息することが叶わなくなるように。
人々が『自然』を手放し『不自然』を求めるほど、その歪みは災害となって襲いかかることになります😢
それでも「自分」さえ良ければそれで良いという人もいるでしょう。
「今だけ」満たすように刺激を追い求めるのもその人の人生ですから、他人がとやかく言うものではないかもしれません。
しかし、自分たちが今日生きていられるのは、先祖たちが脈々と『自然』を守り続けてきたからです。
人が、生物が生き続けるためには『自然』が大切なのだと、知識(正しさ)ではなく観察(ありのまま)によって理解していた先祖たちが今の社会を見て何を思うか。
お盆近辺で考えるのに、「君たちはどう生きるか」ほど適切なテーマは他になかったと思います。
【まとめ 「君たちはどう生きるか」】
「君たちはどう生きるか」について、長々とお話ししてきました。
今、皆さんの周りにどれだけの『人』がいるでしょうか。
その人たちを「私たち」と、どれだけ受け入れているのでしょうか。
そして「自分の人生は自分で選んだもの」と受け止めることができていますか?
自分にはいくつもの選択肢があって、それは『今』選び直せるものだと感じられていますか?
おそらく「そんなこと考えてもなかった」というのが正直なところかと思いますし、それはそれで「今までの自分」として受け入れてあげてください。
その上で今の、これからの「私」がどう生きるかを見つめ直し、必要なら選び直してみましょう。
2023年が『癸・卯』の「明るみになり、飛び立てるかを問われる年」なのは、折りに触れてお伝えしてきた通りです。
物事が段々と明るみになる世の中では『本物』しか残らない社会となります。
それは「自分の生き方」にしてもそうで、自分の心を騙したまま生きていくのがこれから更に辛くなっていくでしょう😢
この半年間ですら、この事は一人ひとりが感じ取ってきたのではないかと思います。
社会が変わっていく以上、それに合わせて自分も変えていく必要があることも。
もう「できない・やらない」と言っていられるほど猶予がないことさえも。
だからこそ、自分の気持ちに素直になって「私はどう生きるか」を選び取ること。
その先で人とつながり「私たちはどう生きるか」を決めて、実現していくこと。
「君たちはどう生きるか」
人生の分岐点、ターニングポイントは『今』です。
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