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【コト〉ヒトの社会】介護・福祉で虐待が起きるのは『正しさ』に従うから


今回はこの記事を見ていきます。

【記事の概要】



・名古屋市内の障害者向けのグループホームで、入居者に必要な医療を受けさせなかったほか、数日間、着替えをさせずに放置していたことがわかった。

・市は虐待に当たるとして、このグループホームに対し、新たな入居者の受け入れを1か月間停止する行政処分を行なった。


・処分を受けたのは、名古屋市守山区の「株式会社未来サポート」が区内で運営している障害者向けのグループホーム「ピースハウス」。

・このグループホームでは令和4年12月、入居者1人が救急搬送後に死亡したことから、市が、施設内での生活に問題がなかったか調査していた。


・その結果、施設の職員が、この入居者に対し、

◇必要な医療を受けさせなかった
◇最長で5日程度、着替えをさせず放置していた

ことがわかった。

・名古屋市は、これらの行為と入居者の死亡との間に因果関係は認められないものの、障害者虐待防止法に基づく虐待にあたるとして行政処分を行なった。


・グループホームを運営する「株式会社未来サポート」の長谷川勉代表取締役はNHKの取材に対し「処分を真摯に受け止め、社内の聞き取りを進めて今後の対応を考えたい」と話している。


【福祉が食いものにされていく】



昨年愛知県では、別会社の障害者グループホームで食材費を過大徴収をはじめ、複数の報酬不正受給、疑いがある会社がニュースに取り上げられたばかりでした😨

それだけでも恥ずかしい限りですが、調査が進むにつれ虐待まで認定され、倫理観の欠如が著しい実態が明らかにされました😭



食材費過大請求の件では現場の職員さんが自分たちで食材を持ち寄ったことで、どうにか飢えを凌いでいたと言われています🥲



これだけの事件が同県で起きれば、通常であれば身を引き締め襟を正すものですが、そうならなかった訳です😔

そこに「人のしあわせ、ゆたかさ」たる福祉はなく、ただ自分(たち)の目的の為に効率化が図られた末に起きた悲劇だと言えます。

【社会貢献とは】



福祉を「制度を悪用した集金装置」や「利己的な社会貢献」で捉えてしまうと、上に紹介したような事件に発展しかねません。


前者は言うまでもないとしても、後者は「社会貢献したい」と考える方が陥りがちな落とし穴です🕳️



社会貢献を考える上で大切なのは


①自分が社会貢献したいと思うのはなぜか
社会貢献が「逃げ」の理由になっていないか

②自分のやりたいことが社会貢献になっているか
実際に行うことで助かる人の顔と名前が具体的に思い浮かぶか


であり、この2点をクリアしない限り「利己的な社会貢献」に陥ります。


自分が社会貢献したい理由が、別の目的を隠すための表面的な願望なのかもしれない。

あるいは空想上の幸福であって、「具体的に助かる人」が誰一人いないのかもしれない。


「そうした状況に陥っているかもしれない」と、実践者本人が意識できているかが「利己的な社会貢献」と「実態のある社会貢献」の明暗を分ける、と考えられます。

【現実味を帯びる「コト〉ヒトの社会」】



福祉の実践者・実践媒体が『ヒトの価値』を見失えば、後に残るのは「自分(たち)が得られる『コト・モノ』」への執着です。

意識的・無意識的に関わらず「ヒトには価値がない」と感じ取っているからこそ、ヒトの価値を損ねてでも自分の欲を満たそうとする訳ですね👨🏻‍🏫



世の中に便利な『コト・モノ』があふれるほど、その恩恵を受ける『ヒト』は衰退していきます。


たとえば、インターネットや携帯電話のなかった時代は、人と会うのに「この人のことだから」と相手の思考・行動原理、置かれた環境や状態などを想像して判断して待ち合わせたものです。

それが今ではスマートフォンの通話ボタン一つで相手につながり「会う目的」が速やかに達成できる様になりました。


これはとても便利なコトである一方で、ヒトの想像力・思考力を必要としない事態にもなった、と言えます。



こうして想像力を日常で使わなくなっていけば「これをしたら相手はどう感じるだろう」と考えることもなくなり、『ヒト』への愛情を失っていきます😱

そして目の前に出された『便利さ』『正しさ』に乗っかれば全て上手くいくと思い込み、それらを「信じる」ことで自分で「考える」「行動する」ことを手放していくのです。


これが『コト〉ヒト』の社会であり、『便利さ』『正しさ』に人が従う管理社会の現れとなります。


そのための装置の一つが『テレビ』だったことは、社会評論家の大宅壮一氏の言葉、「一億総白痴化」が端的に示しています。

一億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。

「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」

という意味合いの言葉である。

Wikipedia|一億総白痴化



今ではテレビに限定せず、動画配信サービスやインターネットも同様に「刺激が強く、人を快楽に漬け込んで想像力や思考力を低下させるもの」を多分に含んでいます。


その先にあるのが「今だけ金だけ自分だけ」の利己的な個人主義であり、自分のことばかり見るようになった結果、一番ヒトの価値に近い『福祉』でさえ、障害者への想像力を欠く有様となったのです😭


【まとめ】なぜ人は介護・福祉を行うのか



今回は障害者虐待のニュースと、その背景にある『コト〉ヒト』の社会についてお話ししました。


現在の介護・福祉は「方法論」ばかりが重視され、「介護・福祉を行う個人・集団の社会的意義」、すなわち「なぜ人は介護・福祉を行うのか」という『哲学』が欠けているように見えます。

だからこそ目先の課題(コト)の解決が優先され、その奥にいる根本原因(ヒト)が見えなくなっているのではないでしょうか?



今回のニュースは、障害者への想像力・共感性がごく一般的な能力の範囲で発揮されるだけでも回避できたものです。


それらが発揮されずに虐待までに至ったのは

・医療を受けさせる手間と費用が惜しい
・着替えさせなくても(支援には)問題ない

といった利己的な判断が下されたであろうことは容易に想像が付きます😢

そしてその判断を「良し」とする環境が日常的に作られていたこと、すなわち虐待あるいは虐待まがいの対応が常習化し、「それが『便利』で『正しい』」という不文律があったであろうことも。



このように『コト〉ヒト』の社会が進めば、利便性や合理性によって人が管理されるようになります。

それらが示す『正しさ』に適う内は恩恵を受けられるかもしれませんが、その恩恵は「『正しさ』に適わなかったヒト」の代償によって成り立っています😰


その代償となる範囲は『便利さ』や『正しさ』の普及率と比例し、昨今では2020年の新型コロナウイルス騒動がその現象をわかりやすく示していましたね😶


多くの人が世界的組織や国、専門家あるいはインフルエンサーの示す『正しさ』に従うことで自ら管理されることを望みましたが、その結果感染がどのような経緯を辿ったのかは、皆さんご存知の通りです。



2023年から既に『正しい』と言われてきたことの正体が明らかにされて来ていますが、2024年以降もこの流れは続いていきます。


『正しさ』というものは


A:『自然』の摂理に基づいた中で人間が証明できたもの

B:『自然』の摂理を模倣あるいは改ざんして人間の都合に合わせたもの


この二つに分けられますが、今の社会はAの中にはBを紛れ込ませることで利益を得ようとするものが蔓延している状況です😨

ですから一言に「正しい」と言われても、それが自然の摂理に則った揺るぎないものなのか、人が人を騙して利益をむさぼるためのものなのかを見極める必要があるのです。


その為に「想像力・思考力」が必要なのですが、長年その力を損なわせてきたモノが発信する『正しさ』を信じる人が多いのが現状なのは、先の新型コロナウイルス騒動の例で示した通りです🥲

加えて、一番『ヒト』に近い介護・福祉に携わる人々ですら『正しさ』信仰に陥って「管理側」に回るのだとしたら、今回のような事件が収まることはないでしょう😔



人はなぜ介護・福祉を行うのか。

それは日常生活を営む『機能』を提供することだけに留まらず、どのような人であってもそこに「在る」ことに『意味』があることを社会に伝える為です。


だからこそ、介護・福祉においては

ありのまま(個人の尊重)
お互い様(相互自立支援)
想い紡ぐ(社会福祉実践)

が何より大切で、ここ抜きに『介護・福祉』はないと言えます。



この他にも介護ブログや読書ブログを運営しています。

今回の記事に共感してもらえたり、興味を持ってもらえたなら、ぜひご覧ください☺️  


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