ひごみなと

人生にどう折り合いをつけて生きていくか模索中のアラサー。 何者かになりたいけど、なれな…

ひごみなと

人生にどう折り合いをつけて生きていくか模索中のアラサー。 何者かになりたいけど、なれない人生を後悔せずに楽しみたい。

最近の記事

何のために産まれて何をして生きるのか(アンパンマン)

何のために産まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ これは、アンパンマンのマーチの歌詞の一部だ。 この曲を聞いたことない人はいないのでは!?というくらい有名な曲である。 周りにはそんなことで!?と言われたのだが、私が地元を離れて上京をすると決めた理由の1つがこの曲だ。 何のために産まれて、何をして生きるのか。なんて本当は明確な答えは必要無いのかもしれないが、この歌詞が頭に浮かんだ時に、私は歌詞通り何のために産まれて、何をして生きるのか答えられな

    • 私は大人になった。だから、「運が良い」と言う。

      私は、運が良い。 と思う… なぜかと言うと、今まで人に恵まれて生きてきた。 色んな人に可愛がって貰えるし、親切にして貰えることが多い。 例えば •職場の上司が困った時に優しくアドバイスしてくれる •スーパーの店員さんがレジで「今日は休みなの〜?」って声をかけてくれる •お箸を多く付けてくれる とか 所詮、そのレベルだ。 だけど、この程度の親切を嬉しく喜べる私は単純な人間でやっぱり運が良い。 振り返れば、小学校も中学校もいじめとまでは行かないが、仲間外れにされたし、大

      • 東京で暮らしたとて、華やかな生活ではない。

        東京で暮らし始めた私の愚痴と思って見てください😵‍💫 東京で暮らし始めて1週間が経ちました。 でも、家と仕事の往復で東京に住んでる実感がなーい。 東京で暮らしているからといって、渋谷や麻布十番、世田谷などよく耳にする場所に行くわけでも無く、推しと同じ東京都に住んでるからといって、出会えるわけでもなく、よく聞く港区女子になんて一生なれない。 東京で暮らしたとて、華やかな生活なんて無いのが現実😔 ましてや、物価高いし。 魅力的✨、上京したくなる魔法🪄、挑戦できる街💪🏻と

        • 多くの人は25歳で死ぬらしい

          ベンジャミン・フランクという人によると、"多くの人は25歳で死ぬ。しかしその後75歳になるまで埋葬されない。"らしい。 この言葉を知った時に、自分の中ですごく腑に落ちた。 要するに、25歳で夢や希望、挑戦を辞めてしまい、そのまま気持ちが死んだまま、身体は75歳で死ぬのだと私は解釈した。 何かをするのに年齢は関係ないとはよく聞くが、今のところ関係大ありなような気がしている。 年齢の壁はどうしても越えられない時がある。 私は、アラサーにもなって俳優になりたいという夢がある

        何のために産まれて何をして生きるのか(アンパンマン)

          東京暮らし1日目

          東京に向かう新幹線の中で、ふと思った。 あれ?思ってたより寂しくないかも。やっていける気がする!と。 自分が暮らす部屋に着き、ガスの立ち合いやらなんやらでバタバタした後、急に寂しさが込み上げてきた。 標準語がより寂しさを掻き立てる。 挑戦したがりのくせに、臆病で心配性な私は不安でいっぱい。 地元に帰ることばっかり考えている。地元に帰って、新しい仕事の面接を受けたら「どうして東京に行こうと思ったの?」「関西に帰って来ようと思った理由は?」とか聞かれるんだろうな〜。とか家

          東京暮らし1日目

          アラサー、ついに実家を出る時がきた。

          この前、28歳になった。 産まれてこの方、実家を出たことを無ければ、地元を離れたこともない。 そんな私がついに実家を出る時がきた。 地元を離れたことのない私は何を思ったのか、東京で一人暮らしを始める。 東京で暮らすことや、東京でやりたいことをやるのは目標の一つだったため決意をした。 けど、正直な話、周りの結婚やキャリアを積む姿を見て焦ったから急いで決意をした。 20代後半、何かをするには今がギリギリかも。という焦りが大きかったのは事実。 自分を大きく変えるには、環

          アラサー、ついに実家を出る時がきた。

          何者かになりたい私は

          私は何者かになりたい気持ちが強い。 何者かになりたいって言われても、何者って何?って感じるだろう? 大丈夫。 何者かになりたい私も、自分自身が何者になりたいのか分からないのだ。 具体的に言うと、なりたい姿が多すぎてどれに突き進んで行けばいいのか分からないっていうのが本当のところ。 私は子どもと関わることが大好きだ。 子どもとたくさん笑いながら働く自分も大好きだ。 特に、障がいのある子どもや不器用な子ども、生きづらさを抱える子ども達のためになることをしたいと強く思って生きて

          何者かになりたい私は

          人生はスタンプラリーじゃだめ??

          私は人生をスタンプラリーだと思って生きてきた。 どういうことかと言うと、人生にはやりたいことがたくさんある。美味しいご飯を食べたい、海外に旅行に行きたい、なりたい職業に就きたいなど内容は人それぞれ。 これらの、やりたいことを一つのスタンプラリーカードにしたとしたら、私はスタンプを埋めないと気が済まない。 そう思いながら、一つずつスタンプを押しながら生きてきた。だからこそ現段階ではやりたいことばかりしてきた人生のため後悔はない。 しかし、アラサーになり、もしかしたらスタン

          人生はスタンプラリーじゃだめ??

          叶いもしないのに、推しにリアコ

          私には推しがいる。 推しの存在は、人生を充実させるためには必要不可欠であり、私にとって心の栄養だ。 リアコという言葉を聞いたことはあるだろうか? リアコとは、推しにリアルに恋をしているオタクのことである。 私は推しにリアコだ。 よく周りには「現実見なよ」「付き合えるわけないのに」「現実にもいい人いるよ」と言われる。 全部、その通りだ。これらの言葉を聞いてぐうの音も出ない。 なぜにリアコになってしまうのかというと、私はよく知っている人しか好きになれない。 これを聞くと、

          叶いもしないのに、推しにリアコ

          人生100年時代

          最近、人生100年時代という言葉をよく耳にする。 人生100年もあるならば、やりたいことをたくさんして後悔しないように生きねば!とすごく思う。 人生は、選択の繰り返しだ。 自分の人生を自分で選択して生きていかなければならない。 だからこそ、上記で書いたように、後悔しない選択をして生きたい。 と思う反面、人生を後悔しないように選択をするということは、なかなか難しい。なぜなら、人生100年時代にも関わらず、10代20代での選択が人生に大きな影響をもたらすような気がするから

          人生100年時代

          何にでもなれると思ってた子どもの頃

          子どもの頃、夢があった。 6歳から10歳までは警察官。 困ってる人を助ける人になりたかったから。 10歳から11歳まではパティシエ。 同級生達の中で、将来の夢=パティシエが流行ってたから。でも、甘いものが嫌いで辞めた。 11歳から27歳までは特別支援学校の先生。 不器用な私は、不器用な子ども達の人間らしさと愛おしさをすごく感じたから。 実際に、講師という形だが、夢を叶えた。 子どもの頃は、何にでもなれると思っていた。 けれど、大人になるにつれて、自分の能力と年齢と現実

          何にでもなれると思ってた子どもの頃