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「存在」が揺れる 泣かないでショップガール

 哲学や政治や歴史を知るのが「なんだか」カッコいいことだと考えていた。外国語に親しみ外国紙を読み、海外の情報を得る、あるいは外国語でのコミュニケーションをとることで自尊心を鼓舞してきた。文学に親しみ、自分でもなにかを「書く」「表現する」ことがゾクゾク嬉しかった。

 でもね、最近なにかが変わってきた。
 そういうこうことだけじゃないんだよ。
 
 古い映画を観た。You've Got mail
   トム・ハンクスとメグ・ライアンが共演する懐かしい恋愛映画だ。好きなシーンがいくつかある。

 ①メグ・ライアンが恋人に隠れて謎の男とメールのやりとりに取り掛かる冒頭シーン。着ているパジャマのゆったりしたサイズ感と上着のショート丈がなんとも可愛らしい。
 ②スーパー・マーケットでキャッシュオンリーの列に並んだメグ・ライアン、カードで支払おうとするが、レジのインディアン系あるいはヒスパニック系女店員に「ここはキャッシュオンリーだ」と冷たく拒否される。そこにトム・ハンクスが現れ女店員のネームプレートを読み「ローズ、ステキな名前だね。サンクス・ギビングデイ、ね、ローズ、今日はカード支払いにしてもいいんじゃないかな?」と金持ち白人男の余裕を見せつけ女店員に圧力をかける、女店員はランクの高い(アメリカは差別と階級の国だ)白人金持ち男に声をかけられぽおっと頬を染め、丸い笑顔を見せる。結果、メグ・ライアンはカードでの支払いに成功する。支払い後メグ・ライアンがローズに謝ると、ローズは笑顔をひっこめ、元のクールな女店員に戻る。
 ③ラスト・シーン。謎の男の正体がトム・ハンクスだと知ったメグ・ライアンが女の涙を流す。
 トム・ハンクスのDon't Cry shopgirl.という台詞が好きで好きでたまらない。
泣かないでショップガール、泣かないでベイビー、泣かないでは泣いてもいいんだよ、にも聞こえる。泣いてもいいんだよ、こんなことを男に言われてみたい、一度でいいから誰かわたしに「泣いてもいいんだよ」と言ってくれ、などと野心が燃える。

 そうなのよ。哲学や政治、歴史あるいは文学そして音楽、どれも人生を彩る大事な要素ではあるけれど、男に「泣いてもいいんだよ」と言われたい。それしか考えられない低俗でくだらなくて情けなくて愚かな女であることも、実はわりと自分にとっては大事なこと。ためしに旦那に言ってみる。
「Don't Cry shopgirl」と言って。
はあ?
「泣かないでベイビー」と言って。
はあ?
「泣いてもいいんだよ」と言って。
狂った?
 チクショウ。現実と映画はまったく異なる。映画のヒロインのように暮らすのはやはり難しい。生活は「恋」や「情」や「せつなさ」のみでは成立しない。食器は洗わなければたまるし、洗濯物を畳まずに放置すると部屋はどんどん狭くなる、雨の日にサンマを食べたければスーパーに行ってサンマを買わないとサンマは食べられない、もっともむかしはスーパーは存在しなかった、人々は魚屋さんでサンマを買った、もっとむかしは魚売りからサンマを買った、もっとむかしは?もっとむかしの一般日本人はどうやってサンマを手に入れたのかしらん?

 サンマはどうでもいい。
 旦那が「泣いてもいいんだよ」を言ってくれないので、他の男を探してもいいのだが、当方すでに還暦過ぎのおばあちゃまである、「泣いてもいいんだよ」などとささやいてくれる親切な男はどこにもいない。仕方ないので文章を書きあるいは外国語を学ぶなどにすごすごと戻る。

 だってそうじゃない?
 日本には今、何もない。資源もないし、食料だってほぼ外国に依存している。狂ったアメリカが日本から手を引けば日本は手足をもがれた「生のひ弱な国」でしかない。30年後のこの国がどうなるか?考えると気持ちは暗澹とする。と、こんな風に話を拡大させる必要はない。
 思考の公式が昔とは異なるのだ。昔は「頑張る・努力する」ことで「成長する」「豊かになる」「幸せになる」のが一般公式だった。でも今は「頑張る・努力する」ことでしか「生存維持」が難しい。
「好きで生まれてきたわけじゃないもん」を若い人の口が思わず漏らしたとしてもその言葉をわたしは強くは否定できない。

わたしは「好きで生まれてきたわけじゃないもん」とはさほど思わない。この世に生まれたことに誇りと感謝と愛しさを抱くことにようやく辿り着いた。つまりなんとか生きてきた。けれど暗黒の時代に突き進もうとする今、たとえば突然切れる蛍光灯や正気を失った犯罪者たちの狂った眼差しが、「存在」の根本的不安を象徴しているように思えてならない、これも事実だ。

 「存在」が揺れる。
 泣かないで。
 眠れないの。
 泣かないで。
 みんしゅしゅぎ、って何?
 泣かないで。
 
 ともかくひとは今日もなにかを食べ、なにかを考え、あるいはなにも考えず、誰かと話し、誰とも話さず、汗を流し、泣き言をいい、泣き言をいわず、排泄し眠気をこらえ、そうやって生きていく。それだけでわりとご苦労さんだと切に思う。

 
 
 
 


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