前田 謙|Maeda Ken

1995年 佐賀県生まれ/エリアマネジメント会社勤務/ソシオファンド北九州 理事/エリ…

前田 謙|Maeda Ken

1995年 佐賀県生まれ/エリアマネジメント会社勤務/ソシオファンド北九州 理事/エリアブランディングとか地域連携とか/徒然なるままに…

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    ソシオファンド北九州のパートナー(メンバー)が、日々感じたこと、考えていることを書き綴っています。

最近の記事

年の瀬は、人生を考えたくなってメランコリックモードになる。特に今年は、尚更。

10年前といえば、2010年。齢15歳。中学3年生で高校受験追い込み期&県選抜バレーボールチームの一員として、都道府県対抗の全国大会が開催される大阪へ乗り込んでた頃。 10年後といえば、2030年。齢35歳。キャリア的にもプライベート的にも転機を迎えている予定の頃。世の中的には、SDGsの区切りの年として世界各国の達成度がドラスティックに評価され、このままいくと日本全体が世界から取り残されていることを痛感しているであろう頃。 ・・・・・・・ (※なぜ急に重い腰を上げて半

    • 最近の関心事を通して、「ぼくの新しい行動様式」について考えてみた話。

      パラダイムシフトを迎えつつある今、これからの中長期的な視点に立ったうえで時代の潮流を捉えつつ、考えることに費やす時間が増えたような気がする今日この頃。 そんななかこの1か月ほどのぼくの個人的な関心事は、「地域資源を活用した、withコロナ版の公共空間活用」です。 福岡県北九州市八幡東区のJR八幡駅前「停車場線」(通称:国際通り)でも、このエリアのシンボルである幅員50mのケヤキ並木が400mに渡って続く駅前とは思えない緑豊かな景観を生かした、歩道利活用事業に注力しています

      • あくまでも素人目線で、ツーリズム(観光)とそこから波及していく何かしらについて考えてみた話。

        最近、ツーリズムに関する話題を耳にすることが多々あり、その都度じぶんのなかで咀嚼しながら、事業アイディアが浮かんだり浮かばなかったりしている今日この頃です。 そんななか昨晩放送されていた経済番組でも、ひろい意味での「ツーリズムのいま」を捉えた特集が放映されていました。 (この番組の放映内容は今回割愛するとして...) 「越後湯沢行きたいなぁ~」「人生で一度くらいは、どこかしらの星のやに泊まりたいなぁ~」「OMOレンジャー、素敵だなぁ~」という感想だけ残しておきます。

        • 万物がオンライン依存になりつつあるいま、あえてデジタルデトックスしてみる話。

          どうしても画面を通して質量のないものと向き合うことが増えてしまっている今日この頃。 家に居たら居たで何かとやることがあるわけで、今日は朝からずっと、溜まっていたいくつかのタスクをパソコン画面を前にして格闘していました。 ふと一息ついたところで、ちょっとお散歩へ。 久々にランニングシューズを靴箱から引っ張りだして、人知れず個人的なデトックススポットへ歩みを進めました。 こうみえても(?)、元々はぼくもアスリート気質でして、幼いころから水泳[保育園~小学6年生まで]・野球

        年の瀬は、人生を考えたくなってメランコリックモードになる。特に今年は、尚更。

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        記事

          何気ない毎日にも、当然のごとくカウントダウンはあるわけで。

          何となく家でTEDの動画を観てたら、ちょっといろいろと考えさせられたので、今日はそのことを備忘録的に残しておこうと思います。 Stay Homeが要請されてもう久しくなりましたね。 働き方や生き方そのものを見直さざるを得ないような気がして、ある意味では「人生のサバティカル」に突入していると捉えることも出来るかもしれません。 そんなどこか混沌とした毎日のなかで、ふと考えてしまうことがあります。 もし、何でもない日常のカウントダウンがみえたら、果たして自分はどんな言動を選

          何気ない毎日にも、当然のごとくカウントダウンはあるわけで。

          学生時代のレポートを振り返りつつ、だいぶドライな角度から人間関係を考察してみた話。

          2020年のGWも2日目が終わろうとしています。今日は、「戦略的堕落」(ものは言いよう。)に1日を費やしながら、学生時代のレポートを見返していました。 現代社会は「記号」の消費で成り立っている。しばしば、「シニフィアン(signifier)」と「シニフィエ(signified)」とバルトが呼ぶ、「物質そのもの」と「意味・用途」によって構成されているというわけである。これらは、二つで一つの存在で初めて成り立つのであり、「物質そのもの」のみでは存在していない。何らかの「意味・用

          学生時代のレポートを振り返りつつ、だいぶドライな角度から人間関係を考察してみた話。

          Zoom飲みをやってみてる話。

          今晩初めて、Zoom飲みとやらに参加してみました。 (このnoteも飲みながら書いてます。すみません。) 福岡、静岡、岩手をつないで物理的な距離の都合で普段はコミュニケーションが取りにくいひとたちと繋いでみました。 オンラインとはいえ、学生時代につながりを築けた先輩と同級生で久しぶりに会えたことは心地よかったですし、案外悪くないなぁと思います。 それぞれがそれぞれの立場で、コロナショックのなかで悩みながらもやりがいを感じている様子が伺えました。 学生時代にボランティ

          Zoom飲みをやってみてる話。

          何やかんやで、たぶん真似しながらでも動いてみることからしか始まらない気がする話。

          ぼくが大学に入学して初めてレポート課題が出されたときに考えたことは、「オリジナルって何さ。」ってことでした。 ちょうどぼくが大学に入学した頃は、論文の剽窃だとか、コピペだとかいう"テクニカルターム"が声高に語られていて、たぶん世に出すあらゆる作品に対して「オリジナルかどうか。」が価値判断のひとつになっていたような感覚を覚えています。 そんななか、前田青年はレポート課題の作成に先立って講義で説明された「引用文献は正確に明記すること。」という言葉がよく理解出来ていませんでした

          何やかんやで、たぶん真似しながらでも動いてみることからしか始まらない気がする話。

          変わったこと、変わらないこと。

          この数か月で、私たちの生き方が加速度的に変わってしまいました。 (「変わってしまいました」というよりは「変わっています」という表現のほうが適切かもしれませんね。) いまはどんな些細な何気ないことにしても少なからず、感染拡大のリスク、いまをどう生きるべきか、その先の未来にどのような影響を与えるか、を意識的に考えた言動を取るようになりました。 俗に言うゴールデンウィークを前に、最近ぼくの身の回りに起きた変化を備忘録的にまとめておこうと思い、今日この瞬間にnoteを書いてみま

          変わったこと、変わらないこと。

          リスクヘッジ。

          2016年5月2日(月)の夜。 ぼくは、熊本市北区にある熊本保健科学大学の多目的アリーナで他大学の学生たちとともに、それぞれの寝袋にくるまっていわゆる雑魚寝をして過ごしました。 確かこのときは、大学の先遣隊として発災から間もない現地の災害ボランティアセンターにはいり、自分に何ができるかわからないけど何かしなきゃいけないと思い行動した記憶があります。 この「自分に何ができるかわからないけど、何かしなきゃいけない。」という感情は、悲しいかな2020年4月12日のいま起こって

          リスクヘッジ。

          いまおもうこと。

          今日から、社会人3年目。 今日から、初めて勤務先にも後輩ができました。 社会人生活を見直すいいきっかけをいただけたと感じるとともに、これからの人生を考えるタイミングにもなっています。 誤解を恐れずに言うとぼくの仕事は、 まちを舞台に、まちのひとたちといっしょになって、まちをよりよくしていくこと。 です。 先日とある方の「生き方」の話を聴きました。 まちに住み、まちのひとになり、まちごと素敵な方向に導き、まちで仕事を生み出し、何よりも暮らしを楽しんでいるような生き方

          いまおもうこと。

          他人だから、言えること。

          中3の卒業式の日。そのときぼくは、地元である佐賀県佐賀市の大型娯楽施設にいました。中学校の卒業式が終わり、夕方からの謝恩会までの時間を友人たちとボーリングをしながら楽しく過ごしていました。 何気なく傍らに置いていた、両親に買ってもらったばかりのスマホにテキストでの速報ニュースが通知されていました。初見では、何のことかよくわからず見過ごしていたような気がします。 しかし、そろそろ謝恩会会場へ移動をしようとした際、車で迎えに来てくれた友人のお母さんから「ちょっと、いますごいこ

          他人だから、言えること。

          大学時代に書いたレポートを見直してみた①

          まずは、大学1年生の頃に書いたレポートの一部をそのまま抜粋。「オリンピック」をはじめとする世界大会は、自国民のナショナリズムを掻き立てる絶好の機会である。日本人の場合で考えると、日本に住む日本人はもちろんのこと、日本国外で生活する日本人が「自分は日本人である」という認識をこのときほど強く感じることはない。誤解を恐れずに言うと、母国で生活している限り、このような全世界の人間が注目し、競い合う世界大会などのときにしか、「自分は日本人である」と感じることはないのかもしれない。 だ

          大学時代に書いたレポートを見直してみた①

          日常をみつめる。

          何かと、きな臭くなってきた今日この頃。 世界を動乱の渦に巻き込む“アイツ”のお陰で、経済損失は未だ計り知れない状況です。いつ、自分の身にもこの脅威が、自分事として、襲い掛かってくるか戦々恐々となってしまいそうです。 昨日までの日常が、今日には“制限”の対象となり非日常になってしまう虚しさ。 「大切なモノは失ってはじめて気づく」的なことは昔からよく言われているようですし、失ってからではもうどうしようもないモノもあります。 失いそうって何となくわかっていながらも、結局抗う

          日常をみつめる。