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他人だから、言えること。

中3の卒業式の日。

そのときぼくは、地元である佐賀県佐賀市の大型娯楽施設にいました。中学校の卒業式が終わり、夕方からの謝恩会までの時間を友人たちとボーリングをしながら楽しく過ごしていました。

何気なく傍らに置いていた、両親に買ってもらったばかりのスマホにテキストでの速報ニュースが通知されていました。初見では、何のことかよくわからず見過ごしていたような気がします。

しかし、そろそろ謝恩会会場へ移動をしようとした際、車で迎えに来てくれた友人のお母さんから「ちょっと、いますごいことになってる。」と鬼気迫る様子で知らされました。

それからというもの、続々と”被災地”が映像として映し出され、日に日に現実味を帯びた日本経済の動乱が押し寄せてきました。

これまで何ができただろうか。

まもなく、「そのとき」から9年を迎えようとしています。

悲しいかな、ぼく(たち)が高校時代から大学時代を過ごした2011年から2018年の間にも、「想定外の災害」が全国各地で頻発しました。そのたびに、自分自身の身の安全と生活圏のなかでの混乱がないことを確かめるようにして、今日までの毎日を過ごしてきました。

時には、「もしかしたら自分なんかにも、何かできるかもしれない。」と思い、現場に向かうこともありました。

でも、そのたびに冷静になって感じるのは、

「どれだけ想ったとしても、他人であることには変わりない。」ということです。

実際に、発災日が近づくにつれてそのときだけアニバーサリー的にしか思いを馳せなくなってしまっているという現状も、「他人」であることを体現してしまっているのかもしれません。

コロナショックのさなか...

今年も、この週末くらいから各メディアで「身を守るために」とか「あのときのあの子供たちは」とか「遠くにいても私たちは忘れません」とかいうテーマの特集記事や番組、広告などをよく見聞きするようになりました。

いま、わたし(たち)ができることって、一体何なのでしょうか。

大学時代、ともに災害ボランティア活動に取り組んでいた友人が語っていた言葉をよく思い出します。

「忘れられることが、一番辛いんじゃないかなぁ。」

最後に

今回は、こんなときにしか思いを馳せることしかできない自分の未熟さに自戒の意を込めてつらつらと書き殴りました。

幸い、いまのぼくには全国各地に友人や知り合いがたくさんいます。そのなかには、「被災地」となった場所でいまも懸命になって活動を続けているひともたくさんいます。

ぼくたち1995年生まれは、世間からさまざまな呼ばれ方をされているようです。

「完全ゆとり世代」「さとり世代」「Z世代」「人生ハードモード世代」etc.

個人的には好きにお呼びいただいて構いませんが、これだけは明確に言っておきたいと思います。

この世代、この時代、この社会。ぼくらは、奇しくも節目節目でいろんな壁に直面するけど、案外悪いことばかりじゃないよ。楽しめてることとか、よりによって人生の節目的なタイミングで壁にぶち当たったことが好転してることもあるよ。だから、諸先輩方なめんなよください。

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