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あくまでも素人目線で、ツーリズム(観光)とそこから波及していく何かしらについて考えてみた話。

最近、ツーリズムに関する話題を耳にすることが多々あり、その都度じぶんのなかで咀嚼しながら、事業アイディアが浮かんだり浮かばなかったりしている今日この頃です。

そんななか昨晩放送されていた経済番組でも、ひろい意味での「ツーリズムのいま」を捉えた特集が放映されていました。

(この番組の放映内容は今回割愛するとして...)

「越後湯沢行きたいなぁ~」「人生で一度くらいは、どこかしらの星のやに泊まりたいなぁ~」「OMOレンジャー、素敵だなぁ~」という感想だけ残しておきます。

さてそんなこんなありまして、数年前に購入してうちの本棚に並んでいた観光社会学の本をもう一度手に取って読んでみることにしました。

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『ツーリズムとポストモダン社会 後期近代における観光の両義性』

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まだ全部は読み返せていませんが、目次から気になった『第2章 「地域の虚構化と観光化」』という章を読んでみて、いまぼくなりに感じ取ったことを記してみます。

観光に求められてきたもの。

とはいえ、”課題図書”の前情報もなしにいきなり持論を書き並べても仕方ないので、手始めにこの章で今回ぼくが注目した著者の考察をご紹介します。

観光文化は本質的に虚構性を持っており、物質的な基盤によって成り立つ生活のリアリティとは対比的な位置にある。古くから流行した巡礼や湯治のような伝統的習慣を伴った観光の虚構性は、生活における日常性からの差異によって成立し、維持されていたのである。

つまり、この部分で言われていることは俗に言う、「観光とはもともと、その場に受け継がれてきた伝統と文化から逸脱するイベント的な位置づけ(≒非日常)であった」ということです。

ぼく自身も、国内だけでもいくつかの風土に足を突っ込んでいますが、その目的はなんにせよ、少なからず「ヨソ者」という身分でその環境に赴き、非日常性を味わっています。その時々のアウラを楽しんでいます。

考え方次第。伝え方次第。

こういう意味では、「特に何もしないでも、受け取るひとによってはどこでも観光地になりうるし、どんなことでも観光になるのではないか。」とも思います。その風土で暮らしているひとでも、ほんの少しだけ目線を上下左右させるだけで「観光作用」は享受できるのではないでしょうか。

一方で、日本の”風景”がどこへ行っても同じようになってしまい、地域の個性が大量消費社会・資本主義社会の波に飲み込まれる「ファスト風土化」(三浦 展)が蔓延した現代社会の背景には、移動が簡便になったことが挙げられます。「日常/非日常」の範疇が変容したとも言い換えられるかもしれません。

捉え方次第?

「移動」という武器が封じられてしまったいま、捉え方次第では「ファスト風土化」を見直すチャンスに来ているのかもしれません。

「あ、意外とうちから出なくても何とかなるじゃん。」となりつつあるいまは、「あえて、わざわざ足を運んでみたくなる場」の構築が不可欠だと思います。

この設計を怠れば、地方都市のみならず、中心市街地でさえもすぐに廃れてしまうのではないかと危惧しています。

これは、外部からの流入人口を増やすということよりも、いま内側にいるひとたちを逃さないという戦略も効果的なのかもしれません。むしろ、この戦略のほうが、現在の巣ごもりフェーズには合っているかもしれません。

ってことで、最近の個人的キラー概念「マイクロツーリズム」の出番ってわけですね。

んじゃ、何する?

オンラインの世界は、つながりたいひととダイレクトに、効率よく、大量に、つながることができます。(いわゆる、「ハブアンドスポーク」のようなものでしょうか。)

全く悪いことだとは思いません。むしろ、せっかちな性格のぼくにとっては好都合です。

でも、本音を言えば(というか、職業柄なのかもしれませんが、)「本来あるべき地域性」は失いたくありません。

「これまで以上に内部のひと同士を結び付け、何気ないことを価値に昇華して、エリアを丸ごとブランディングしつつ、地域経済を循環させる。」

...あ、これって自分が元々やりたくて、細々とやってきたことじゃん!!

スピード感。

ただ、ぼく個人が問題なのは、「いまだに成果が顕在化してないこと。」

地域のコンセンサスを得るには、それなりの信頼感と、説得力と、推進力が必要です。

でも、さすがにアフターコロナの社会を考えると、そろそろギアを数段階上げていかないとマズイ気がしてきました。つべこべ言わずに、やるしかないですね...。

そろそろ学生時代からいままでの伏線を回収していきますので、もろもろの情報解禁までしばしお待ちを。

まとめ。

ツーリズム(観光)という導入から、一見関係がない話題へと展開していきましたが、この思考展開こそが今回のnoteでぼくが表現したかったことです。

伝わりましたかね?

ぼくは基本的に「物事は伝わらない。」という前提に立った言動を取っていますので、特に気にしません。モヤモヤした感じでも、まぁそれはそれで結構です。

ってことで、今日は若干ぬるっとした感じで、締めますね。

お粗末様でした。

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