青木円香

蝦夷地の雑文書き。ミニ・エッセイ。食や音楽。ギャラリー・美術館・博物館、劇、たまに推し…

青木円香

蝦夷地の雑文書き。ミニ・エッセイ。食や音楽。ギャラリー・美術館・博物館、劇、たまに推しのことも。

最近の記事

推し休みがはじまった

やめることにした 正しくいえば、一旦休むことにした いくつかの学会、同好会、ファンクラブを。 今、活動しているもの(または活動の余地のあるもの)を残して。 冷めたり嫌いになったわけではないから、これからまたそれに戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。 ただ、見える世界が変わってしまった、それだけのこと。 「好き」や「個人活動」の場は、自分のペースで続けてていた。対価として、会費やわずかなグッズ費用を支払い、たまに発表の場でささやかなデータ提供をすればいいだろう、と思って

    • ゆっくり忘れていく

      あの花の名前は、木の名前は、さえずっている鳥の名前は、その間をせわしなく飛び回っている虫の名前は あの曲がり角にあった店の名前は、同じクラスにいたあの子の名前は、あの人の好きだった曲は 思い出せない 出会ったことがあるはずなのに あたりまえに呼んでいたはずなのに 電子機器かパソコンなら、とうの昔にスクラップされていた私は、這いつくばってここにいる 色々な説教や正論に耳を塞ぐ これからどれだけ忘れて、そのうちのどれだけを思い出せるのだろうか 追加 その子の名前は、なんてこと

      • 振り替えると時代になっていた時間

        5年ほど前に同人誌に執筆した小説を、ラジオドラマ用に書き直している。 80年後のこの街で、双子が祖母のために小さな冒険に出る話だ。 新型コロナウィルスの感染拡大など想像できないだったが、海の向こうから確実に忍び寄ってきている、そのような時代だった。 作品には賛否両論があった。「今、ここにある時代」ではなく「もしかすると、訪れるかもしれない未来」を描いた作品だったから。 できれば、そうなってほしくない事件も、望みも祈りも描写した。いつか読み返したとき、こたえあわせをしよう、と

        • 砂時計とベリーダンス

          誕生日を過ぎた朝、珍しく夜明け前に目覚めた。 何気なくSNSを眺めていると、悲鳴や叫び、そして追悼のコメントが流れてきた。 呆然とした。 まさか、と、ただ信じられなかった。 つい先日『セクシー田中さん』の最終回を観て、清々しい気持ちになったばかりだった。 あの日読んだ『砂時計』は、心の支えの一つになってくれた。 物語の登場人物は皆、どこかに誰でも持っていそうな欠点やコンプレックス、トラウマを抱えていて、一歩踏み出していく。 「実在する人間は、白黒どちらかではない。それを描写す

        推し休みがはじまった

          コーヒーと宿り木

          職場までの道をホットコーヒー片手に歩く。 巷の記事は、芥川賞と直木賞の発表でもちきりだ。 その中で彼女のつぶやきは毎日更新される。 子育て、手作りの料理、やりがいのある仕事、優しい夫とのささやかな日常。 遠い昔、交遊関係の広さや手にいれた本や服を披露していたように。 知ってるよ。独りなんでしょう。虚しいから、見てもらえないから、ささやいているんでしょう。 かつての友人たちも、今や誰も足跡をつけていない。 頭の上には宿り木が。普段は隠れているが、落葉すると宿主の枝葉があらわにな

          コーヒーと宿り木

          街底の創作のたまご

          行きつけのクリニックで、かわいいピアスを見つけた。小さな三日月に、銀色のうさぎがぶら下がっている。 「デイサービスに通う利用者さんが作ったんです」 通りがかったスタッフが教えてくれた。 自分の耳にピアスホールが無いのが少し残念に思えた。 手作り小物出品の催しが行われると、参加希望者で溢れかえるらしい。ギラギラした熱気が苦手で足を運んでいないが、毎年盛況だと聞く。 自作のイラストや写真、詩や小説を一緒に並べる人もいるとか。 利益を出すだけではないが、対価が一番分かりやすい評価

          街底の創作のたまご

          なにものでもなくていい。

          YouTubeから、YOASOBIの「群青」が流れてきた。 『好きなものを好きだという、怖くてしかたがないけど』 このフレーズを、誰かに聞かせたい。 ルッキズムや肩書き、カーストやヒエラルキーとやらに縛られている、昔の、今の、未来の誰かに。 「もう頑張りたくない、でも、何者かでないと存在してはいけない」と怯えていた、あのときの自分に。 外から、色づいた広葉樹の放つメープルシロップのような香りがした。 静かに秋は始まっている。

          なにものでもなくていい。

          夏を見送る

          気がつくと今年も8月15日になっていた。 咲き誇っていた百合の花も、最後の一輪になっていた。 動かない心と身体で、“向こう側”にいる、あの人たちを思い出していた。 最後の白きユリ 見送る終戦の日

          ウーマンラッシュアワ―村本大輔に笑った理由と言葉たち

          最初に断っておくが、これは政治・宗教の思想信条に基づいたことには全く触れてない。 あくまでも『表現者としてのあり方』を自問自答したものだ。 ○スタンダップコメディー 知人に誘われて、ウーマンラッシュアワーの村本大輔のスタンダップコメディーを観てきた。 マイク一本で、数秒の小休止を挟みながら社会情勢と「あるあるネタ」を絡めてテンポ良く小ネタを披露する。 言葉選びも伏線回収も秀逸で、毒の効いたシニカルな芸風の好きな私は、一時間笑いっぱなしだった(ちなみに、他の方に聞くと、その

          ウーマンラッシュアワ―村本大輔に笑った理由と言葉たち

          ひとりでいきる

          ひとりでいきる覚悟をした。 節目の年を過ぎて子が巣立ち、独り身に戻った。 これからどうするか悩んだ。 少し前まで独身だった人の左の薬指に、いつの間にか指輪が光っているのを見ると、相手が誰であろうと焦りと孤独に飲み込まれるようになっていた。 そのたびに、婚活に時間とお金を注ぐか迷った。お見合いパーティーや結婚紹介所、マッチングアプリで伴侶を見つけ、幸せな家庭を築いている人々も知っている。だから選択肢の一つとして真剣に考えたが、私の出した答えは「ひとりでいきる」だった。 生業

          ひとりでいきる

          アメリカン・レモネード

          「お勧めのカクテルをお願いします、ワインかビールで」 バーテンダーはゆっくりうなづいて、ワインのボトルを取り出した。 長かった髪の毛を、数日前に切り落とした。髪を切って周りに騒がれるれる年齢では無くなっていたが、さすがに周りの人は少し驚いたらしい。 4年間働いていた職場を異動することになった時、決別した。 負けたわけじゃない、先に進むことを決断しただけ。 「アメリカン・レモネードです」 目の前のグラスは透き通ったレモンイエローで、ガーネットのように赤いワインが浮かんでい

          アメリカン・レモネード

          水の名前は

          水には色々な表情があり、時空を越えて循環していく。 「君の名は」と「龍とそばかすの姫」を観た後、そのようなことを漠然と感じた。 諏訪湖のような山間の円く神秘的な湖面、乾いた喉を潤すもの、澄みきった川、荒れ狂う河川、アスファルトを叩きつける雨、概念の世界の水(例えば主人公が飲み込まれる世界)も含めて、色も音も表情が違う。 清め、荒ぶるもの、もとをたどると全て同じもの。 RADWIMPSの「会いたい」という曲の歌詞に、“君の吸うはずだった酸素は今誰の中に”というニュアンスのフ

          水の名前は

          煙草と坂道~作品に現れる書き手の生きざま

          「円香さん、煙草を吸っていたの?」 先日発刊になった同人誌の合評会で、仲間の女性に突然聞かれた。男性主人公が煙草を吸う描写がやたらに艶っぽいというのだ。 彼女の指摘通り、学生時代に少しだけ煙草を吸っていたことがあった。 今回執筆した掌編は、日常の不条理かつ小さな事件に接した中点男性を主人公にしており、心の動きとくすぶりを表現する小道具として、煙草を使った。 ささやかな描写の中に、紫色の煙を眺めていた若かりし私の姿がクロスオーバーしていた、ということを、彼女からの指摘で知った

          煙草と坂道~作品に現れる書き手の生きざま

          アメリカンコーヒーと祭りのあと

          桑田佳祐の「祭りのあと」を初めて聞いたのは、中学生の時。 その頃、サザンオールスターズは活動を休止していて、ソロ活動をしていた桑田氏は音楽雑誌のインタビューで「こたつの中でギターを弾いているような距離感で、曲を届けたい」と語っていた。 その言葉の意味をきちんと理解することはできなかった。CDの歌詞カードを読んでも、意味が分からない。でも、激しく格好良いと思った。 黄昏の美学、まだ青春すら味わっていない私には、刺激的で眩しい遠い憧れだった。 まるで、若者が背伸びしてモルトウィス

          アメリカンコーヒーと祭りのあと

          パックと男梅

          「○○さんて、男らしいですよね」 その人は無邪気に笑い、グラスを私に手渡した。マスクの内側で、苦笑を浮かべるしかなかった。 いままで私が好きになったり付き合ったりした人は、大抵、年下好きだった。お菓子に例えるとマリービスケットやコットンキャンディーのように、素朴で、ナチュラルメイクの似合う女の子。彼女らと比べられて、ああ、私はお菓子にはなれないな、と思った。大黒摩季の曲の歌詞では無いが、そういえば昔の写真の中にいる母も、いちごミルクキャンディーのようだった。 私をお菓子に

          パックと男梅

          旅立ちの朝に

          受験の下見の日、ロシアがウクライナに侵攻したとニュースが流れた。 慣れない宿のテレビから、その国の大統領の無機質な演説が聞こえた。 その男が好きだと言っていた秋田犬は、忠実で友好的で争いを好まない生き物だったはずだ。 この子がお腹にいた時、イラク戦争が始まった。 椎名林檎が唄う『茎』を聞いて、まだ安全な場所に我が子をかくまいたいと思った。 でも、いつか産み落とさないといけない。自分の力で守り、逃げ、生きることを教えないといけない。 そして、命は産まれた。 卒業式の朝、ウク

          旅立ちの朝に