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砂時計とベリーダンス

誕生日を過ぎた朝、珍しく夜明け前に目覚めた。
何気なくSNSを眺めていると、悲鳴や叫び、そして追悼のコメントが流れてきた。
呆然とした。
まさか、と、ただ信じられなかった。
つい先日『セクシー田中さん』の最終回を観て、清々しい気持ちになったばかりだった。
あの日読んだ『砂時計』は、心の支えの一つになってくれた。
物語の登場人物は皆、どこかに誰でも持っていそうな欠点やコンプレックス、トラウマを抱えていて、一歩踏み出していく。
「実在する人間は、白黒どちらかではない。それを描写することが難しい」
同人会の先輩から教えてもらった。
分かりやすいエンターテイメントは「勧善懲悪」が筋書きになっているが、善にみえるものの陰、闇の中の色彩を描くためには日常の観察が求められる、と。
登場人物心の動きに寄り添い、丁寧に描かれた台詞、コマ割りは、まるで繊細なガラス工芸のようだった。
それを産み出せる、産み出してきた彼女は、もういない。
なぜ、どうして。
一日中、考えて、ただひたすら悲しかった。
原因究明の情報が横行してる。

雲隠れしないで、全部明るみになりますように。
同じ悲劇が繰り返されませんように。
事実が、閉ざされた口が開かれますように。
表現や芸術、それに関わる人々がパワーバランスではなく、本質で評価されますように。

どうか、芦原妃名子さんの作品、それに込めた思いが、この先も引き継がれますように。


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