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『アドルフ』を読んで 追記
散歩の途中で、最初に読んだ時に感じたことを思い出したので、蛇足ではあるが忘れないよう追記したい。
男らしさであるとか、女らしさであるとか、世間には「こうあるべき」という人間の鋳型が少なからずあり、人はその鋳型にどうにか自分を当てはめ、社会の中で居場所を確保しながら生きているように思える。漠然とではあるが、アドルフの苦しみには「男」であるが故の苦悩があるのではないかと感じた。例えばエレノールを愚弄
コンスタン『アドルフ』を読んで
19世紀フランスの作家、コンスタン(紹介されるまでこの作家の名前を知らなかった)が生涯でただ一つ残した小説『アドルフ』。今回、この作品を読んで、何かしら自分の感じたことを文章に残そうと試みた。しかし言葉が上滑りするだけでどうにもこうにも進まない。それならばと、我が夫にこの『アドルフ』のカオスとしか言いようのない恋愛物語について説明し、夫がどんな感想を抱くのか調査することにした。自分の浅い読みを、少
もっとみる太宰治「満願」を読む
一枚の美しい絵だった。幸福で清冽な空気が漂うような。そこに私が読んできたうちの、太宰作品の底流に流れる苦悩や卑屈は感じられず、明るい日の光の下、生と聖と性が描かれていた。
文中に示される「冷たい麦茶・風に吹かれてぱらぱら騒ぐ新聞・水量たっぷりの小川のゆるゆるとした流れ・旅の私に、牛乳配達の青年が毎朝かける律儀な挨拶」そのいずれもが必要な場所へ絶妙に配置され、一枚の絵を美しくを彩っているようだった
自由律俳句…のようなもの
掻き集めて投げ付けられるいびき
空間の本棚から言葉を拾う
探している言葉が見つからない午前3時35分
オペ室の窓から見た枯れすすき
遠くから呼ぶ声に いまの時刻を訊ねる
ひとつひとつフォルダをクリックするように目覚める
本日の晩餐に点滴2本追加注文しました
斜め向かいの同部屋患者に挨拶するタイミング見つからず明日退院
今更ながら知った事実2
GWの初日、姉と示し合わせて母の所へ行った。今年になってまた腰を痛め動きがままならない母だったがまたしても華麗に?復活を遂げ、自分のことは自分でこなし息災に生活をしている。さすが昭和ヒトケタ世代、なかなかにしぶといのである。ありがたい。
さて、タイトルにある今更ながら知った事実2(略して:いまなが事実2!略す意味なし)である。例によって母を囲んでひとしきりむかし話に花が咲いたわけだが‥。姉の話に
そのお怒り、何かあったのでしょうか?
仕事始めから1週間が過ぎて、今週2度もよくわからない地雷を踏んで、お怒りを買ってしまった。(そんなもの買いたくなかった、不買運動を展開したいくらいです)
その2つのお怒りが私の送ったメールに対して向けられたもので且つ非常に似たものであったので、どうやら世の中の人は些細なことにも怒ってしまうほどに苛立っているらしいと推察せざるを得ない。(オミクロンやら中国情勢やら北朝鮮ミサイル発射やらにお苛立ちです
今さらながら知った真実
年始のことである。
母の所へ三姉妹で集まった時のこと。最近の母はとみに昔話を繰り返すようになって、姉たちも私も『それ、もう聞いたよ』などとは言わず『うんうん』と母の話を軽く聞いている。90歳を超えたらそんなものだと、暗黙の了解なのである。
その時に、昔うちの両親がやっていた近所の何やら怪しげな宗教の話になり、末っ子の私は小さすぎて記憶に残りようがないのだが、その教祖的な人の教えに従って兄姉たちは
元犬遊病患者のひとりごと
その頃、私はどこに行っても犬を見つけると吸い寄せられるようにフラフラと近寄っていき、飼い主に許可を得ては暫しの犬浴に浴したものであった。ヘタをすると車の運転中でさえ、犬を見つけるとそのまま車を乗り捨てて犬をモフりたい衝動に駆られたものである。
家族からは恥ずかしいからやめてくれと懇願されたが、夢遊病ならぬ犬遊病であったため聞き入れる事が困難であった。
さて、なにゆえ私は犬遊病に罹患したのか。そ