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元犬遊病患者のひとりごと

その頃、私はどこに行っても犬を見つけると吸い寄せられるようにフラフラと近寄っていき、飼い主に許可を得ては暫しの犬浴に浴したものであった。ヘタをすると車の運転中でさえ、犬を見つけるとそのまま車を乗り捨てて犬をモフりたい衝動に駆られたものである。

家族からは恥ずかしいからやめてくれと懇願されたが、夢遊病ならぬ犬遊病であったため聞き入れる事が困難であった。

さて、なにゆえ私は犬遊病に罹患したのか。それは飼っていた犬を10歳にもならぬうちに癌によって亡くしたからである。その犬は『見に行くだけだから』と、娘の戦略に嵌められて見に行ってしまった捨て犬であった。元来、幼い頃より猫に親しんだ私は犬にはあまり興味がなく、最後まで犬を飼うことに抵抗していたのであったが、見てしまった仔犬はキュウンキユウンと私のハートを鷲掴みにし、追い討ちをかけるかの如く、プルプルと儚げに震えてみせた。あかん。そらあかん。
イチコロであったが最後まで反対していた手前、家族の前では仕方ない風を装って犬を連れ帰ったのである。それから10年近い歳月、犬は私たち家族に素晴らしい時を与えてくれた。雑種で長生きするものと勝手に思いこんでいた私にとって、10歳前に亡くなるという事は想定外で深い喪失感に打ちひしがれた。

そして前述のような犬遊病を私は発症したのである。犬犬犬犬犬犬犬犬。血中犬度が不足していた。

そんな私に娘が教えてくれたパラダイスがあった。動物愛護センターである。まさにパラダイス!私の大好きな雑種の仔犬たちが触り放題(ではないけど限界まで触り続けた)
血中犬度が安定して幸福である。毎週のようにセンターに通い詰め、なんなら平日仕事の昼休み時間まで活用する程の犬中毒であった。

そして当然の帰結として、犬の譲渡希望へと歩みを進めたのである。譲渡を受けるうえで必要な講習を受け、満を持して臨んだ譲渡会。事前に譲渡会に出される仔犬たちを何度も見に行って、貰いたい仔犬を決めておいた。

仔犬の第一希望から第三希望まで申請し、さて譲渡会が始まる。なんと!私の第一希望犬に他の人も手をあげている。非常にアナログな手段、ジャンケンで譲渡権を競う。第一希望…負け。そして第二希望はすでに他の人がその権利を手に。第三希望もジャンケンに負ける。このまま犬を連れ帰らずに帰るのか、私の中の希望が急速に萎んでいくようであった。ところがこの日、なぜか数日前まで譲渡数に含まれていなかった犬が7匹追加されていたのである。

体験学習で譲渡会に参加していた男子中学生が抱いていた仔犬。その犬は希望者がおらず、2巡目で職員の方が『美少女ですよーいかがですかー』と声をかけたが誰も手を上げようとしない。瞬間、私の脳内を駆け巡った葛藤、このまま帰ったらまた来月譲渡会に来れるか分からない、でもなんだか好みのタイプではない、でも、でも、でも…おもむろに手を上げた。それが今、我が家にいる犬との出会いである。

私は見ていた。男子中学生がこの仔犬を、それはそれは愛おしそうに抱いていたのを。そして仔犬もその中学生の目をしっかり見つめていたことを。一幅の絵の如き美しい姿であった。それが決め手であったと、今にして思う。

あのとき感じた予感は見事に的中し、非常に人懐こい性格の良い犬へと成長した。先代犬は知らない人が来るとよく吠えて良き番犬となってくれたが、この犬はけして吠えない。吠えることを知らないかのようである。

犬がいることによって生じるさまざまな困難がある。例えば散歩。飼い主はどんなに体調が悪くても散歩に行かねばならない。例え発熱していようとも。コロナワクチンで副反応が出た時の事が記憶に新しい。または、しばしばギックリ腰を発症する私であるが、その際も決死の覚悟で散歩に出る。そして極寒の冬の朝の散歩。これもなかなかの修行である。

次に換毛期という長きにわたる毛との戦い。家中にふわふわした白い毛が存在し、もはや歩く綿菓子製造機である。それが鼻中に入り込み、激しくクシャミ鼻水を誘発する。先日クシャミをしすぎてギックリ腰になった。

それから我が家では納豆は立食スタイルで食べることが常となった。なぜなら犬が納豆が好きすぎて、食卓に出ていると突如、猪へと変貌し、猪突猛進してくるからである。しかもこの好きな納豆によって、彼女はお腹を壊す、消化不良で吐く、ということで納豆立食スタイルが確立した。やれやれである。

と、犬を飼うデメリットのようなことを書き連ねたが意味はない。ただのアピールである。

現在の私は犬のいる生活によって脳内にオキシトシンとかいう愛情ホルモンが分泌されまくっているらしい。血中犬度も満たされ続けている。いつか来るであろう別れの時をどこかで恐れ、覚悟しつつ犬との生活は続くのである。

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