見出し画像

今さらながら知った真実

年始のことである。
母の所へ三姉妹で集まった時のこと。最近の母はとみに昔話を繰り返すようになって、姉たちも私も『それ、もう聞いたよ』などとは言わず『うんうん』と母の話を軽く聞いている。90歳を超えたらそんなものだと、暗黙の了解なのである。

その時に、昔うちの両親がやっていた近所の何やら怪しげな宗教の話になり、末っ子の私は小さすぎて記憶に残りようがないのだが、その教祖的な人の教えに従って兄姉たちは、戸籍上の名前とは違う名前を名乗っていた時期があった。そういえば昔、姉たちを違う名前で呼んでいた記憶がうっすらと甦える。そして私の名前はというと、父がつけた名前(ひらがな)にその教祖様?が漢字を当てて意味的に貴い名前にしてもらっていた…というのが私の記憶。しかし、母と三姉妹の集いの中で明かされた新たな真実に、2022年正月から軽く衝撃を受けた私なのでありました。

結局、その教祖様?から貴い意味付けを頂いた名前は定着することなく、私の名前はひらがな、のままなのだけれど、その名前の由来がウン十年にして、初めて本人の知るところとなったのである。しかして、その真実とは?!
などと大袈裟に書いているが、大した真実でもなんでもない。父がわたしの名前をつける時に
 いろはにほへと ちりぬるを・・・
から文字を選んで(テキトーすぎません?)付けた名前だった、ということです。それ、冗談だと思っていた。末っ子をからかうために『おまえは橋の下から拾ってきた子だ』とか、そういう類の冗談だと思っていました。何十年も。

どうやら違うらしい。
そりゃ4人兄妹のちょっと間の空いてしまった末娘ではあるよ。名前をつけるにももう飽きた、のも寛大な理解を示そう。しかし、いろはにほへと・・・から自分の名前が出来ていたなどと誰が信じよう?
草葉の陰で眠る父を起こして軽く抗議したい。

とかなんとか言いつつ、実は私は自分の名前が結構気に入っているのである。ちょっと変わった名前で人からも覚えてもらいやすい。いろはにほへと、だもの。覚えやすいわけだ。納得(いや、するな)この名前で何十年も生きてきて愛着もある。由来なんてどうでもいいさとほんの少し投げやりなフリをしてみる。

最後に、教祖様が私の名前に当てた漢字、それは漢数字であった。それもなかなか悪くないな、その名前だったら数学得意になってたかな?と今さらながら名前についてのあれこれ思う正月なのでありました。

父についてはいろんなエピソードがあって、いつかまた書きたいと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?