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コンスタン『アドルフ』を読んで

19世紀フランスの作家、コンスタン(紹介されるまでこの作家の名前を知らなかった)が生涯でただ一つ残した小説『アドルフ』。今回、この作品を読んで、何かしら自分の感じたことを文章に残そうと試みた。しかし言葉が上滑りするだけでどうにもこうにも進まない。それならばと、我が夫にこの『アドルフ』のカオスとしか言いようのない恋愛物語について説明し、夫がどんな感想を抱くのか調査することにした。自分の浅い読みを、少しでもカバーしようという苦肉の策だ。言語化のすこぶる下手な私の説明を聞き、果たして恋愛感情からは、地球の裏側程も遠いと思われるおじさんはどのように感じただろうか?夫がおもむろに発した言葉は「人ってさ、ベルトコンベアーに手を入れるなよっ!って言ったそばから手を入れちゃうんだよね」だった。それは、過去に夫が経験した後輩の労災事故の話だった。注意を促す夫の目の前で、後輩がまるで何かに引っ張られるように、そのベルトコンベアーに手を差し出していく。そんな風に、ダメだと頭では分かっているのに体が勝手に動いてしまうような・・どうやら不毛な恋愛にからめとられてゆくアドルフの姿と重なったらしい。不幸になると分かっていながら、不幸のほうへ不幸のほうへ流されてゆく、人間の性みたいなものだ。確かに、私も最初に読んだ感想はそんな感じだった。

アドルフの恋はこんな言葉から始まる。「エレノールを愛してるとは思っていなかった。ただすでに、彼女に愛されないという事態は受け入れられなくなっていたかもしれない」内気なくせに自惚れが強くて複雑な神経の持ち主。読んで早々、この主人公には感情移入できないなと思う。またアドルフは心の中でこんなつぶやきをもらす。「われわれ人間は、ほとんど毎日のように、おのれのふがいなさや弱さを、計画だの作戦だのといった体のいい言葉に置き換えて、自分をごまかしている」耳が、心が、痛い。その言葉を体現してしまっている自分がいる。「人間の内面には首尾一貫したところがない。そして、完全に誠実な人間や、完全に不誠実な人間は、おそらく存在しない」いちいち心に突き刺ささる言葉を振り切って、読み進む。

エレノールに避けられそうになった途端、猛烈に恋をしている気になり、なりふり構わぬ情熱的なアプローチを開始するアドルフ。この辺りからベルトコンベアーに手を差し込んでいく様が見えるようだ。それはエレノールも同様で、次第に理性的な判断を狂わせていく。可哀そうなエレノールは、”この人こそ、理不尽な運命によって屈辱的な立場に置かれた自分を、その愛によって、自分の誇りを取り戻させてくれる人なのだ”と確信するに至る。望み通りエレノールのすべてを手中にしたアドルフ。それなのに彼は、早々とエレノールの束縛から後ずさりし始める。「彼女はすでにある種のしがらみとなっていた」と。誰よりも感情に敏感なエレノールがそれに気づかないはずもなく、二人にかけられた愛の魔法は急速にその姿を変質させていく。人は他人を欺くためではなく、自己の弱さによって自分自身に嘘をつくんだということが、嫌というほど細部に亘り描かれていく。何度も読むうちに、これは単なる男女の愛憎物語などではないと、思い始める。これでもか、これでもかと、延々と続く不毛なやり取りなのだけれど、なんだかもう読んでいる私は、傍観者ではいられなくなってしまった。アドルフの心の弱さ、情けなさ、それを他人事にはできなくて落ち込む。

圧巻だったのは第7章で描かれた、田園を彷徨うアドルフの姿だ。アドルフの胸中にとめどなく湧き上がる様々な思念は、静かに本を読んでいるはずの私の、脳内がスパークするほど鮮烈な内面の吐露だった。言ってしまえば年上の恋人の束縛から逃れられない、ダメな男の内なる告白なのに、それが、なぜかトルストイの『戦争と平和』ほどの壮大さで私に迫ってくる。人間の内側の内側の内側まで掘り下げていくとはこういうことなのか。
「こうあったであろう」という、自らの輝かしい未来に対する喪失感に打ちのめされるアドルフ。読んでいて思わず、私自身の「こうではなかった」人生を思い描き、凡庸な私でさえ、胸が苦しくなった。そしてそれを唯一慰められるのは、死という考えだけ。死を前にすれば全てのことは虚しい、ほんの一瞬の出来事に過ぎないのだと。

そんなふうに苦悩に満ち満ちた恋愛は、悲しい結末を迎える。自分たちだけではなく、周囲の人々を不幸にしたその罪によって、アドルフは残りの人生を、生きながらの死という形で贖うしかなかった。それは才能に溢れた人間にとって、あまりにも大きな代償だっただろう。 この小説を通して作者コンスタンは何を描こうとしたのだろう。愛さえも、容易に変質させてしまう人間のこころなのだろうか。アドルフは愛を失ってもエレノールを捨てなかった。捨てたかったけれど、どこまで行っても捨てきれなかった。それは弱さなのだろうか。そうであれば、弱さは愛よりも強いという逆転現象なのだろうか。大きな謎を抱えたまま私は本を閉じた。

原稿を書き終えたあと、たまたま読んでいた『ニコマコス倫理学』の中に「選択」について書かれた箇所があり、アドルフをまた別の角度で眺めてみることができた。結果的にアドルフは、自分の人生を一度も「選択」することがなかった。まさに欲望・激情に基づく行為によって、抗うことの出来ない破滅の道を突き進んでしまったのだ。
あぁ、アレテーが足りない悲しさよ…(私だ)

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