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田中あき子
2023年4月16日 09:31
流転の章吉報(2)「おめでとうございます」 一通りの診察を終えた医師は、白玲に微笑んだ。「ご懐妊でございます。今は三か月目に入ったところで、産み月は九月になりましょう。お体の不調はお腹のお子の影響ですから、ご心配はいりません」 白玲は目を見開いて、小さく口を開けたまま固まっていた。「安定期に入るまで、しばらくは静かにお過ごしください。走ったり転んだりは、厳禁でございますよ」 我に帰っ
2023年4月12日 06:12
流転の章吉報(1) 婚礼の行事が終わり、白玲とネイサンはそれぞれの仕事に戻った。 白玲は、皇帝の御座所で秘書として仕える。ネイサンは朝政殿の政務の傍ら、投資している事業の報告を受けたり、視察をしたりと多忙な時を過ごす。 朝は一緒に参内し、夜になれば二人そろって湖畔の邸へ帰る。そんな繰り返しが、白玲は楽しかった。 ネイサンとの暮らしは、また、さまざまな行事で彩られた。 秋晴れの日には、
2023年4月9日 23:04
流転の章巡察使 白玲が婚礼の準備に追われていた頃、輝陽国の暁光山宮では、岳俊が陽淵の呼び出しを受けていた。白玲が去った後、岳俊は神官を辞して陽淵に仕えていた。「お前に行ってもらいたいところがある」陽淵は、執務室の窓から北の山脈を見つめていた。「暗紫山脈を越えるのですね」岳俊が確認すると、陽淵は黙って頷いた。 大神殿では岳俊と白玲は大巫女付きの神職として、よく顔を合わせたし話もした。
2023年4月8日 09:44
流転の章華燭(5) ネイサンは、皇帝直属の軍隊であるユイルハイ部隊の軍人だった。「カナルハイとタミアと私は、十六歳で官試に合格した。四年ほど地方の皇衙で働いた後、タミアは執務室に呼ばれ、カナルハイと私はユイルハイ部隊の所属となった。男子皇族は、必ず一度は軍務に就くのが決まりだからね」 昔語りをするような口調だった。「陛下の治世は、けっして平坦ではなかった。数年おきに冷害が襲い、懸命に対
2023年4月7日 22:55
流転の章華燭(4) 明るい午後の日差しの中を、礼装の近衛に先導された花嫁行列が進む。月神殿への道には、美しい行列を一目見ようと、多くの人々が集まった。 月神殿の入り口で、ネイサンは花嫁の到着を待っていた。濃紺の軍服をまとった立ち姿は、遠目には堂々として見えるが、後ろに回した手はしきりに閉じたり開いたりを繰り返している。時折する咳払いも、緩みそうになる頬を誤魔化しているのだろう。やがて花嫁の
2023年4月6日 06:09
流転の章華燭(3) ネイサンが部屋を出ると、白玲は侍女たちの手を借りて白金色の衣に袖を通した。 白い絹地には、金糸で精緻な地模様が織り出されている。この布地だけでも、どれほどの手間とお金がかかったか想像できない。カシャン家の力があってこその衣装だった。 わずか十七歳のナイナ姫にとって、この衣装はどんなに重かっただろう。 細かな刺繍が施された下着の上に、白金色の上着を重ねる。肩にかかるずっ
2023年4月5日 06:14
流転の章華燭(2) 婚礼の準備のために訪れた白玲を、ネイサンは邸の奥の部屋へ連れていった。 重い扉を開けると微かに樟脳の匂いがして、部屋いっぱいに作り付けられた棚には、色とりどりの衣装が収められていた。迎えた女中頭が、うやうやしく頭を下げた。「ここは亡き母の衣装部屋だ。ここにある衣装は、母が儀式の折に着たものだ。母は月族にしては小柄だったそうだから、そなたなら着られるかもしれない。お下がり
2023年4月2日 16:35
流転の章華燭(1) ユイルハイへ戻った白玲とネイサンは、皇帝に拝謁した。進水式や氷海航路開発の報告をした後、二人は皇帝に結婚の許しを願い出た。「考えておこう」皇帝は返答を保留したが、その後の騒ぎは二人の予想をはるかに越えるものだった。「ネイサン公爵と白玲皇女が婚約」という噂は嵐のように宮廷を駆け巡り、翌日には内廷も外朝もほとんど全ての人の知るところとなった。 大騒ぎの中、誰よりも驚か
2023年3月28日 11:02
波濤の章進水式(5) ネイサンは、つかんだ腕を引き寄せた。「そなたにとっては、私は父の代わりだろうか」 うつむいた顔を覗き込まれて、白玲は目を伏せた。「私にとってそなたは、娘ではない。大切な愛しいものなのだよ。いつからそう思うようになったのか自分でもわからないが、もう手放すことも、他人に委ねることもしたくない。だから白玲、私のところへおいで。私の妻になりなさい」 運河を渡る風の音だけが
2023年3月27日 22:41
波濤の章進水式(4) 後ろ姿を呆然と見送っているネイサンの背後で、クククっとこもった声がした。「盗み聞きとは無礼だぞ」振り向くと、カナルハイが腹を抱えて笑っている。「いやいや。白玲に間違いがあってはいけないと見守っていたんだよ。それにしても天下のネイサン卿を袖にするとは、白玲は聞きしに勝る強者だな。これは、陛下とタミアにも絶対報告しなくては」「そんな報告しなくていい」憮然としているネ
2023年3月26日 22:13
波濤の章進水式(3) 進水式を終えた一口は、アンザリ領の領都カナンへ向かった。 領主であるアンザリ辺境伯を表敬訪問した後、白玲は皇衙の官吏たちに再会した。白玲が残した仕事はオッサムが引き継ぎ、氷海沿岸の調査はさらに進んでいる。 久しぶりの里帰りで、カナルハイ妃は姫宮とともにしばらくカナンに滞在するため、カナルハイだけがネイサンの船に同乗して、ユイルハイに戻ることになった。「たまには奥方と
2023年3月25日 23:25
波濤の章進水式(2)「羨ましいように、良い家族だろう」 白玲の気持ちを見透かしたように、ネイサンが声をかけた。「皇家では、あんなに暖かい家庭を持つことは、とても難しいのだよ」 月蛾宮で暮らしてみれば、そんなことはすぐにわかる。「幼い頃のカナルハイ殿下は、両親の愛情を受けられずに育った。陛下はお子の養育には関わられないし、母である側妃様は兄の皇太子殿下にかまけていたからね。けれどもルリヤ
2023年3月23日 22:24
波濤の章告別(2) 執務の合間に、皇帝は机上に置かれた茶を引き寄せた。執務室には侍従と白玲が侍るばかり。「余は、皇太子を余の手元で育てたかった。あれは側妃の一族に囲い込まれ、世継ぎとしての学びの機会を逃したのだ」 ぬるくなった茶を差し替えようとする侍従を制して、皇帝は続けた。「即位したばかりの頃、余は側妃とナーリハイの一族に対抗する余力がなかった。だから皇太子は、国よりも母の一族ばかり見
2023年3月22日 22:31
波濤の章告別(1) トーランの棺が戻った日、そぼふる雨はユイルハイの桟橋に佇む人々の喪服を濡らした。小舟に引かれてゆっくりと接岸した船の甲板には船員たちが並び、礼砲の代わりに鳴らされた汽笛が、長く悲しい尾を引いた。 礼装の近衛士官が棺を担ぎ、喪服に身を包んだ初老の女性と、アルシーとオッサム、カナン皇衙の領事が続いた。剣を立てて礼をする兵士の間を抜けると、棺は馬車に乗せられ、月神殿の仮墓所を目