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月と陽のあいだに 193

流転の章

華燭(1)

 ユイルハイへ戻った白玲とネイサンは、皇帝に拝謁した。進水式や氷海航路開発の報告をした後、二人は皇帝に結婚の許しを願い出た。
「考えておこう」
皇帝は返答を保留したが、その後の騒ぎは二人の予想をはるかに越えるものだった。

「ネイサン公爵と白玲皇女が婚約」という噂は嵐のように宮廷を駆け巡り、翌日には内廷も外朝もほとんど全ての人の知るところとなった。
 大騒ぎの中、誰よりも驚かなかったのは皇帝だった。ネイサンを白玲の後見役にした時から予想していたのか、あるいは初めからそういう意図を持っていたのか、その胸中は誰にもわからない。けれどもよく似た育ちの二人が寄り添って、望んでいた暖かい家庭を作るなら、それは皇帝にとって嬉しいことだった。

 数日後、御座所を訪れた二人を、皇帝は祝福した。
「二人の結婚を許そう。本来なら臣下に嫁ぐ皇女はその身分を失うが、余は白玲を皇族として遇するためにこの国に呼び寄せた。ネイサンよ、そなたは今一度皇籍に戻り、皇弟として白玲を娶るが良い。今後は二人、皇族としてこの国のために働くように」

 皇帝の許しとは別に、皇族の婚姻は一族の長老たちからなる皇室会議の了承を得なければならない。しかし会議は紛糾した。
 ネイサンが現皇帝の末弟ではないことは、いわば公然の秘密だった。ネイサンを産んだナイナ皇后は、もともと先帝の皇太子の正妃だった。うら若く可憐な妃から夫を奪ったのは、この国で猛威をふるった流行り病だった。若くして逝った息子の妻を見初めた先帝は、服喪の期間を縮めてまで彼女を後宮に入れた。そして十月も経たずに生まれたのがネイサンだった。ネイサンは、老いた先帝の子ではなく、前皇太子の忘れ形見。幻の皇太子ーー後宮の人々は、隠れてネイサンをそう呼んだ。そして白玲は、陽族の母をもつとはいえ、現皇帝の直系の孫娘だ。
 もし二人の間に子が生まれれば、皇家の正統な血筋をもっとも色濃く受け継ぐ者となる。そして、その子が優秀な両親に似ていたら……。
 だからこそ、二人の婚姻を危ぶむ声が上がったのだ。

 皇太子ラナクを推す、ナーリハイ辺境伯に近い人々は、とりわけ強く反対した。
「私は皇女の身分をお返しいたします。臣下に輿入れした後も、陛下のお側近くにお仕えした皇女の例はいくつもあります。私も、ネイサン公爵夫人として陛下にお仕えできれば、十分幸せでございます」
 あまりに紛糾する会議の様子に、見かねた白玲が申し出た。けれども皇帝は取り合わなかった。
 結局、ネイサンと白玲がラナク皇太子に対して「臣下の礼」をとることで、長老たちは二人の婚姻を了承した。

 皇籍に復帰しても、ネイサンは月蛾宮へは移らず、湖畔の邸に白玲を迎えることになった。婚礼は月の神事が終わったひと月後。準備の時間は二か月足らず。白玲は一気に忙しくなった。

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