マガジンのカバー画像

月と陽のあいだに

238
「あの山の向こうに、父さまの国がある」 二つの国のはざまに生まれた少女、白玲。 新しい居場所と生きる意味を求めて、今、険しい山道へ向かう。 遠い昔、大陸の東の小国で、懸命に生き…
運営しているクリエイター

2022年12月の記事一覧

月と陽のあいだに 139

月と陽のあいだに 139

青嵐の章ユイルハイ城下(2)

 キサと呼ばれた女は、白玲に残り物の饅頭を一つ手渡した。
「腹が減っては仕事ができないだろう。急いで食べたら、裏庭の掃除をおし」
そう言うと、掃除道具のある場所とやり方を教えた。饅頭を飲み込むように食べると、白玲は井戸で水を一杯飲んで早速仕事に取りかかった。
 掃除が終わると、市場から運ばれてきた野菜を洗い、桶いっぱいの芋の皮むきをする。店が開くと、下げられた食器を

もっとみる
月と陽のあいだに 138

月と陽のあいだに 138

青嵐の章ユイルハイ城下(1)

 ユイルハイの城門を抜けた白玲は、表通りの人混みの中にいた。夜も更けてきたというのに大通りはごった返し、店には煌々と明かりが灯っている。道端には食べ物や土産物を売る露店が並び、客を呼び込む売り子の声が響いている。
 白玲は人波に流されて、市場のある通りへ出た。通りから一つ角を曲がったところに、大きな料理屋を見つけた。祭りの祝いに会食をする人が多いのだろうか、店には絶

もっとみる
月と陽のあいだに 137

月と陽のあいだに 137

青嵐の章縁談(8)

 控えの間に戻った白玲のもとへ、着替えの巫女服が届けられた。急いで着替えると、ニナが汚れた衣の染み抜きを始め、アルシーは女官長に呼ばれて出ていった。
 一人になった白玲は、宮から持ってきた包みを抱えると、部屋に続いた露台に出た。露台の隅には緊急避難用の狭い階段があり、控えの間のある客殿の最下層まで続いている。ニナが気づいていないことを確かめると、白玲は足音を忍ばせて階段を降り

もっとみる
月と陽のあいだに 136

月と陽のあいだに 136

青嵐の章縁談(7)

 月の神事の日、白玲はニナの手伝いで身支度を整えると、小さな包みを荷物に忍ばせて宮を出た。
 月神殿の大聖殿に入ると、白玲は祭壇に一番近い場所にある玉座の前に跪いた。
「しばらくぶりだが、息災であったか?」
皇帝がたずねた。
「はい。宮の暮らしにもようやく慣れてまいりました」
白玲は頭を下げたまま答えた。
「そうか。今日からの月の神事は、我が国の最も大切な神事である。そなたも

もっとみる
月と陽のあいだに 135

月と陽のあいだに 135

青嵐の章縁談(6)

 九月も半ばを過ぎ、月の神事が近づいた。この神事は、春の神事とともに月神殿で最も重要な神事の一つで、秋の満月を挟んで三日かけて行われる。神事には祭主の皇后はもちろん、皇帝や貴族や重臣たちも揃って参列する。
 祭主として神事の全てを司る皇后は、連日、月神殿と宮殿を往復して準備に余念がなかった。

 皇后が多忙なおかげで、白玲の縁談は一時棚上げになった。背中の傷も少しずつ癒えてき

もっとみる
月と陽のあいだに 134

月と陽のあいだに 134

青嵐の章縁談(5)

 白玲が宮へ戻ってしばらくすると、皇后府の侍女が迎えにきた。机の前で頭を抱えていた白玲は、弾かれたように立ち上がり、侍女に伴われて皇后の居間へ向かった。
「そなたは私の話を聞いていなかったのか。この縁談を断ることは許さないとあれほど言ったではないか」
「申し訳ございません。でも、私は結婚するより官吏になりたいのです。オラフ様には非はありません。全て私のわがままです。どうぞお許

もっとみる
月と陽のあいだに 133

月と陽のあいだに 133

青嵐の章縁談(4)

 翌日、朝食を終えたばかりの白玲のもとに、皇后の侍女がやってきた。侍女は、身支度を手伝っていたニナを下がらせると、持ってきた衣を白玲に着せて、そのまま皇后の宮へ連れて行った。
 皇后の居間には、見たことのない青年が控えていた。
「オラフ殿が、そなたに会いにきてくれたのですよ。ご挨拶なさい」
 皇后に言われた白玲は、初めましてと膝を折って礼をした。青年は色白で、ナダルと同じくら

もっとみる
月と陽のあいだに 132

月と陽のあいだに 132

青嵐の章縁談(3)

 翌日、白玲は皇后に拝謁した。
「せっかくいただいたお話ですが、やはり私は官吏になりたいです。結婚するより、その方が自分を生かせると思います。どうか官試を受けることをお許しください」
 そう言って頭を下げ続ける白玲に、皇后は顔をお上げと声をかけた。白玲が恐る恐る顔を上げると、その頬に平手打ちが飛んだ。パーンと高い音がして、白玲の頬が赤くなった。
「この縁談を断ることは許さぬ。

もっとみる
月と陽のあいだに 131

月と陽のあいだに 131

青嵐の章縁談(2)

 月蛾国には、『始祖六家』と呼ばれる六つの名家がある。
 皇帝一族のゴルガン家、始祖アイハル帝の息子たちの子孫であるカシャン侯爵家とバンダル侯爵家。そして北の辺境領を治めるアンザリ伯爵家、西の辺境領を治めるタリズ伯爵家、南の辺境領を治めるナーリハイ伯爵家だ。
 彼らの祖は始祖アイハル帝と共に暗紫山脈を越え、アイハル帝が月蛾国を建てた時、国の各地に散っていった。そして先住の人々

もっとみる
月と陽のあいだに 130

月と陽のあいだに 130

青嵐の章縁談(1)

 御霊祭りが終わり、故郷で休暇を過ごしていた人々が帰ってくると、月蛾宮もユイルハイの城下も再び活気を取り戻した。
 けれども白玲の暮らしは変わらず、行儀作法や歌の詠み方の稽古に明け暮れていた。しびれを切らした白玲は、官吏任用試験(官試)を受けるという計画を紙上読書会の仲間に打ち明けた。すると「やってみればいい」と言う返事がかえってきた。官試受験は、朝政殿執務室を見学した時から

もっとみる
月と陽のあいだに 129

月と陽のあいだに 129

青嵐の章惜別(4)

 御霊祭りの休みも半ばを過ぎた昼下がり、内廷の回廊に筝の音が響いていた。もとは易しい練習曲だが、変調したり拍子を変えたり自在に弾きこなす腕前は相当なものだ。回廊を歩いていた男は、筝の音に導かれるように皇后府の一角にたどり着いた。
 音の出どころの窓からそっと中を覗いてみると、白玲が一心に筝を弾いていた。
 曲が終わって顔を上げた白玲は、人の気配に気づいて照れたように笑った。

もっとみる
月と陽のあいだに 128

月と陽のあいだに 128

青嵐の章惜別(3)

 タミアは、コヘルの覚書を書かれた時期によって五つに分けた。そして白玲以外の人々に、コヘルの意図を伝えた。
 カナルハイとネイサンは、いつでも拝読すると言ってきたが、皇太子からは自分には不要だという断りの返事がきた。自分は政治的な立場がコヘルとは違うので、読んでも無駄だというのだった。
 皇太子は凡庸ではなかったが、考え方が古いところがあった。それは、皇太子の教育にあたった教

もっとみる
月と陽のあいだに 127

月と陽のあいだに 127

青嵐の章惜別(2)

 コヘルの手を離した白玲は、祖父の枕元で声もなく泣き続けているアルシーの背を撫でた。白玲は月蛾国へ来る直前に婆様を亡くした。アルシーの気持ちが、痛いほどわかる。だから、あの時白敏や白鈴がしてくれたように、涙を流しながら黙ってアルシーのそばに寄り添った。そしてアルシーの涙が枯れる頃、温かい花茶をそっと差し出した。アルシーがしゃくり上げながら花茶を飲むと、微かな花の香りが鼻の奥に

もっとみる
月と陽のあいだに 126

月と陽のあいだに 126

青嵐の章惜別(1)

 月蛾国の夏は過ごしやすい。
 去年まで白玲が暮らしていた輝陽国では、春が過ぎるとすぐに雨季になった。湿った南風が運ぶ雨雲は、暗紫山脈に阻まれて、南側の平地にたくさんの雨を降らせる。最初は二、三日雨が続くとしばらく晴れるが、その間合いが次第に狭まる。暑さが本格的になるころには、雨雲の帯が輝陽国の南から北へ伸びて、毎日雨が降る。静かな雨なら良いが、南風が送り込む湿った空気は厚い

もっとみる