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月と陽のあいだに 128

青嵐せいらんの章

惜別(3)

 タミアは、コヘルの覚書おぼえがきを書かれた時期によって五つに分けた。そして白玲以外の人々に、コヘルの意図を伝えた。
 カナルハイとネイサンは、いつでも拝読すると言ってきたが、皇太子からは自分には不要だという断りの返事がきた。自分は政治的な立場がコヘルとは違うので、読んでも無駄だというのだった。
 皇太子は凡庸ぼんようではなかったが、考え方が古いところがあった。それは、皇太子の教育にあたった教師が先帝時代に活躍した人々で、今のこの国が抱える問題に向き合うための新しい手法を、快く思わなかったからだろう。コヘルが皇太子の名を挙げたのは、政治的な立場の違いから批判されようとも、現在の月蛾国の基礎にあるものを見極めてほしいと願ったからに違いない。タミアは、皇太子の視野の狭さを危ういと思った。
 残る白玲は、皇后の手元にいる限り、コヘルが望んだように育てることは難しい。皇后は白玲の養育を買って出たが、それは白玲の資質を伸ばすためではなかった。白玲を自分の意のままに動かし、あわよくば自分の身内の力を強めるために使いたいという意図が透けて見えた。この覚書を皇后府にいる白玲に送れば、読むことはおろか覚書自体を捨てられてしまう恐れもあった。タミアは、もう少し時期を待つことにした。

 その年は冷害が心配されていたが、雨季が明けると暗紫山脈から熱風が吹き下ろす日が多くなった。予想よりも暑い夏の到来に、御霊みたま祭りの頃には、宮廷の人々は争ってアンザリ領やタリズ領の避暑地へ向かった。
 御霊祭りは、夏の盛りの頃、年に一度家に戻ってくる祖先の霊を一族揃って迎える行事だ。月蛾げつが国でも輝陽きよう国でも、この時期になると人々は故郷へ帰る。
 陽神殿に仕えていた頃、白玲は御霊祭りに白村へ帰ったことがなかった。白玲が南湖太守にとらわれることを恐れた婆様のはからいだったのだろう。けれども、いそいそと故郷へ向かう人々を見送って、わずかな仲間と大神殿に残るのは寂しいものだった。
 月蛾国へ来た今は、月蛾宮が白玲の居場所だったから、皇帝夫妻とともに内廷で祖霊を迎えた。アルシーは、コヘルの葬儀の後ずっと白玲のそばに仕えてくれているが、御霊祭りの間は、コヘルの御霊を迎えるために邸に戻っていた。

 コヘルが亡くなってから、白玲は筝をよく弾くようになった。皇后も楽器を弾くことには反対しなかったから、ぽっかり空いた時間には、手が覚えている曲を思い出すままに奏でた。
 輝陽国の恋の歌を弾くと、蒼海そうかい学舎で学んだ日々が目に浮かんだ。
 ーー岳俊はどうしているだろう。今頃は神官になって、どこかの神殿に仕えているのだろうか。それとも蒼海殿下の誘いに応じて、暁光山宮で働いているのだろうか。
 大巫女や上位巫女の厳しい教えさえ、今の白玲には大切な思い出になっていた。

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