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月と陽のあいだに 138

青嵐せいらんの章

ユイルハイ城下(1)

 ユイルハイの城門を抜けた白玲は、表通りの人混みの中にいた。夜も更けてきたというのに大通りはごった返し、店には煌々こうこうと明かりが灯っている。道端には食べ物や土産物を売る露店が並び、客を呼び込む売り子の声が響いている。
 白玲は人波に流されて、市場のある通りへ出た。通りから一つ角を曲がったところに、大きな料理屋を見つけた。祭りの祝いに会食をする人が多いのだろうか、店には絶えず人が出入りして、中からはにぎやかな話し声が聞こえてきた。店の裏手に回ると、勝手口の脇には野菜くずや残飯を入れたおけが並び、洗い物をする女の声や、注文を伝える声が聞こえてくる。黒く塗られた板塀いたべいに、「働き手を求む」という張り紙があった。勝手口から中をのぞいたが、忙しく立ち働く人々は、誰一人白玲に目を向けなかった。

 夜半近く、店の賑わいが静まり最後の客を送る頃、明るかった月が雲に隠れた。やがてポツリポツリと雨粒が落ちてきた。雨脚あまあしまたたく間に強くなり、傘を持たない白玲は、店の表の軒下に身を寄せた。戸締まりをするために出てきた店の者は、白玲が人待ちでもしていると思ったのだろう、目があうと軽く会釈えしゃくをして扉の中に消えた。雨はなかなか止まず、白玲は小さな包みを抱えたまま、軒下で夜を過ごした。

 明け方くぐり戸から顔を出した女は、軒下で膝を抱えて眠っている白玲を見つけた。
「あんた、こんなところで何をしているんだい。一晩中、ここで雨宿りしてたのかい」
 揺り起こされた白玲は、眠そうな目で女を見上げると、こくりと頷いた。
「早くお帰り。と言っても、こんなところで夜明かしするくらいだから、帰るところがないんだろう。とにかく、こっちへおいで。店先で行き倒れられたら迷惑だ」
 そう言うと、女は白玲の手を引いて裏口へ回った。勝手口へ入る時、白玲は足を止めて張り紙を指差した。
「なんだい? あんた、ここで働きたいのかい?」
女の問いに、白玲は黙って頷いた。
「さっきからなんにも言わないけど、口が聞けないのかい?」
白玲は頷くと、自分の喉を指さして、ダメダメをするように手を振った。
「耳は聞こえるんだね。あたしの言うことは、わかるんだろう?」
白玲は、今度は大きく|頷《うなず」いて微笑んだ。
「とにかくお入り。そんなに濡れてちゃ、仕事どころじゃないからね」

 厨房の隅の土間には、朝餉をとる使用人が集まっていた。女が白玲を連れて入ると、皆の視線が集まった。
「表の軒下で寝ていたのさ。行き倒れられたら困るし、ここで働きたいってことだから、とりあえず連れてきたよ」
 言葉は乱暴だが、気のいい女だった。白玲に使用人のお仕着せを渡すと、着替えるように言って、服を干す場所も教えてくれた。

 身なりを整えた白玲が土間に戻ると、店の女将が朝の仕事の指図をしていた。白玲を連れた女が事情を話すと、女将は白玲をじっと見た。
「見たところ、流人じゃなさそうだね。家出してきた娘かい。家にお帰りと言いたいところだけれど、行き場のないものを追い出すのも気が引ける。うちも人手が欲しいし、しばらく下働きをしてみるかい?」
白玲は土間に跪いて、深く頭を下げた。
「キサ、お前が面倒を見ておやり」
女将は白玲に一つ頷くと、表へ向かった。

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