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月と陽のあいだに 136

青嵐せいらんの章

縁談(7)

 月の神事しんじの日、白玲はニナの手伝いで身支度を整えると、小さな包みを荷物に忍ばせて宮を出た。
 月神殿の大聖殿に入ると、白玲は祭壇に一番近い場所にある玉座の前にひざまずいた。
「しばらくぶりだが、息災そくさいであったか?」
皇帝がたずねた。
「はい。宮の暮らしにもようやく慣れてまいりました」
白玲は頭を下げたまま答えた。
「そうか。今日からの月の神事は、我が国の最も大切な神事である。そなたもよく学ぶように」
かしこまりましたと答えて、白玲は御前ごぜんを辞した。

 月の神事は夕方から行われる。
 一日目は月迎つきむかえの神事で、月の女神である煌娥こうが女神じょしんを大聖殿の依代よりしろに迎える儀式だった。楽の音に合わせて巫女たちが舞い、女神が降臨こうりんされると依代の神鏡しんきょうが大聖殿の祭壇に移される。そして、女神をもてなす音楽や舞踊が夜通し演じられ、皇帝をはじめとした宮廷の人々が女神とともに楽しむのだった。
 東の空が白み満月が西の丘に沈む頃、長いうたげが終わる。列席した人々は、それぞれの控えの間に戻り、二日目の神事に備えて休息を取ることになっていた。

 二日目の陪膳ばいぜんの神事は、女神に山海の珍味を供え、列席する人々も同じ膳をともにして、その年の収穫に感謝する儀式だった。満月が昇ると儀式が始まる。やがて列席者の食事が終わると、大聖殿に続く拝殿が解放されて、領民たちにも参拝が許された。
 この日だけは、普段は入れない神殿の奥を見ることができる。そのために、女神に祈りを捧げる人々が長い列を作った。
 そして最終日、女神との別れを惜しみ、夜を徹して管弦の楽と舞を奉納する。明け方に、次の降臨を祈りながら、月に帰る女神を見送って儀式が終わる。
 月の神事は、月蛾国の人々にとって、新年の儀や春の神事と並んで、大切な祭りであり楽しみでもあった。

 二日目の陪膳の神事が終わった大聖殿は、上を下への大騒ぎだった。列席者が退席してから拝殿が解放されるまでの短い時間に、膳を片付け掃除を済ませなければならない。列席者の案内や、参拝者の誘導もしなければならない。月神殿の人手だけでは足りないので、月蛾宮からも多くの宮女や衛士が応援に駆り出されていた。
 白玲は、自分の控室に戻ろうと歩いていたが、回廊の出会い頭に膳を抱えた宮女とぶつかった。儀式用の被り布のせいで、まえが見にくかったのだろう。膳に残っていた汁物が、白玲の衣にかかって茶色いシミが広がった。
「怪我はない?」
白玲が助け起こそうとすると、宮女は真っ青になってうずくまった。通りすがりの年嵩の宮女が、散らばった膳や食器を拾うと並んで頭を下げた。
「私は大丈夫だけれど、衣が汚れてしまったわ。汚れを落とす間の着替えを持ってきてちょうだい。巫女服で構わないから」
かしこまりましたと返事をして、宮女たちは厨房へ下がった。

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