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月と陽のあいだに 134

青嵐せいらんの章

縁談(5)

 白玲が宮へ戻ってしばらくすると、皇后府の侍女が迎えにきた。机の前で頭を抱えていた白玲は、はじかれたように立ち上がり、侍女に伴われて皇后の居間へ向かった。
「そなたは私の話を聞いていなかったのか。この縁談を断ることは許さないとあれほど言ったではないか」
「申し訳ございません。でも、私は結婚するより官吏になりたいのです。オラフ様には非はありません。全て私のわがままです。どうぞお許しください」
 白玲はただただ平伏して、床に頭を擦り付けた。
「そなたはオラフを傷つけ、私の顔に泥を塗ったのですよ。謝って済むことではない。今からでもオラフにびて、結婚を承諾しなさい」
 皇后の言葉に、白玲はどうぞお許しくださいと頭を下げ続けた。
「言うことを聞かぬ娘には、ばつを与えなければならぬ」
そう言うと、かたわらに控える侍女に目配めくばせした。

 侍女たちは頭を下げると、白玲の腕をつかんで奥の間へ連れていった。
 窓に飾り布が掛けられ、陽の光も音もさえぎられた部屋で、白玲は床に引き据えられて背中をあらわにされた。衣擦きぬずれの音と香水のかおりがして、背後に人が立った気配がすると、ヒュッと風を切る音とともに激しい痛みが背中に走った。長鞭ながむちが白玲の背中に食い込んだ。あまりの驚きに声を失い歯を食いしばると、再び鞭が背中を打った。五回までは数えたが、あまりの痛さと恥ずかしさに途中で意識が飛んだ。白玲が床にくずれると、皇后は鞭を止めた。
「言うことを聞かぬ娘には、鞭で教えるほかあるまい。これは、そなたを良い子にしたいと思って振るう鞭なのだから、感謝なさい」

 皇后が部屋を出ると、白玲は衣を着せられ、侍女に両脇を抱えられて、自分の宮へ連れ戻された。
 ニナとアルシーは、白玲がどんなおしかりを受けているのかと気をんでいたが、戻ってきた白玲の姿に驚いた。背中の傷はれ上がり、出血が衣に赤黒い染みを作っていた。アルシーが傷口をぬぐっている間に、ニナはサジェ女官長の元へ走り、典医てんいの診察を受けられるように頼んだ。熱が出てきたのか、白玲のひたいには脂汗あぶらあせがにじみ、うつ伏せになったまま浅い息をしていた。

 サジェとニナが白玲の宮へ戻ると、すでに典医の診察は終わり、枕元には皇后が座っていた。
「反抗的な娘には、時には鞭も必要であろう?典医の見立てでは、大したことはないそうだから、女官長が心配するには及びません。ニナとアルシーがついていれば良い」
 そう言うと、皇后はサジェをうながして部屋を出ていった。典医は薬箱を片付け、ニナに医務室まで薬をとりに来るように言うと、皇后の後を追った。

 部屋に残ったアルシーが、そっと起こして冷たい水を飲ませると、白玲は眠りに落ちていった。薬が効いたのか、翌朝には白玲の熱は下がったが、傷は腫れて痛みも引かなかった。食事のために起き上がる時以外は、寝台にうつ伏せになったまま、じっと目を閉じていた。
 このまま皇后のそばにいたら死ぬかもしれないという恐怖が、白玲を縛りつけた。
ーーなんとかして、ここから逃げよう。
 寝台に横たわり夢の境を漂いながら、白玲は宮を抜け出す方法を考えていた。

 そんな白玲を見守るように、サジェは朝と夕方に白玲の宮を訪れた。傷の様子を確かめると、寝台の傍にかがんで白玲の汗をぬぐい傷口に薬を塗った。そしてそっと頭を撫でて帰っていった。

 

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