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月と陽のあいだに 137

青嵐せいらんの章

縁談(8)

 控えの間に戻った白玲のもとへ、着替えの巫女服が届けられた。急いで着替えると、ニナが汚れた衣の染み抜きを始め、アルシーは女官長に呼ばれて出ていった。
 一人になった白玲は、宮から持ってきた包みを抱えると、部屋に続いた露台に出た。露台の隅には緊急避難用の狭い階段があり、控えの間のある客殿の最下層まで続いている。ニナが気づいていないことを確かめると、白玲は足音を忍ばせて階段を降りた。
 最下層に近い扉をそっと開くと、巫女や宮女たちが行き交うのが見えた。扉から中に滑り込んだ白玲は、近くに置いてあった長手盆に包みを乗せて布で覆い、被り布で髪を隠して拝殿へ向かった。

「ぐずぐずしないで、護符は奥に置いて」
年配の巫女に怒鳴られた白玲は、拝殿の奥の小部屋に入った。そこは小さな倉庫になっていて、参拝者に配る護符が高く積まれ、ひっきりなしに人が出入りしている。部屋の奥には小さな扉があり、開けてみると外の回廊につながっていた。
 灯火の少ない回廊は、ひんやりとして人気がなく、不用な道具や椅子などが乱雑に積まれていた。白玲は物陰で包みを開いた。中にはお忍びで市場へ行くときに着る街着と身分証の木札、油紙に包んだ婆様の覚書と懐剣が入っていた。
 手早く着替えた白玲は、肩のあたりできつく束ねた髪を懐剣で切り落とした。そして手近な箱に巫女服と髪を入れて蓋をすると、回廊を歩き出した。

 しばらく行くと、細い脇道の向こうに明かりが見えた。白玲は、脇道を抜けて参道に入ったが、その姿を気にする人もない。白玲はそのまま人混みに紛れて長い橋を歩いて渡った。ユイルハイの街に入るには、城門の検問所で身分証を見せなければならない。しかし検問所はいつも以上にごった返していた。門番の衛士は、被り布で髪を隠した白玲をチラリと見ると、さっさと行けというように手を振った。

 その頃、月神殿では人々が白玲を探していた。
 控えの間で衣の染み抜きを終えたニナが露台に声をかけたのは、白玲が細い階段を降りてしばらく経った後だった。白玲の返事はなく、寝室にも姿がなかった。気晴らしに出かけたのかと待ってみたが、半刻たっても戻ってこない。控えの間に戻ったアルシーと手分けして、白玲が尋ねそうな心当たりをあたったが、どこにもいない。
 この時になって、ようやく二人は異変に気づいた。
 サジェ女官長に報告して、近衛に神殿内と島の中、ユイルハイの城門を調べてもらったが、白玲は見つからなかった。白玲が自分の意志で姿を消したのは確かだと思われたが、神事の最中に表立って探すことはできない。サジェは皇帝に白玲の失踪を報告し、出席者には白玲が控えの間で体調を崩して月蛾宮に戻ったと伝えた。

「なぜ白玲は姿をくらまさねばならなかったのだ?」
皇帝の問いに、サジェは皇后が進めている縁談のことを報告した。皇后が白玲を冷遇していることは、皇帝にも報告していた。しかし皇帝としては、自分が後見人にした皇后に表立って落ち度がなければ、白玲を皇后府から出すことはできなかったのだ。
「もう少し早く手を打っていたら、白玲も出奔などしなかったであろうに」
皇帝は、白玲を皇后に任せたことを悔やんだ。けれども、皇女の出奔など公にはできない。そこで白玲は病が重く長期の療養が必要であることにして、皇帝直属の『目と耳』と呼ばれる間者が、内密に行方を追うことになった。

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