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月と陽のあいだに

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「あの山の向こうに、父さまの国がある」 二つの国のはざまに生まれた少女、白玲。 新しい居場所と生きる意味を求めて、今、険しい山道へ向かう。 遠い昔、大陸の東の小国で、懸命に生き…
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2022年8月の記事一覧

月と陽のあいだに 36

月と陽のあいだに 36

若葉の章貴州府陽神殿(9)

 こうして、おおむね静かな日々が過ぎて、白玲も十二歳の誕生日を迎えた。お子としての修行を終えて、巫女見習いになることが決まった。着慣れたえんじの衣を、浅葱色の衣に替えて、今度は姉弟子として、お子たちの世話をする側になる。わくわくするような、少し怖いような気持ちで、大巫女の御前へ進み出た。
「今日からそなたは、巫女見習いとなる。白村の婆殿は、すぐれた巫女であった。そなた

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月と陽のあいだに 35

月と陽のあいだに 35

若葉の章貴州府陽神殿(8)

 坊には、年齢の近い『お子』と、彼らの世話役の兄弟子、姉弟子が一緒に暮らし、日々のお勤めのやり方を教えたり、話を聞いたりする。だが、昨日まで家族の庇護のもとで甘え、一日の大半を遊び暮らしていた十歳の子どもにとって、神殿の暮らしがどれほど厳しいものかは、想像に難くない。朝早く起きるのはつらいし、暑い夏でも凍りつくような冬でも、お勤めに手加減はない。夜になると家が恋しくて

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月と陽のあいだに 34

月と陽のあいだに 34

若葉の章貴州府陽神殿(7)

 翌朝早く身支度をした白玲は、婆様に連れられて、陽徳殿の祈りの儀式に参列した。大巫女に合わせて、居並ぶ巫女や神官が祈りを捧げる様子は、荘厳でありながら清らかだった。列の端に自分と同じくらいの子どもを見つけて、白玲は明日からの新しい暮らしに身が引き締まる思いがした。
 朝食のあと、白玲は学坊という建物に呼ばれて、今日から寝食を共にする姉弟子とお子に引き合わされた。一日の

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月と陽のあいだに 33

月と陽のあいだに 33

若葉の章貴州府陽神殿(6)

 貴州府陽神殿は、輝陽国各地から子どもたちを集め、将来の巫女や神官を養成する教育機関でもあった。有力者の子弟や裕福な商家の子が、行儀見習いのために預けられることもあったが、白玲のように、各地の神官や巫女の推薦でやってくるものもあった。
 十歳の誕生日を迎えると、子どもたちは後見人に連れられて大巫女の面談を受ける。そこで許されて、初めて『お子』と呼ばれる行儀見習いになる

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月と陽のあいだに 32

月と陽のあいだに 32

若葉の章貴州府陽神殿(5)

 荷物を解いた婆様は、まずはお清めと言って、湯殿で旅の汚れを洗い流した。浴槽にはたっぷりの湯がはられ、薬草の葉を練り込んだ石鹸は、朝の森のような香りがした。
 婆様は、白玲の体と髪を念入りに洗い、新しく仕立てた衣を着せた。婆様も、薄ねず色の巫女の衣を着た。白村の社で野良着姿ばかり見ていた白玲は、婆様は本当に巫女様だったのだと見直してしまった。
「あんまり見られると、く

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月と陽のあいだに 31

月と陽のあいだに 31

若葉の章貴州府陽神殿(4)

 生まれて初めての大きな町で、人混みに揉まれた白玲は、婆様にもたれかかって眠っていたらしい。「起きなさい」と肩を叩かれて、跳び上がらんばかりに驚いた。その様子に、案内の衛士が目を細めた。
 衛士についてくぐり戸を抜けると、その先には白い玉石の緩やかな坂道が、林の奥まで続いている。陽徳殿のような建物が並ぶ景色を想像していたので、白玲は少し拍子抜けしてしまった。
「本当に

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月と日のあいだに 30

月と日のあいだに 30

若葉の章貴州府陽神殿(3)

 麓苑には白い玉石が敷き詰められて、石段の上には白木造の神殿が連なっている。その中心には、真東に向いて建てられた陽徳殿があり、陽神の形代である神鏡が祀られている。一年に二回、春分と秋分の朝には、真東から昇った太陽の光が大扉を抜けて、祭壇の鏡に反射して荘厳な光の輪を描く。その輪の中で、大巫女が陽神に祈りを捧げる儀式が行われる。五穀豊穣や家内安全、家業の繁栄を願う人々が、

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月と日のあいだに 29

月と日のあいだに 29

若葉の章貴州府陽神殿(2)

 もやい綱を解き、船頭が長い竿で船着場の岩壁を押すと、船はたちまち流れに乗った。春先の淮水は、雪解け水を集めて流れが速い。生まれて初めて船に乗った白玲は、船端にしっかりつかまると、飛ぶように過ぎる両岸の景色を飽かずに眺めていた。

 一昼夜の船旅を終えて、二人を乗せた船が貴州府の船着場に着いた。商人は婆様に挨拶すると、鎮安街の自分の店へと帰っていった。迷子にならないよ

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月と日のあいだに 28

月と日のあいだに 28

若葉の章貴州府陽神殿(1)

 貴州府は、輝陽国の中央平原の中ほど、暗紫山脈から流れ出した大河淮水が、緩やかな丘を巻いて流れる岸辺にある。双山と呼ばれる二つの丘を中心にして、堅固な城壁に守られた都だ。
 双子の丘の一方の宮山には、陽帝の居城である暁光山宮が緑の瓦をきらめかせている。もう一方の神山には、陽族の祖神をまつる貴州府陽神殿が鎮座している。二つの丘のふもとには、貴族や武家の屋敷が皇宮の守りと

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月と陽のあいだに 27

月と陽のあいだに 27

若葉の章白玲(6)

 「婆様、あたしの父さまは悪い人だったの?」
白玲が、婆様の目を見てたずねた。
「いいや違う。お前の父は、穏やかで礼儀正しい若者だった。決して賊ではなかったよ。詳しいことはわからないが、何か事情があったんだろう。お前の父を邪魔だと思う者が、いたんだろうさ」
 婆様は白玲に、他人の前では父のことを言ってはいけないと、言い聞かせた。どうして、とたずねる白玲に、お前を守るためだと言

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月と陽のあいだに 26

月と陽のあいだに 26

若葉の章白玲(5)

 夕方になると、白丁の母親が、息子を連れて庵へやってきた。戸を蹴破らんばかりの勢いで入ってくると、白玲を指差して怒鳴った。
「婆様の養い子が、うちの丁を落とし穴に落としたんだよ。馬糞まみれになって、臭くてたまらない。どうしてくれるんだい」
婆様はあわてる様子もなく、まあ掛けなさいと、親子を縁側に招いた。
「白玲も馬糞まみれで帰ってきたから、何かしたと思っていたが、落とし穴を掘

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月と陽のあいだに 25

月と陽のあいだに 25

若葉の章白玲(4)

 翌日も、白玲は手と顔をどろんこにして帰ってきた。涙をいっぱい溜めたまま、うつむいて帰ってきたが、婆様に泣きつくことはしなかった。
 そして数日後、朝早く起き出した白玲は、婆様が畑仕事で使う小さな鍬を持つと、どこかへ出かけて行った。やがて朝餉に戻ってきた白玲は、手も足も泥だらけ。婆様は、白玲を近くの小川へ連れていくと、裸にして川につけ、髪から足の爪先まで何度も洗った。
「早起

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月と陽のあいだに 24

月と陽のあいだに 24

若葉の章白玲(3)

 糸巻きを持ち上げて、右へ左へ交互に動かしながら、婆様は言った。
「白丁も他の子どもも、みな臆病なところがあるのさ。多くの人間は、肌の色や髪や目の色が同じなら安心する。弱い生き物にとって、数の多いものの仲間でいることは、生きるために大事なことなのさ。だから、少しでも違うものが混じると、不安になって弾き出そうとする。それは、持って生まれた質なんだよ」
「じゃあ、あたしはいつにな

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月と陽のあいだに 23

月と陽のあいだに 23

若葉の章白玲(2)

 「どうして色が白いとダメなの?」
夕餉の膳の前で手を合わせながら、白玲がたずねた。婆様は、小さな椀に麦飯をよそいながら答えた。
「だめなわけじゃない。人は、自分と違うところがあると、怖がるものなんだよ。白丁は大きい図体をしているが、案外臆病者なのだろうさ」
でもイジワルされるのは嫌、と白玲は首を振った。
「ねえ、婆様。あいのこってなあに。どうしてあたしは、みんなよりも白いの

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