アートとは内部体験だという根本

どうも〜どうも〜!!!

アートを愛して37年の美学者母です。

最近のアートと呼ばれる作品、

とくにメディアアートなんかの領域では。

現実と非現実をクロスオーバーさせた、

バーチャルリアリティーだったり、

また違った切り口の拡張現実を作品にしていたりします。

そこでメディアアート全般と、

アートの境目が一般的に混同されている。

そのように最近強く思うのですね。

根本的にアートというのは内部体験に依存している、

そのような基本の理解が必要なのです。

最近僕はチームラボの作品をアトラクションと呼びました、

それはこの根本原理から捉えて、

チームラボの作品はアトラクションと定義しています。

それはチームラボが作るものが、

外部体験に依存している作品だからです。

それに対していつも相対化させていただいている、

真鍋大度さんの作品は内部体験に依存しているのですね。

そのような根本原理の上で、

チームラボの作品は勘違い野郎だと言うし、

真鍋大度さんの作品は素晴らしいと言うわけです。

一見この違いは大したことが無いように思うのですが。

この内部体験と外部体験は、

言って見れば「次元」が違うものを作り出しているのですね。

外部体験というのは言って見れば、

ユニバーサルスタジオやディズニーランドのアトラクションと同じです。

内部体験というのは言って見れば、

マルセルデュシャンやアンディウォホールと同じです。

まずこの次元の違いがわからない人には、

説明が複雑化してしまうのですが。

簡単に言えばそういうことです。

なので最近のアートというのを見ていると、

短絡的に外部体験に依存した作品を多く見ます。

それはジェットコースターのようなものです。

非常に簡単で解りやすくてなんとなく楽しいわけです、

最近は現代アートのイベントのような事が全国的に行われ、

その様な短絡的な作品が増産されているわけですが、

そのような動きの中に、

チームラボがいるという事を理解するべきです。

短絡的なものは人を馬鹿にします。

ある意味ドラッグのようなものと同じです。

非常に快楽的で依存度が高いのです。

つい先日、

元プロ野球選手の清原さんが覚せい剤で逮捕されました。

一度短絡的な快感にはまってしまうと、

なかなか人間は抜け出せないのですね。

それはアートでも同じ事なのです。

美学者母

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