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鳥取旅行。純粋な“好き”の波紋を教えて下さったご婦人オーナーさん vol.2(2019年50歳)

こちらは、vol.1つづきです。
vol.1は、こちらからご覧くださいませ👇

では、つづきをどぞ!👇


お話によると、なんでもこちらは、ご自身の西洋磁器好きが高じて始められたお店で、あくまで「ご趣味」なのだそうだ。
ちなみにメインのご活動は、2階でご自身が主催されている「お菓子教室」であり、お店の品々は、基本的にそこでご縁が生まれた方々に向けたもの。それ故、来店者もほぼ限られているとのことだ。

「だから、特に看板には説明を入れていないし、他に目立つものは出してないんですよ……」
「なるほどーー!」
ここに来ての思いがけない謎解明に、私は軽い快感を覚え、大きく頷いた。
……お?ってことはですよ、この訪問はかなりイレギュラーってこと。さぞかし驚かれたことであろう……。

そんなことを思っていると、店主さんは続けて詳しい趣旨もご説明になった。
「例えば、ティーセットをご購入された昔からのお得意様が、何年か後に『カップを壊してしまったので、また同じものが欲しい』とおっしゃっていただくこともあるんです。でも、もうその時点でメーカー側の取り扱いが終わっていることもあるので、あらかじめもう1セット、予備としてこちらで用意しておいて、いつでもご要望に応えられるようにしているんです」

私は驚きの声をあげた。だって、それじゃあいつ買われるか分からないし、ずっと買われないかもしれないではないか!
「好きでしていることなのでいいんです。……それに、他に欲しいと言う方がいらっしゃったら、お売りしちゃってます。そこら辺のやり方が趣味なんですよね……」
フフッと微笑む店主さん。……すごい!なんたるゆとり!

「今お店にあるのは、ヨーロッパの名窯で作られたデッドストックのものと、アンティークのもの、近年のものです。割合的には少し前の年代のものが多いかな?……同じ窯でも、年代が異なると品質や印象も変わってくるの。昔のものは、今と製法が違っていたというのもあって、品質や装飾技術が本当に素晴しかった!だから、その時代(各窯の黄金期)の本物を沢山見るといいわよ!」

そうおっしゃりながら、店主さん、スタスタと大きなキャビネットに移動。奥から箱を何個か取り出して蓋を開け、ふんわり薄い包み紙を次々と広げられた。

……そこから現れたのは……年代物の、ティーポットや磁器の人形たち!(←実は、お客様のお取り置きの品で、貴重で高価な物😅)

「わ~っ!」
思わず釘付けになる視線。
その美しさたるや、単に色や形がキレイというだけでなく、全体から放たれる繊細で優美なオーラがただならぬ。しかも、間近で見ても真なのだ。

おそらくそれは、技術力の確かさはもちろんのこと、細部に渡って妥協なき表現の追求がなされた結果。とにかく見ていて飽きない。
お人形なんかは今にも動き出しそうだし、微笑ましいユーモアなども“さりげなく”演出されていたりして、物語の背景や心情といった想像力が自ずと掻き立てられる。
「人形は、見る人や見る日によって感じ方が違うから、そこがまた魅力的なのよ!!」
ウッキウキで語られる店主さん。尚も別な箱を取り出し、お人形をお披露目して下さるのだった。

そして、一連のご説明が終わると、開け放たれた箱もそのままに、今度は入り口付近のグラスとカップが並ぶ棚へ移動。
「参考までに……」と、同シリーズの“昔のもの(黄金期のもの)”“現在のもの”を、横並びにして下さった。

すると、その差は歴然!薄さや磁器の肌質など、かなり違う。
もちろん現在のものも素敵だが、昔のものの方がより繊細で、やはり全体の姿から何とも言えない気品が漂っている。まるで深窓の令嬢だ。粗野な私でも、自然と「こりゃあ、なにがなんでも大切にせねば!」と覚悟を決めるレベルである。

この本能的な心の動きからも、“黄金期の本物”こそが真の魅力であることを実感した私。以前、西洋名窯に憧れ、ティーセットを少しだけ買い揃えたことを思い出す。
『結局、しっくり来なくて手放しちゃったんだよな……もし、あれらが黄金期のものだったら、おそらく……』

……しかし、そんな回顧も束の間。またもや、店主さんが箱からどんどん品を取り出し、西洋窯の歴史までをも熱くレクチャーし始めて下さったため、すぐさま現実に帰還したのだった。

店主さんの情熱的なご説明は、本当にどれも興味深く、こちらもすっかり白熱して聞き入った。
……が、はたと我に返ると、沢山の箱が全開で出しっぱなし……。
だんだん恐れ多くなり、ハラハラし始めたのだが、なんと店主さん、ここに来てまで、別な人形を箱から出された。
「だ…大丈夫ですか?貴重なものをこんなに出して……」
「大丈夫、大丈夫!ね、ほら見て!この肌の色。今のものと全然違うでしょ!」

……そう、店主さんには、そんなことはどうってことなくて、それよりなにより、今手にしている年代物の人形が、広げたカタログに掲載されている“同型の近年製のもの”いかに異なっているかを知ってもらいたい一心なのだ……。
いやはや、熱い!でもって、なんて器の大きい方なのか!まさに“本物”である。

このように、筋金入りの「西洋磁器愛好家」である店主さんだが、私にだけこんなにも情熱的という訳ではないようだ。
それは、「近隣の方々にも本物の素晴らしさを気軽に知っていただくため、年に数回展示会を開いている」「お菓子教室の試食はコレクションの洋食器に盛り付け、生徒さんに優雅に味わっていただいている」などというお話からも窺い知ることが出来た。

趣味が高じたとは言え、その域にとどまらず、多くの方々と分かち合おうとする、店主さんのエネルギーは、どこまでも純粋で軽やかで広大。
その波動が私の核に届いた時……意識がグンと拡大したのを感じた。

こうして、沢山の眼福と知識を授かった私は、重ね重ねお礼を告げて店を後にした。

本当は、この素敵な出逢いの記念に何か買おうと思った。
けれど、敢えてやめた。
何故なら、この時の手持ちのお金で買えそうなものをなんとなく選んで買うよりも、もう少しお金を貯めて、心から気に入ったものを買いに来ようと決心したからだ。

純粋に好きというエネルギーは、純粋でキラキラとした波紋を創る。
是非また店主さんにお会いしたい。その頃には私の事なんて忘れておられるだろうが、それでもいいから。
沢山のことを、屈託なく惜しみなく授けて下さったお礼がしたい。
このような想いを、きっとこれまで多くの方々も抱いたのであろう。
だから昔からのお得意様が多いのだ……。

言い知れぬキラキラで一杯になった私は、風通しの良くなった胸で再び外界を歩き始め、何気なく腕時計を見た。
「あっ、ちょうどレストランの開店時間だ!」
瞬間、夢の世界から現実へ一気にグワンと引き戻されたような、妙な感覚に陥った。
と同時に、周辺を彷徨っていたあの時の自分が、遥か昔の事のようにみるみるセピア色に褪せていった。

「(年齢的・体力的に)いつまで活動できるか分からないけど、出来るだけ続けていこうと思っています」
レストランまでの道々、店主さんのお言葉を思い出す。
私は、これからもずっと思いのまま情熱のままにご活動出来るよう切に願った。そして、貴重な体験を与えて下さった店主さんに心から感謝した。

有形であろうが無形であろうが、本物(真)であること。それは、人の内界をも刷新するほどに偉大であった。



ここまでご覧くださいまして誠にありがとうございます😌
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