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子供の頃、僕は両親を助けたかった

ある方のnoteに、こんなことが書かれていました。

自己理解を深めていくと、

「母親を助けたかった」
「父親に認めてもらいたかった」


のどちらかに行き着く人が多い


この半年くらい自分のことを見つめ直すなかで、「自分は幸せな家庭を築きたいと強く願っている」ことに気付きました。
仕事も大事だけど、家族の方がもっと大事で、家族でたくさん思い出を作りたいと思っています。

また、「子供が豊かに育つ社会をつくりたい」「ママ・パパが自分らしく活躍できる社会をつくりたい」と思っていることにも気付きました。
今後、何かの形で地域や社会に貢献したいです。



その背景には「両親の影響」が強く関係しています。
そして、子供の頃から僕はずっと両親を「助けたかった」のだと思います。



●仕事人間の父親と、そこに嫁いだ母親

父親は、祖父の代からの自営業を受け継いでおり、平日も土日も関係なく朝から晩まで働くような人です。

そんなところに県外から嫁いだ母親は、一人で僕と妹を育てあげたと言っても過言ではなく、子どもの前では決してそんな態度は見せなかったけど、大変苦労していたと思います。

うちの父親の家系は「昔ながら」な感じで、「嫁いで来たら、自分の実家には帰らないもの」という風潮があったらしく、母親は年に一回実家に帰るのにも肩身のせまい思いをしていたそう。

子どもながらになんとなく「母親は実家に帰りたくて帰れない」ということを感じていたのでしょう。
僕がまだ小学校に入る前に母方の祖父が亡くなり、数日間、葬儀のために母親の実家に帰ったのですが、帰り道に「また誰かが死んだら実家に帰れる?」と母親に聞いて、ものすごく怒られたのを覚えています。
あの時は、「そういう意味で言ったんじゃないのに」とつぶやくので精一杯でした。



●災害と両親

そんな母親の苦労も知らず、僕も妹も大人になり、それぞれ県外に就職しました。

しばらくしたある日、実家の近くで大規模な災害が発生しました。
実家周辺は被害が大きく、うちの実家も大きな被害を受けました。
両親はしばらく避難所生活をすることになりました。

うちの父親は仕事柄、色んな客から相談を受けていたらしく、実家のことを後回しにして、街の復旧に駆けずり回っていたらしいです。

その間、母親は一人で避難生活。
周りの人たちは少しずつ家の復旧作業を進めていくなかで、いつまでたっても自分の家のことをしない父親についに痺れを切らしたのか、この災害を機に実家に帰ってしまいました。

母親からすると、僕も妹も実家におらず、父親も仕事ばかりしている状態で一緒に住んでいる理由がないし、大災害が起きてもなお独りぼっちにされて我慢がならなかったのだと思います。



災害も落ち着き、実家も片付いた頃、父親と飲みに言った時に、「母さんと結婚してからは、仕事をすることが家族のためになると思って必死で働いていた」と言っていました。

父親は父親なりに一生懸命に生きてきたのだと思います。
ずっと家にいない父親を見ていて、子供ながらにそれは感じていました。

長年の両親の間柄から、「家のことは後回し」という感覚が父親の中では当たり前になっていたのでしょう。
この災害時には、被害にあって困っている客達から頼られたことや、もともと古風な家庭環境も合わさり、母親のことをないがしろにしてしまったのだと思います。

父親のしたことに賛成はできませんが、理解はできます。

結局離婚はしていませんが、僕の両親は今はそれぞれ別々に暮らしています。



●僕はずっと両親を「助けたかった」

僕はこの両親の影響を強く受けていると思います。


子供の前では決してそんなそぶりを見せなかったけど、「寂しさ」「辛さ」と戦ってきた母親。

仕事をすることが家族の中での自分の役割だと信じ、結果的に家族のことをないがしろにしてしまった父親。


今まで言語化できていませんでしたが、二人の歯車が噛み合っていないことはなんとなく感じていて、そんな二人を僕は子供の頃からずっと「助けたかった」のだと思います。

自分にもっとできることはなかったかな、と後悔もしています。

そのことが、「幸せな家庭を築きたい」「子供が豊かに育つ社会をつくりたい」「ママ・パパが自分らしく活躍できる社会をつくりたい」といった想いに繋がっているのだと思います。



ただ、親には親の人生が、僕には僕の人生があります。

親の影響を受けていることを理解したうえで、僕の人生を歩むことが大切だと思います。

僕は僕の家族を大切にし、そして社会に貢献できるよう、これからも学び、行動していきたいです。

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