【誤解!】課題の分離を勘違いしていませんか?
「嫌われる勇気」の本でとても有名になったアドラー心理学。
特に、この本の中でもよく話題に上がるのが「課題の分離」という考え方です。
「課題の分離によって救われた!」
というような、前向きな感想がある一方で、課題の分離に対してこんな声も聞かれます。
確かに、本を読んだだけでは本当の意味を理解するのはなかなか難しいのではないかと思います。
でも、うまく使えばとても人間関係が楽になる「課題の分離」。できれば、少しでも多くの人が本来の意味を理解し、生活の中で活用できたら・・・。
そう思い、今回は「課題の分離の誤解」についてお話していこうと思います。
課題の分離とは
こんにちは。
こころの土台となる「レジリエンス」を育てる専門家、心理カウンセラーのまあこです。
まずはじめに、課題の分離とは
というものです。
これは誰の課題なのか?を考える際は、「その課題に最終的にコミットする人は誰か?」を考えるといいでしょう。
例えば、宿題をしない子どもに対して毎日親が怒っていたとします。
でも、「宿題をする」というのは誰の課題でしょう?
最終的に宿題にコミットしなければいけないのは、子どもですよね。
このように、自分の課題と他者の課題を分けることで相手の課題に踏み込みすぎずに済み、感情的にならずに済みます。
課題の分離はスタートに過ぎない
さて、ここまでは、きっとよく聞く通りです。
ここから先が誤解を招きやすいポイント。
課題の分離を実践する上で、忘れてはならない概念があります。
共同体感覚というのは、他者を「仲間」だと捉え、その共同体に対して協力し、貢献するという考え方。
「周りと繋がっていると感じられる感覚」のことです。
家族や、学校、職場、そして住んでいる地域など、私たちは自分以外の人達とともに生活しています。
私は「家族」の一部であり、職場のメンバーの一部です。
決して、たった1人で生きている訳ではありませんよね。
その「共同体」の中で、自分が周りの人の役に立っていると感じられること、居場所があると感じられること、アドラー心理学ではその感覚が幸福につながると言われています。
嫌われる勇気の本の中にも「課題の分離はスタートである」と書いてあります。
課題を分離するために、他者の課題を単に切り離し「私は関係ない」とするのは、共同体感覚とは相反する行為となるのです。
「課題の分離は冷たい」と言う人の多くは、共同体感覚について、まだうまく理解できていないのかもしれません。
「課題を分離する」というのは、決して「他者は関係ないのだから自分勝手に振る舞っていい」という意味ではありません。
嫌われる勇気というのは、
という意味ではなく、
という意味なのです。
共同の課題
そして、他者が困っている時、他者があなたに助けを求めてきた時は「私の課題ではないから知らない」と切り捨ててしまうのではなく、「共同の課題」にした上で協力して解決策を考えてあげるといいでしょう。
私個人としては、この世の中には「共同の課題」が数多くあると考えています。
例えば、家事・育児は、夫婦にとっての「共同の課題」と言えるのではないでしょうか。
家事は妻(もしくは夫)だけの課題でしょうか?
育児は妻(もしくは夫)だけの課題でしょうか?
どちらかに押し付けるのではなく、夫婦2人で話し合って決めていく必要があるのではないでしょうか。
また、仕事におても「共同の課題」は多くあります。むしろ個人の課題の方が少ないのではないでしょうか。
あなたは、子どもやパートナー、大切な相手が悩んでいる時
「助けてほしい」
と依頼を受けたら、助けてあげたいと思いませんか?
一度共同の課題にしたのなら、積極的に話し合い、助け合い、共同で解決していくことが大切です。
いかがだったでしょうか?
共同の課題、初めて耳にした方もいるのではないかと思います。
共同の課題については、またいずれ詳しく解説しようかなと思いますが、まずは最低限「課題の分離」について理解して頂けたら嬉しいです。
今回はこの辺で。
ここで出会えたことに感謝します。
野口嘉則さん認定心理カウンセラーとして、心理カウンセリングのセッションを行っています。ご興味のある方はこちらをご覧ください。
https://note.com/maako2019/n/nb03e11cf7ff0
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