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自分と他人の境界

「相手の状況見て手伝ってあげて」「相手を巻き込んで仕事しよう」
仕事をしていると、乗り気じゃない相手を行動させなければならない場面も多いです。「自分は自分、人は人」と思っていた私は自分と他人の境界線を引いて、自分に集中しすぎるところがあります。
今回は自分と他人の境界について考えます。


手伝える人と巻き込める人

時々、すぐに人を助ける人や、いつも人を巻き込んで行動する人を見かけます。
あなたの周りにもいるでしょうか?その人を想像してみてください。
きっとその人は、何かあっても人のせいにしないでしょう。自分の行動に責任も持っていそうです。
その人にとって、自分と他人の境界はどんなものでしょうか。
手助けする相手や巻き込む相手を”他人”と感じてないように見えます。つまり、そこに自分と他人の境界がないように見えます。


自分も振り返ってみる

私は自分のことに精一杯で、人助けも満足にしていません。いつも誰かを巻き込むかといえば、そうでもありません。ただよく思い出してみると、”人によっては”助けるし、”人によっては”誘って一緒に行動したりします
じゃあ、”人によって”の人とはどんな人なのでしょう・・・

それは家族であったり、恋人や友人であったり。声をかけるときに”他人”だと思っていない人たちです。この人たちは他人ではないけど、自分でもありません。つまり、自分と他人の境界にいる感覚です。


自分と他人の境界=”私たち”

私の場合、自分と他人の境界に大切な人たちがいます。ですが、その境界に含まれるメンバーは、時と場合によってまちまちです。
家族や恋人は困っていたら全力で助けたいと思いますが、友人は私自身に余力がなければ助けたいと思えません。楽しい遊びを思いついたら、一緒に楽しんでくれそうな恋人や友人を誘いますが、遊びに理解が得られなそうだった場合家族は誘いません。
この時、自分と相手が共同体であるどうかでメンバー分けをしています。家族や恋人が困っていたら、それは私が困っているのと同じような感覚になります。楽しい遊びをするときに、一緒に遊びたいと感じます。
時と場合によって、私(自分)から”私たち”の感覚に広がっていました。


まとめ

仕事も遊びも、上手な人の周りにはいつも人がいる気がします。きっと、その人の一番の魅力は、個(自分)の感覚より共同体(私たち)の感覚で過ごしているところだと思います。
きっとこれも”相手を思う気持ちで自分も満たされる”感覚です。まだまだ未熟で自分の殻に閉じこもりがちな私ですが、”私たち”の感覚を意識して過ごしたいです。


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