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ローズティーパーティーのさなかに



一番最初のきっかけは、
アメリカに住む叔母から贈られた白地に赤い花柄のパジャマ。

若い頃の叔母さんは、とてもお洒落だった。いつもトレンディドラマに出てくる女性みたいな格好をしていて、子供の頃の私は密かに叔母さんに憧れていた。

だからとても嬉しかったことを覚えている。

叔母の姉である母もそのブランドが好きだった。
10代後半からは、母と隣町まで買い物に出ると必ず寄る店でもあった。

ハンカチ、ティースプーン、ソーサー、ステーショナリー、などの雑貨が気が付く身の回りにある状態。

好き、嫌いという強い両極的な感情ではなく
いつも家族のような安心感をくれるブランド、

どこにでもありそうで、でも他のどこにもない、クラシカルな愛らしさと上品さを両立させた色柄が好きだった。


先日図書館で偶然、ローラアシュレイという1人の女性の生涯を綴った本を見つけた。

『ローラ・アシュレイ』
~デザインに捧げた人生~
アン・セバ著


―――舞台はイギリス、
幼少期を経て学校を卒業し、秘書から海軍婦人部隊に入隊し、戦後は金融街に勤め
アシュレイという男性と恋愛をし、結婚をし、どちらかというと保守的な主婦として生活していた女性、ローラが
夫と共にファブリックを作りはじめ店舗を持ち、必要に迫られる形でデザイナーとしての才能を発揮し、
夫婦で、やがて子供含む家族全員で巨大なブランド帝国を築き上げる

会社が株式会社になる手前で息子に肩書きの全てを譲り
家族に囲まれ60歳の誕生日祝いをしたその日に別荘の階段から転落して突然亡くなる―――までの内容。

これらは全て初めて知ったことだった。

これまでの私にとってローラアシュレイは人ではなく物であり店、ブランド名だった。

本を読んで改めて
ブランドの作り手は人間で
更に人と人との結び付き、熱量と信頼関係の強さに比例して強い形になってゆくのだ、という当たり前の部分に触れることが出来た。


『創始者のスピリットを物質化したものがブランドで
その想いの強さが(本人が亡くなった後も)ブランドの軸や強さに繋がる』

これは私なりの有名ブランドの定義だ。

ただローラアシュレイには他ブランドの創始者達と性質が大きく異なる点がある、と感じた。


まず
ローラははじめからデザイナーになりたい、アパレルブランドを立ち上げたい、と思っていた訳で全くはなく、
結婚当初は主婦として堅実に生きる選択をしていたということ。

パートナーとの結婚生活、
その延長線上にある共同作業のひとつとして、
――いつまでも勤め人で居たくはない、という思想を持ち野心家でもあった夫をサポートする生活から生まれた化学反応の過程で
あくまで実験的な形で二人でファブリック作りをスタートさせたのだ、ということ。

そして歴史に揺さぶられながら、
苦労して店舗と工場を持ち、経営を軌道に乗せるまでにもかなりの時間を費やしていること。

イギリス、ウェールズという土地の人々を少しずつ味方に付けながら、土地と共に育ったブランドであるということ。

根気よく、人を大切にしながら自分達の世界の味方を少しずつ増やし、
その結果として市場の急速な拡大があったこと。

オーストラリアから始まりヨーロッパ、パリへと店舗を展開し
ついにはアメリカという巨大資本主義国へもその世界観を見事に馴染ませ
まだ14歳であったダイアナ妃をはじめとする有名人からも愛され、沢山の女性達に身近なブランドとして受け入れられる、

――これらのシナリオは全て、はじめから意図していた訳ではなく
夫妻の生活と二人の熱量の結果としての形だった、ということ。


全てがはじめから揃っていた訳ではなく、
これらの過程から、
ローラは英国の女性が求めるもの理解し、海外進出後は柔軟に流行を読みながら色柄を提案するファブリック、アパレルデザイナーとして

夫のバーナードは会社に必要な人材を見抜き、取引先を見つけ出し
(日頃ローラが過剰な演出を嫌っていたのもあって)大型広告を出す時期、海外進出の時期を見誤らない経営者としての才能を開花させている。


日本にローラアシュレイが上陸したのは彼女が亡くなる半年ほど前の1985年。

「衣料品はサイズを日本人の体型に合わせて小さくしたが、デザイン、品揃えは世界か各地のショップの店頭にあるものと同じ」

「オープニングセレモニーは(これまでの海外出展と比べ)最も豪華なもので、日本の皇族も出席して行われた」のだそうだ。



私が5年前に、ある人から聞いてとても影響を受けた言葉。

「アパレルは
『着る人間にどのような人生を歩ませたいか』という部分を、繊維から作ることの(クリエイト)出来る業種だ。」

服に限らず、これはどの物質製品にも言えることじゃないだろうか。

『どのような人生を歩ませたいか』

この本を読む限り
ローラはその部分だけはいつも心の中心に据えていたように思う。

彼女自身が結婚当初から大切にしていた『家や家族を大切にする堅実な女性』という信条と生き方を品物として、服やインテリアとして販売していたのだ、ということを理解した。

(必ずしも結婚=幸せという型に当てはめる必要はなくとも、自分の住まう環境や家族を大切にすることは、人としてやはり大切なことだ。)


それはただの物質で、布で、模様だ。
けれども製品を目にした時、手にした時に生まれる気持ちが必ずある。

物質以上のエネルギーを私達は無意識に受け取っているのだ。
それがブランドの価値に繋がるのではないだろうか。

冒頭に書いた思い出も加わって
私はローラアシュレイの品物を母だけでなく、年上の親戚縁者の女性にギフトとして、また手土産として選ぶことが多かった。

これは無意識に『家族の繋がり』を表現しようとしてのものだった。

私はローラのを意思をきちんと受け取っていた。

それに触れた時に生まれる安心感と高揚感は
アシュレイ夫妻のエネルギーから生み出されたものだったのだった、

時を越えても、国を越えても、言葉を介さずとも、
物質として思想が確かな形で伝わる。

私はそのエネルギーに、体験として巻き込まれた。


「ガッツとスタイルを持ったとてつもなくすごい夫婦」が
英国の土壌と共に人生の全てを注ぎながら家族ぐるみで育てたブランド。


『気取りすぎない見知った家族の
ティーパーティーのさなかに招かれたような気持ちにさせてくれる』

そう感じていたのは幻想などではなかった。

その確かな理由を知って
私はローラアシュレイをもっと好きになった。




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