ブログ、始めました。(プロフィール)
初めまして。山村真梨菜と申します。
1996年生まれ、大阪府出身。
HSS型HSPです。
現在一般企業の総務部で労務関連の仕事をしていて、
副業ではブログを運営していたり、
ライターとしてお仕事をいただいています。
趣味は散歩と芸術に触れること、
こうして文章を書くのも元々すごく大好きです。
(写真は本当に大好きな近所の景色)
今日はブログ開設記念に、今の思いやライターになるまでの経緯を残しておけたらと思います。これから仕事上でも、SNS上でも、何かしら私とご縁を持ってくださる方に、私のことが伝わるように思いを込めて書きます。
きっかけは二度のメンタル不調
今こうして副業をしているのは、社会人になって二度メンタルからくる心身の不調を経験してきたからです。(現在社会人四年目なのですが•••)
一社目は小売業で接客販売を行なっていました。
会社は名が知れてるほどの知名度、さらに関西で一番大きな店舗に配属となり、期待も大きかったんだろうと思います。
そんな中、念願だった一人暮らしも社会人早々始めました。
そこからは、生活費を稼ぐのに必死でした。
お給料は変わらないのに、真面目すぎる性格から「きちんとしなきゃ」を繰り返す毎日。欠かさずお弁当は持参し、先取り貯金で頑張ってお金も貯めていました。
シフト制だったこともあり、友達と休みも合わなくなりました。
SNS上では土日にディズニーランドに行く彼女たちを静かな部屋で眺めながら涙を流した日もあります。
それでも自分で選んだ道なのだから文句は言ってはダメだ、頑張って耐えるんだ。
そんな日々で自分の気持ちに蓋をし続けた結果、メンタルを壊しました。体重は過去最低まで落ち、痩せこけてしまって。
本気で日常から笑顔がなくなり、出勤途中の坂道で過呼吸のように息が出来なくなり、足がすくみました。
職場では、人の沈んだ表情とかにすぐ気付いてしまう特徴があるので、声を掛けたり、何か笑顔に出来ないか話を聞いてあげたり、人一倍周りに気を配っていました。それが私の出来ることであり、私もそれが好きでそうしていました。
だからこそ人望はあったし、こんなメンタルやられてる時でさえ、他人の心配をしている自分がいました。
しかし退職の旨を伝えると、「しんどそうだったもんね」「よく頑張ったね」と思った以上に優しい声を受け取って、今でもあの職場の方々には感謝しています。
こうして円満退職し、初めて一人で暮らした思い出深い部屋を出て実家に戻ることになりました。
新しい夢に向かっていた無職時代
さて、退職して次に志したのは国家資格の「社会保険労務士」でした。
当時次の目標を決めてからでないと辞めるきっかけが出来ないと思っていたのは確かですが、強く考えていた想いはたった一つでした。
そこから毎日13時間、約8ヶ月間の勉強期間で、合格率6%前後の試験に見事一発合格しました。
「すごすぎる!」「本当に努力家でよく頑張ったね!」たくさんの言葉をいただきました。自分でもよく頑張ったなと思います。でもたくさんの人と関わることなく、自分のペースで自分とひたすら向き合いながら励んだ勉強は、不思議と苦じゃなくむしろ楽しい期間だったなと思っています。
そして、あんなに病んでいたのにも関わらず、早く人の役に立ちたい、資格を活かして働きたいとさえ思っていたので、すぐに転職先も見つかり、晴れて二社目に入社することになりました。
社会保険労務士としてのスタート
やっと労働者の救いになれる実務経験が積める、そう思って入社しました。
二年の実務を積めば社労士として登録出来るようになるので、何とかそこまでは頑張ろうと思っていました。
でも一年働いた頃、また突然メンタル不調により身体を壊してしまいました。
原因は会社の方向性でもあったのですが、慣れないうちから担当をいくつも持たされ、やったことをないことでも専門家として頼られる、そしてそれに対して会社のサポートが全くないことでした。
一社目と違い、「なんかこれは違うかも、早く逃げた方がいいのかも」と察し、体調を崩し掛けた時に、散々悩んだ挙句退職を決意しました。幸い、メンタルクリニックでも軽症の診断で、薬も少ないもので済ませられました。
自分の生き方を模索中の現在
そして現在の会社に転職し、本業をしつつも副業として
「書く仕事」をしています。
会社に属して働くのが感覚的に向いていないため、フリーで自分を大切にしながら働く方法を現在模索中です。
HSS型HSPは探究心が強く、新しいことにチャレンジしたくなるにも関わらず、HSPの性質からすぐに疲れ切ってしまったり、そんな自分を責めてしまいがちです。
もっと理解を深めて、自分自身と向き合って、いつか私と同じように苦しむHSPの方向けのコンテンツなども作れたら良いなあ。密かに夢として掲げさせてください。
不思議なことに、「私と同じように苦しむ人の救いになりたい」という想いは、前職の頃からずっと変わっていませんね。そういう性格なんだと思います。
そのために、まず自分自身への理解、自己愛を深めていって、今後もマイペースに活動出来ればと思います。
そしていつか場所を選ばず、自分なりの誇りある仕事をしながら、私と似た信念の人に囲まれて、愛情を届けられる仕事が出来ていますように。
私はまだ、生きることを諦めません。
これを最後まで読んで下さった方に、小さくても幸せな出来事が訪れますように。
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