「嫌にならないの!?」 なれません
え!?
色々疾患があり、合併症があり、各々の対応が必要な時......
新たに導入する治療の説明の時に聞かれたのが「今度は〇〇か〜って、嫌になることない?」多分、寄り添う気持ちと愚痴ってない患者への興味、もしかしたら一人で苦しまずに本音を言って大丈夫という空気感を作る言葉だったのかもしれない。
1) 仮に嫌になったとして、じゃぁ、やめられますか?
2) ぶっちゃけ、何も考えず、感じずに淡々とこなした方が、楽じゃないですか?
3) その場で泣こうが、鬱になろうが...... 現実は変わらない......ですよね?
というわけで、嫌になるという発想がそれまで無かったと思う。
この質問が原因ではないとは思う。
まぁ、将来のこととかも聞かれたし......
その晩は珍しく泣きじゃくった。
翌朝も、随分と泣いていた。
やりたいとか、やりたくないとかではなく、必要かや可能かというのが、結局の線引きになる気がする。
良い例はないかなぁ......
そうだな。
表皮癌が見つかったとしよう。
非浸潤の段階だから、転移はしない段階。
一応は、取るか取らないかの選択肢はある。
けど、本当にそこには選択の余地などあるのだろうか?
せっかく、プチっと軽いオペとというか、ポリープ切除程度の手技というかで取りきれて、まず間違いなく完治が見込める状態での発見。
ならば、取って忘れちゃえば、ほとんど癌が発生しなかったのと変わらない生活が長期間送れることが予想される。
対して、放置したらどうだろう?
大きくなって、浸潤してしまう。
すると、転移のリスクも出てくるかもしれない。
そのまま、さらに何もせずに放置した場合、もしかしたら周辺臓器に浸潤するかもしれない。
超初期の癌が見つかったとして、選択肢はあるようで、実質的には治療をするという一択の気がする。
癌に限らず、他の疾患や合併症でも似たことが言えるんじゃないかな?
確かに、放置したり、効果が低くて楽な選択肢を選ぶこともできよう。
でも、何を望むかにもよると思う。
同時に、まぁ、全てを伝えてないこっちも悪いんだけどさ......
結構、他にも合併症はあるし、一つ予期できる必然的なものが増えたところで、それに嘆く意味などない。
嘆いたり、悲観している時間があるのであれば、できることを学び、必要な操作に慣れることで「大変な治療」がただの思考をバイパスしたルーチンになるように努めた方が圧倒的にベネフィットが大きい。
起きてしまったことは時間を遡って変えることなどできない。
ならば、最も安全で快適に前進する方法を模索して、必要事項をこなすしかないだろう。
今を大切に生きよう!
ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。