【思考】森博嗣のおすすめエッセイ。「どう生きるかべきか」「生き方が分からない」と悩む人に勧めたい:『自分探しと楽しさについて』
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どう生きるべきか悩んでしまう人にオススメ。『自分探しと楽しさについて』を通じて、「人生がラクに考え方」を森博嗣が伝授する
小説家である森博嗣は、エッセイも多数出版しています。集英社からも新書がいくつか出ていますが、本書は、『自由をつくる 自在に生きる』『創るセンス 工作の思考』『小説家という職業』の後に出版されました。著者はそれぞれの著作を「自由」「工作」「小説」と呼んでいますが、それら3作を出版した後で、読者から多数の相談が寄せられたそうです。「それらに少しは反応しなければならないだろう」と考えて書いた作品だと本書に記しています。
章題は森博嗣ではなく編集者がつけたそうですが、本書がどんな内容なのか伝わりやすくなると思うので、それぞれ抜き出してみようと思います。
抽象的な内容に感じられるかもしれませんが、読んでみれば分かる通り、具体的な事例をかなり盛り込んだ作品になっています。深刻な悩みという程ではないけれど、心がスッキリ晴れない感覚があるとか、生きていてどうにもつまらないとか感じてしまう人にオススメしたい作品です。
私は、森博嗣の考えにとても共感できてしまうので、主張そのものだけを捉えれば、「当たり前のことを言っているな」という感覚になります。どんな思考に対しても、「そうそう、私もそう思ってた」「確かにその通りなんだよなぁ」みたいな感想ばかりです。
それでも森博嗣のエッセイを読んで刺激を受けるのは、「その『当たり前に感じられること』は、何故当たり前なのか」についてきちんと説明してくれるからだと考えています。私も、今でこそかなり論理的に思考できるようになりましたが、本書を読んだ20代の頃はまだ苦手意識を持っていたので、本当に「こんな風に考えられたらいいな」と思っていたのです。
本書をこれから読む人も、「当たり前のことを言ってるな」と感じたりするかもしれません。しかし、「何故それが当たり前なのか」まで説明し切ることするのはかなり難しいと思います。そういう観点からも楽しめる作品だと言っていいでしょう。
悩みの本質は、「他者に見られたい自分」と「本来の自分」とのギャップにある
タイトルにもある通り、本書の起点の1つは「自分探し」です。今でこそあまり聞かなくなったかもしれませんが、本書が出版された2011年当時は、割と「自分探し」という言葉が使われていたと思います(だからこそ、タイトルにも使われているのでしょう)。「自分探し」の意味が分からないという人向けにざっくり説明してみると、「今までの自分を脱して、“本来の”自分の生き方や人生の目的を探すこと」みたいな感じでしょうか。私がまだ若い頃には、「自分探しのために旅に出る」みたいな若者が結構いた印象があるのですが、今はどうなんだろう。
さて、早速「当たり前」に感じられるかもしれない主張を書きますが、若者が「自分探し」をしたくなってしまうのは、「『他者に見られたい自分』と『本来の自分』とのギャップ」に原因があると森博嗣は言っています。まあ、当たり前と言えば当たり前でしょう。そんなことは分かっとるわい、と感じる方もいるかもしれません。
ただやはり、問題の本質をきちんと捉えておくことは重要だと思います。どれだけ当たり前に感じられることでも、「そのギャップこそが問題だ」という認識を正しく持っておくことは大事です。
私も若い頃は、「自分が周囲からどう見られているか」が気になって仕方ありませんでした。
私の場合は、「こんな風に見られたい」という感覚があったというよりも、むしろ「期待されたくない」という気持ちを強く抱いていました。「期待」と書くと誤解されるかもしれませんが、そんな大層なことではなく、「『良い人』だと思われていたら、『良い人』っぽく振る舞わないといけない」みたいな感じがとても嫌だったというわけです。
こういう話をする時に、明石家さんまのエピソードをよく思い出します。明石家さんまは、「黙っていると、怒ってるとか調子が悪いみたいに思われる」と言っていました。明石家さんまだって、たまには喋らないこともあるでしょう。ただ、「とにかくずっと喋ってる」というイメージが強いせいで、「喋っていないってことは、機嫌が悪いのかもしれない」みたいに思われてしまうというのです。こういう見られ方も、私が考える「期待」に含まれます。
とにかくそういう何もかもがあまりにめんどくさかったので、私は、外から見える自分の印象をかなり低目にコントロールする意識を持つようにしました。そんな振る舞いを続けることで、「自分は大して期待されていないだろう」と思えるようになり、以前よりは楽に生きられるようになったというわけです。
さて、このようなギャップを解消するには、「『他者に見られたい自分』を低くする」か「『本来の自分』を引き上げる努力をする」かしかない、と森博嗣は本書で書いています。私は前者の方法を取ったというわけです。ギャップにこそ悩みの本質があるならば、どちらかの方法で解消するしかありません。そして、どちらのやり方も選ばない人が「自分探し」をするのだと思います。「自分探し」というのは要するに、「頑張らずに『本来の自分』を引き上げる魔法を求める行為」みたいなでしょう。そんなやり方では、解決できるはずがないというわけです。
「用意されているシステムの中へ自分をインプットする」というやり方が引き起こす問題
さてそんな風に、「『自分探し』をしたがる若者」の感覚を説明した森博嗣は次に、「現代の若者の悩みが、少し前のものとどう変わっているのか」という考察を始めます。ここで言う「現代」とは、本書執筆時点のことを指しますが、2022年現在とそう大きくは変わらないと考えていいはずです。
先程、ギャップを解消する方向性の1つとして「『本来の自分』を引き上げる努力をする」というものを挙げました。そして少し前の若者はそのために、「知識をたくさんインプットする」というやり方を選びます。本を読んだり、知見を広めたりする行動によって、自分を高めていこうというのが常道だったのです。
しかし今は、「調べれば何でも分かる時代」であり、「知識をたくさん有していること」が評価されにくいと言えるでしょう。では若者は、どんなやり方を選ぶようになったのでしょうか。
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