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ホ・オホノポノの言葉
この本に出会ったのは、私が弱っていた時のことだった。
ある4つの言葉を、ただ、唱えるだけでいい。
特別に感情を入れずとも、この言葉を何度も唱えることで自分自身の記憶が確かにクリーニングされていく。
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以前の私は、今よりも気持ちが揺れやすかったように思う。
今は、歳も重ねてきて、自分なりに心を整える方法を身につけてきた。
そんなわけで、ヒューレン博士の『アロハ!』という本も、本棚にあった。
『アロハ』とは、「今わたしはかみさまの目の前にいます」という意味だよ。
わたしもあなたもあの花も、今あなたが履いているその靴でさえも神聖なる存在が創り出した完璧な存在。たとえどんなものが目の前に現れたとしても、全ての先には神聖なる存在、もっと無限で偉大な何かが広がっているんだよ」
ハワイの故モーナ女史が編み出した現代版ホ・オホノポノを当時よりこつこつと続けてきた人たちの中のひとり、精神科医イハレアカラ・ヒューレン博士。
かつて、この本を読んだ時、私の胸を打ったのは、以下の部分である。
「クリーニングさえしていれば、溺れることはないよ。ほんとうの自分、ピュアなたましいが求めているのは、何もないときに見ることのできる光なんだ。その光があなたに届いたとき、あなたはアイデンティティを取り戻し、ほんとうのいのちを生きるよ」
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許してください」
「愛しています」
この4語を繰り返すことで、クリーニングされていく。
私は、気持ちが塞ぐと木がたくさんある近くの公園を歩きながら、この4語を唱えていた。
そして、いつも古くて太い銀杏の木に手を当てて、
「アイスブルー」
と唱えた。
全ての物にはアイデンティティがある、というのは、量子力学的な見方からも、頷けるような気がしていたのだ。
全ては、波動でできているのだから。
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この本は、何度読んでも気づきを与えてくれる。
物事の本質が「愛」であるということ。
記憶が見せているものをクリーニングして、本当の自分に出会うことを。
たましいを綺麗に保つことの重要さを。
「あなたの役割はただひとつ、『ほんとうの自分』を取り戻すことだよ」
と博士はいう。
その自分とは、色々なことを抱えている今でさえ『美しい』ものなのだと。
毎晩、再び尊敬する先生が主催していらっしゃるコミュニティーの、ホ・オポノポノを寝る前に一緒に味わうSNSライブに、楽しみに参加している。
そこに集まる人たちの集合意識がクリーニングされることで、ワンネス・・・繋がる世の中にも波及することを思う。
そこで教えていただいたのは、上記の4語の他に「許可します」を加えた5語である。
「ごめんなさい」
「許してください」
「ありがとう」
「愛しています」
「許可します」
私は、小さい時から受け取ることが上手にできない。
日本人は特に、受け取る許可が出しにくいらしい。
私は、人前に出ることも苦手だし、人がたくさんいるところも苦手だ。
できれば、ひとりの時間が好き。
ただし、大事な友人と話す時間の大切さは、何にも代え難い。
この本を読む限り、そんな私も何かの記憶から出来上がっている私なのだろう。
しかし、自分は自分らしく生きればいいと教えてくれる。
それも、許可しますと。
今まで色々な人の人生を聞いて過ごしてきた。
俳優さんが、自分以外の人の人生を何度も生きているように、私の場合は色々な方の話を聞くことで、その人生を脳にインプットしてきた。
植物状態だった母のそばで4年半にわたり、入院しているお年寄りや、命の最期が迫った方々のお話を一日中聞けたことや、夫婦の葛藤や暴力、子の悲しみの話を聞き、具体的にリファーするところまでを担う今の仕事も、私を成長させるために用意された道だったと思う。
元々はデザイナーだったのに・・・。
絵画療法の修行が加わっただけで、美術を専攻した意味がぼやける経歴だ。
母の病がきっかけで仕事を辞めてから、導かれるようにここまできてしまった。
記憶の中から、時に何かを持ち出そうと探す時がある。
近い経験をしている方のために、記憶の図書館を巡る。
印象深くて、何かの折にふと浮かんでくる記憶もある。
その中に、母の隣のベッドに一時期入院していらした美しい年配の女性がいる。
ひとりで生きてこられて、末期のがんだった。
もう長くないことも、ご自分でわかっておられた。
毎日、話をした。
ある朝、そのベッドは次の方が入れるように整えられていた。
妹さんがご挨拶にこられて、こう言ってくださった。
「頑固な姉だったんですよ。
簡単に人様に気を許すことなんて、なかったんです。
でも、最期にあなたと話せた日々は、とても幸せで楽しかったって。
姉から頼まれたの。
あなたにお礼を言ってね、と。
昨夜、穏やかに息を引き取りました。
本当にありがとうございました。」
私は、あの方を忘れることはない。
最期が楽しい話で、笑顔であったことだけは覚えている。
タイムウェーバーという波動調整機をかけてもらったところ、私の行動を阻害している最大の要因は、事故に遭った父の人工呼吸器を止める判断を母と共にしたことにあったと、最近判明した。。
私は、まだ10代だった。
その感覚を思い出さないように、潜在意識の奥底にしまい込んで、見たくないと思ったまま忘れたふりをしていた。
「父の死が悲しみを与えた」
という内容が、少人数のグループの阻害要因の一位に出てきた。
驚きを隠せなかった。
間違いなく、私は該当している。
長いこと、人工呼吸器を止めると判断を下した瞬間に止まった機械の音が、私が父を殺してしまったかのように思い起こされるのが怖かったのだ。
その記憶は、なかったことにしたかった。
雪が降る広尾病院の窓。
タクシーの窓に吹き付けていた雪。
思い出すのは、そこまで。
全ては記憶。
良いものも悪いものも記憶。
あなたはいつだって、あなたが今まで溜め込んできたもの(記憶)を、見て、聞いて、話しているんだよ。
記憶をクリーニングしていくうちに、その奥にある何かも少しずつクリーニングされるのだろう。
ちがう視点をもって生きていくことも、かつて読んでいたこの本のおかげで、私の潜在意識には刺さっていたのだと思う。
クリーニングして、手放す。
その繰り返し。
「新しい今」を一瞬一瞬美しく生きることを、ホ・オポノポノは教えてくれる。
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書くこと、描くことを続けていきたいと思います。