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LIGHT

 コロナで出不精になり、久しぶりに美術館へ行った。
 協賛者特別鑑賞会のご案内の日であったので、夜7時30分まで入場できた。
 夜の薄暗い美術館。
 それだけでも雰囲気がある。

 職場の近くでタクシーを拾い、10分もかからずに国立新美術館についた。
 運転手さんが良い方で、「お時間は大丈夫ですか?」と聞いてくださった。
 普段であれば、美術館に向かうには遅い時間であるから。
 そんな心遣いが嬉しい。
 道沿いの裏口で降ろしてもらい、中の緩い坂をのぼった。

 中が薄暗い美術館。
 展示室に向かう。

 ターナーやモネ。
 私は、ゲルハルト・リヒターやカンディンスキーの作品が目当てだった。
 

 草間彌生の鏡張りの箱の穴を覗いたりしながら、目的の絵にたどり着く。
 夜の美術館は空いており、ゆっくりと見ることができた。


 ミュージアムショップで、カードをもとめた。
 カンディンスキーが好きな友人は、今、元気にしているだろうか。
 ご両親の介護をしていると年賀状に書いてあった。
 短いメッセージを書いて、送ってみようか。

 入り口で解説の機械を借りたものの、解説のスピードや順番に反する行為をする私だ。
 ついに、首から下げ、首にヘッドフォンを下ろしたまま、自分の感じるがままだけを受け取る。
 必要なら、図録を買おう。

 私は、さーっと一気に周り、好きな絵のところに戻るという見方をする。
 ずっと人の波の中にると頭痛がしてくるので、好きな絵の前になるべく長くいて、それだけを丹念にみる。
 それでも、意外と全てが記憶の中に残るものだ。

 デコラティブで重厚な額。
 この額でなかったら、この絵はどうなるかしら?
 本当にこの額が合っているのかな、なんて生意気なことも考える。
 
 そんな風に、すごい物をみた!なんて絵を崇めたりしない方が楽しめるし、
人間の描いた人間臭い部分を拾える気がするのだ。

 差し込む光もあれば、照らし出す光もある。
 薄暗い室内のしっとりとした明かりや、金属の硬質な輝き。
 カラフルなアクリル版を通した光や、部屋全体を青色で包み、何か錯覚を起こしそうになるような光。

 私が好きな光はなんだろう。
 やはり、波の煌めきや海の上にかかる天使の梯子と呼ばれる茜色の雲。
 心に差し込んで、ほんのり温かく白く光る明かりも好き。

 闇があるから光を感じるように、どちらか一方でない法則の中で、私たちは生きている。
 
 

 
 

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