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『消えちゃう作品』と言う名の料理

 毎日のことだから、気に入った道具で料理をしたいと思う。
 そうするうちに、道具とはすごく長い付き合いになっていく。
 グローバルの包丁も、出西の塩入も、イタリアのオイルポットも、柳宗理のボウルも、もういつからあるのかわからない。
 とにかく、25年以上は一緒に働いている。
 だんだんに愛着が湧いて、使ってついた傷が愛おしく思える。

 楽しんで料理をするのが好きなのに、フルタイムに戻って仕事が忙しくなり、それどころではなくなった。
 なんだか生きていないような気がする毎日が何年も続いている。
 土日のどちらかは、半日は台所にいいて下拵えをしている。
 メニューも簡単なものの繰り返しとなっているなぁ・・・と反省しながら、頭も身体も疲れていて、料理にまで気が回らないのが悔しい。

 盛り付けの色合いを考えるのが好きなのに、陶器も漆器も好きなのに、気がつけば丈夫で何にでも合う、いつもの食器を使うようになっている。
 それで、「美味しい?」と強制的に聞くようになったりして、よろしくない。

 夕陽を見ながらカジュアルなテーブルを囲んだり、旅に出た時の気に入った食事の数々を思い出す。
 ゆっくり、ゆっくり時間を気にすることなく、生暖かい風に吹かれて、脚を組んで飲み物を片手に語り合った楽しい夜や、ホテルの朝ごはんの、なんともいい感じにとろけているスクランブルエッグ、搾りたてのオレンジジュース・・・。
 そういう記憶を思い起こすのは楽しい。

 エジプトの航空機の中で食べたサンドウィッチに添えられていた、私だけハズレの唐辛子はものすごく辛くて、というよりも痛いほどで、しばらく口の中が痺れていたけれど、そんなことも今ではピラミッドに入ったのと同じくらいの重さの思い出になっている。

 子どもたちが幼稚園の頃、毎日お弁当を撮影していた。
 私の趣味となっていた。
 今みても、なかなか可愛いのを作っていた。
 小さいお弁当箱だから楽しかったのだ。
 それは、小さい箱庭のようで。

 色鮮やかに形もさまざまに、蓋を開けたら喜んでくれるかな、と一方的な愛情であるが、誰かのために細々と創作するのは実に楽しい。
 同じような感覚でお節料理も作っていたが、年末年始も仕事に追われ、また、最近は素敵なお節料理が出ているから、作らないでいる。

 今年は、久しぶりに挑戦してみようか。
 美味しいかどうかは別として、『消えちゃう作品』として。

 『かたち』にのこらない愛のかたち、でうれしいお知らせをいただきました。
 いつも、お読みいただき、ありがとうございます!



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書くこと、描くことを続けていきたいと思います。