映画『リトル・ミス・サンシャイン』~しあわせな負け犬たち~
仕事や夢を失ったとき、人は生きる意味を見出せなくなる。
すると、「自ら命を絶つ」という選択肢が、目の前にちらつくかもしれない。
けれど、もし自分が「孤独ではない」としたら、どうだろうか。
何もかも失った。
絶望のどん底にいる。
そんな気持ちのときでも、「つらいのは自分だけじゃない」、と心から感じられたら?
ひと瓶の睡眠薬を、アルコールで飲み干そうとする手の動きを、一瞬だけ止めるのではないだろうか。
『リトル・ミス・サンシャイン』(2006)は、ある家族を描いたロードムービーだ。
ジャンルは“コメディ”。
しかし「現実逃避のためにコメディを観たい」という人は、少し注意が必要。
冒頭に登場する、とある家族は、決してしあわせではない。
仕事、夢、希望、愛すら失った人々ばかり。
前半はとてもコメディとは思えないし、彼らの境遇を見ていると、むしろ気分が落ち込んでしまう。
しかし、それだけで終わるはずがない。
たった103分の映画内で、彼らがどう変わっていくのか見て欲しい。
そしてラストシーンの直後、あなた自身がどう変わっているのか、感じて欲しいのである。
『リトル・ミス・サンシャイン』あらすじ
アリゾナ州に住む、ぽっちゃり体型の女の子オリーヴ。
彼女は憧れの全米美少女コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」の地区代表に選ばれる。
一家は決勝の舞台であるカリフォルニアへ、黄色いおんぼろのミニバスで出発。
そんな彼らはそれぞれ悩み、苦しみを抱え、心はバラバラだった。
世界に受け入れられた「ダメ家族」
監督したのは、ジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリス夫妻。
脚本は『トイ・ストーリー3』(2013)のマイケル・アーントが手掛け、第79回アカデミー脚本賞に輝いた。
描かれているのは、それぞれ身勝手で、救いようのない家族が旅する姿。
いわゆる「ダメ家族」の惨めな珍道中だ。
それなのに本作は、世界的に受け入れられ、1億52万ドル(およそ105億円)の興行収入を記録した。
彼らの姿は、なぜ人々に受け入れられたのだろう。
刺さるキーワード“負け犬”
作品のキーワードは“負け犬”。
登場する6人の家族は、みんな“負け犬”と言われてもおかしくない人々だ。
「勝つこと」にこだわりながら結果を出せないパパ。
バラバラの家族を何とかまとめようとするママ。
ニーチェに影響を受け一切言葉を話さない兄。
ヘロイン中毒で不良のおじいちゃん。
さらに恋人と仕事を失い、自殺未遂を犯したゲイのおじさん。
見るからに救いのない人々。
その中で唯一の希望といえるのが、少女・オリーヴ。
おデブで冴えない女の子だが、決して笑顔を絶やさず、美少女コンテストで披露するダンスの練習をする。
いつも希望に満ちた顔付きで、おじいちゃんが考えたダンスに励む姿は、ダメ家族の中にあって頼もしく見える。
バラバラの一家にありながら、いつまでも希望を失わないオリーヴ。
そして険悪な仲だった家族は、彼女の夢を叶えてあげようと、心を徐々に1つにしていくのだ。
しかしオリーヴにも、唯一の不安があった。
それは“負け犬”になること。
コンテスト前夜、ホテルの一室で、おじいちゃんに不安を打ち明ける。
「負け犬になりたくない」
いつも父から、「負け犬になるな」と言われ続けた結果、「勝つこと」にこだわるようになっていたのだ。
そんな孫娘に、おじいちゃんがかけるのは、こんな言葉。
失敗を恐れ、何も行動しない人こそ“負け犬”。
何かに挑戦している時点で、その人は“負け犬”ではない。
結果を出せず、心が折れそうな人なら、おじいちゃんからのメッセージに涙するかもしれない。
「どんなに頑張っても報われない」「努力しても空回りする」などと悩む人に、このセリフはささやかな希望をもたらすだろう。
おじいちゃんはこの後、「みんなでコンテストを楽しもう」という言葉もかける。
結果にこだわらず、とにかく楽しめばいい。
こうしてオリーヴは、「とにかくやってみよう」と決意するのである。
この映画が多くの人に受け入れられたのは、やはり“負け犬”という「刺さるキーワード」が設定されていたからだろう。
「人生は思い通りにいかない」
頭で理解していても、壁にぶち当たったとき、私たちはどうしても絶望したくなる。
「こんな人生は嫌だ」
「頑張っても失敗ばかり」
「どうして自分は“負け犬”なんだろう」…
世間には、成功者を羨み、自分の能力を低く考える人の方が圧倒的多数だ。
それなのに、「報われないのは自分だけ」と孤独を感じてしまう人の、なんと多いことだろう。
“負け犬”という1つのキーワードを、ひたすら追及した本作。
結果的に、「自分は“負け犬”だ」と絶望している人々を励ます、あたたかい作品に仕上がっている。
テーマのないナンセンスなコメディ作品ではなく、現実的な主題を扱いつつ、生きる希望をもたらしてくれる名作なのだ。
『リトル・ミス・サンシャイン』が世界的に評価されたのは、「世界には“負け犬”の方が多い」からに他ならない。
心が折れそうなとき、本作は観る人に寄り添い、励ましてくれる。
すると観る人は、「“負け犬”は自分だけじゃない」と感じられるのだ。
そして最後には、「孤独ではない」と思えるはず。
『リトル・ミス・サンシャイン』の家族が寄り添ってくれる。
『リトル・ミス・サンシャイン』で涙を流す人々が、他にもいる。
「自分は孤独ではない」と思えたとき、「“負け犬”も、まあ悪くない」と思える自分に気づくだろう。
しあわせな“負け犬”
『リトル・ミス・サンシャイン』は、「順撮り」という撮影方法を使った。
脚本の順番通りに撮影するやり方で、俳優がストーリーの流れ通りに演じられるメリットがある。
そのため一家を演じた俳優たちは、最初はバラバラだったものの、ラストでは見事に団結。
美少女コンテストのステージで、家族が「ある意味見事な」ダンスを披露するという、映画史に残る名シーンが生まれた。
彼らは“負け犬”かもしれない。
しかし挑戦することを諦めず、ステージに立った瞬間、彼らは“しあわせ”だった。
ラストシーンの彼らを目にしたとき、気づくだろう。
「“負け犬”だからといって、不幸とは限らない」のだと。
『リトル・ミス・サンシャイン』と共に生きる
人は誰でも落ち込み、挫折し、絶望する。
その点で誰もが「孤独ではない」。
『リトル・ミス・サンシャイン』を観終わった人には、それがよくわかる。
人生を諦めず、失敗を恐れなければ、明日も生きていけるはず。
簡単なことではないけれど、少なくとも私たちには、『リトル・ミス・サンシャイン』がある。
『リトル・ミス・サンシャイン』と共に生きられれば、もう「孤独」ではない。
みんな“負け犬”。
そして“しあわせ”なのだ。
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