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「お前の書く1秒は、誰かの人生の1秒になるんだよ」

Netflixの『フォロワーズ』を見た。

女優を目指して芸能の世界を駆け上がっていく、池田エライザ演じる百田なつめ。彼女が「演じる」という自分の夢に自暴自棄になった時、彼女の同志であり恋人のYouTuberヒラクが言う。

「お前の演じる1秒は、誰かの人生の1秒になるんだよ」

私は、なつめと違い、「演じる」ではなく「書く」に人生をかけている。

私は、ちょうど一年前、新卒で採用してくれた大きな企業を放り出してしまった。書くことを仕事にしたかったからだ。始めるなら早いに越したことはないと思ったから、深く考えずに放り出してしまった。

で、一年間、今日まで這いずってきた。駆け出しもいいところだし、いきなりフリーになんてなれなかったから、一年前から、興味のある別の業界で会社員もしている。

金銭的にも、社会的にも、精神的にも、フリーにならなかったのは然るべき選択だったと思う。定時まで OL的に仕事をして、そこから書く。寝る。会社に行く。帰ってきて、書く。土日も書く。

…然るべき選択ではあったけど、でも、両立のためにはかなり無理をしてきた。

正直、締め切りギリギリで満足しないまま出した原稿もあったし、仕事が溜まり過ぎた結果、疲れて一旦受注を止めて連日飲みに行った期間もあった。全部が完璧なんかでは到底ない。だから今、本当に「書くこと」が自分にとって最高の仕事なのか、怪しんでいる。

悔しいけど、書くことは多分私の天職ではない。

だって、この一年、何度も逃げたくなった。

得意先への提案に向けていい感じにチームで仕事が進んでいく会社とはまるで違う。プレゼンが終わって先輩とハイタッチして、その足で六本木に繰り出して「お疲れ様でしたー!」とか言って、みんなでビール飲んでカラオケで騒いで朝日を見たりする世界は、だいぶ遠くへ行ってしまった。

今いる「書くことの世界」は、ひどく静かで、針の落ちる音まで聞こえそうで、やけに肩が凝る。

妨げにならぬように音量を下げた桜井和寿の微かな歌声、自分の強めのタイピングの音。これが、私の書く仕事のときに聴こえる音。

社交的なんかじゃない私でも、「はるちゃんって、タイプ音強めだよね」と苦笑いで指摘してくる「隣のデスクの人」が恋しくなる。

上手く進まず仕事が溜まっている日は、朝起きてMacBookが目に入ると胃の底がズーンとするし、〆切日に15時を回った時計を見ると、もう全部投げ出してシチューとローストポークみたいな数時間かかる料理に取り掛かろうかと企む。

逃げたくなるのだ、いつも。

そう、だから、書くことは私の天職ではない。

時間を忘れていくらでも書けるのなんてたまのたまにある調子のいい時だけだし、自分よりいいものを書く人なんて、歩いてたら出会っちゃうくらいこの
世にはわんさかいる。
私なんかがこんなんしてて意味あるのかなとか思う。そんな気持ちで投げやりな文章も書いてしまった。

だけど、「お前の書く1秒は、誰かの人生の1秒になるんだよ」。

初めてライターの仕事でもらった一ヶ月分のお金は、ちょっといいランチに一回行けるくらいだった。その依頼内容も、自分でなきゃいけない感じが一ミリもしないライティングだった。専門外もいいところで、かつ誰でも調べたら書けるようなジャンル。

それでも、ちぎれるくらい嬉しかった。書くことで食べていきたいって、私はずっと夢見てきたから。

あれから一年。

今は、贅沢しなければ暮らしていけるくらいの仕事を貰えている。しかも、記事のライティングだけでなく、小説の仕事もある。

小説の仕事は、思った以上に怖くて痛い。毎回リリースの日が来るのが嫌になるくらい、痛い。

自分を切り売りして、それが咀嚼されて、平気で目の前で不味いと言われて吐き出されて、その吐瀉物を必死で拾って研究して、「この人が不味いと言った理由」を考えて、また切り売りする。それでもやっぱり「面白くない」「なんで賞取ったんだこれ」と言うもいて、でも私はまた吐瀉物をかき集めにいく。意地と、読んで欲しいというまっすぐな懇願。

疲弊する。思った以上に。

辞めちゃったら楽かな?って思うことも普通にある。そんな時は、一年前のまっさらな自分に戻るようにしている。

創作の仕事で、お金がもらえるなんて、ずっとずっと先のことだと思っていた。奇跡が起きない限り一生無理だとすら思っていた。

だから、一年前の自分はキラキラした目で「え、一年後の私すごいじゃないの」と言って拍手をしてくれるだろう。そう思えば、見えずにいたものがちゃんと見えてくる。
こんな私の切り売りしたものを、嬉しそうに手にとってくれる人も沢山いるじゃないの。

読者の嬉しいコメントやツイート。スクショしてとっている。編集者の、「最高です」の言葉。彼らがいるから良くなっただけなのに、私の実力みたいに褒めてくれる。有り難く有り難く思っている。コラボしたアーティストさん。サインは部屋の目立つところに飾っていて、いつかもっとおっきい仕事を一緒にしたいって思っている。出版社からの賞。受賞の連絡をもらった時は駅の臭いトイレの前に数分立ち止まってしまった。そして、今まで頂いた数々の批評コメント。全部諳んじるほどに読んだから、きっと私の文才の一部になっている。

大丈夫。たいした一年だったよ。

だから私は襟を正し、次の一年を描こう。

私の書いた物が、誰かの目に触れ、脳に影と香りを残す。その奇跡みたいな、魔法みたいな光で、人生を埋め尽くしたい。
誰のためでもなく、これは自分の欲求。天職じゃなくてもいい。息が詰まるくらいやりたいことなんて、結局これしかないんだから仕方ない。

なら、天職だとか才能だとかの言葉にくよくよしてないで、私の最大限の仕事をするしかない。
一行読んでもらえば、その人の人生の5秒を使い、それが100人になれば500秒、1000人いてくれれば5000秒。私の書くたったの一行は、例えば83分もの時間になり得るんだ。

その例えば83分を、「人々の人生から83分を奪う」ではなく「人々の人生の83分を作る」ような仕事をしたいと願う。

指先を止めることはできない。

部屋でかかっているMr.Childrenの「ロードムービー」。この1年、辛い時にずっとずっとずっとかけ続けてきた、私の大切な曲。

「またスピードを上げて もう1つ次の未来へ」

静かすぎる孤独に、街灯みたいな、さりげなくて強い光がさす。書きたい景色が、ふっと浮かんできた。

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