見出し画像

【自己紹介】10代でうつになり3年間引きこもったけど、それでも生きるって素敵だなと思えるようになった話

ご訪問いただき、ありがとうございます。
こんにちは。るしあ昌です。

絵を描いたり、言葉を綴ったり、翻訳したりしながら、ゆったりと生きています。

noteでは日々の生活で感じたことや興味のあることを、気軽に綴ろうと思っています。どんなテーマで書こうかなと考えつつ、まずは昔の経験をもとにした記事を中心に書くことにしました。

ここでは、そのための自己紹介をしたいと思います。

私は12歳でうつになり、約3年間学校には行かず、家に引きこもっていました。30代後半を迎えた今、「そうは言っても、人生って捨てたもんじゃないぞ。案外、素敵」と、実感しています。一人一人が異なる人生を送っていますが、それでも私自身、いろいろな方の人生を知ることで、こころが救われたと感じることが、何度もありました。そのような形で、私の記事が誰かのお役に立てることができれば、幸いです😊

画像1

12歳でうつになる

中学1年生の夏休み明けから、学校に行けなくなりました。
中学に入り、いきなり厳しくなった上下関係。体力的にも精神的にもしんどい部活。ぱっとしない勉強。大勢の生徒の中で、自分自身を見失い、気が付くと、学校に行くのが怖くなっていました。学校に行かなきゃと思うと、悲しくないのに涙が出る。何もしていなくても、とにかくつらい。明日が来なければいいのに。逃げ出せるものなら逃げ出したいけど、そんな勇気はなく、気が付けば、ひどいうつ状態に陥っていました。

#01.自分の意識が、この人生を創り出したっぽい
#02.休むのが怖くなくなると、最強に生きやすくなると思う
#11. 英語が大嫌いになった瞬間

ばあちゃんの話#04~学校に行かなくなった時のこと①~
ばあちゃんの話#04~学校に行かなくなった時のこと②~

<番外編>
この世界が本当だと、なぜ自信満々に言えるのか
食べる行為ってなんか変じゃない?


薬とカウンセリングによる治療

病気はね、2種類あるのよ。からだの病気とこころの病気。からだが風邪を引くのと同じように、こころもね、病気なるの。でもね、きちんと治療すれば治るから、もう学校には行かなくていいから、明日、お母さんと一緒に病院に行こう。

治療のために、こども専門の心療病院へ行きました。この先10年は続く、抗うつ剤と精神安定剤とのお付き合いがスタートした日でもあります。目には見えないこころの病気を薬で治すだなんて、当時の私には全く理解できず、飲んだ振りをして吐き出すこともありました。また、2週間に一度のカウンセリングも、全く気が進みませんでした。先生を目の前にし、無言の時間が流れます。自分自身を含め、すべての人間が敵に見えていたあの頃。それでも、この先生は自分を傷つけることはないのかもしれない・・・と、感じるようになります。

しばらくして、心療病院から児童相談所に移りました。同じように2週間に一度、カウンセリングを受けます。ただ、一生懸命な若いカウンセラーの方との時間がどうしても苦痛で、数か月後、カウンセリングは止めることにしました。

#03.言葉を交わすことなく生まれた信頼と安心感
#04.昔のカウンセラーからもらった手紙


昼夜逆転の引きこもり生活

家では夕方6時頃に起き、朝6時頃に寝るという生活を送っていました。やることはありません。ただ、ぬいぐるみを抱えて、ドラえもんの映画ばかりを観ていました。『竜の騎士』とか『海底鬼岩城』とか、あとは『ぼく、桃太郎のなんなのさ』が好きでした。でもその頃は、すべての感情が無くなっています。たのしいからではなく、知っている内容だから観ていました。ただただ、無。食べることを拒み、トイレすらも行きたくなく、人として生きていく上で最低限必要な活動ができなくなっていました。

#05.何もしないことが良かったと思う


自殺未遂

それでも治療を続けていると、少しずつ良くなっていくものです。無くなったはずの感情が、再び現れ出しました。ここからが本当の地獄の始まりです。自分はつらいんだ、しんどいんだ、ということに否が応でも気づくようになりました。寝ても覚めても付きまとう恐怖感。人生には、すでに絶望しています。生きる希望と気力はありません。ただただ死にたい。あるとき、今服用している薬を一度に、大量に摂取すると死ぬ危険性があると知りました。

14歳になったばかりの頃でした。いつもと違って、その日は死ねる気がしました。

これで亡くなったら、自分の人生はそんなものだった、っていうことだろう。でも、もし死ねなかったら、それって『生きろ』っていうことかもね。しんどいしつらいけど、その場合は、もう諦めて、もう少しだけ、生きてみようかな・・・。

1、2日間ほど意識を失った後、目が覚めました。

意外にも、解毒剤のおかげか、起きた時の気分はすっきり。点滴をしながら、そそくさとトイレへ向かいました。

えぇ、私は生かされたんです。


夢が支えた日々

そんなことがあっても、死にたい気持ちは簡単には去りません。それどころか、死ぬという最後の選択肢すらなくなった今、すべての逃げ場が完全に閉ざされたと感じました。この時が、今までの人生で一番つらかったです。おそらく、それはこの先も変わらないでしょう。

そんな中、自分自身にいったい何が起きたのか、なぜ自分はここにいて、こんな生活をしているのか、振り返るようになりました。起きている間は、常に自問自答。そしてその頃、『ER~緊急救命室~』というアメリカのドラマにはまります。いつかは海外に行きたいな、と思うようになり、3年生に上がる頃からは親にお願いし、週に2日、家庭教師をつけてもらうことになりました。そう、勉強を本格的に始めようと思ったのです。

中学卒業と同時に、引きこもり生活からも卒業しました。高校は単位制の学校に入学しましたが、1年生の2学期からは、カトリック系の高校へ転入しました。まさか、自分が普通に高校に通えるとは。両親を含め、受け入れてくださった学校の先生、周りの大人たちには感謝でいっぱいです。


高校生活

田舎の女子高ということで、比較的のんびりとした日々を過ごしました。途中、やはり精神的に不安定になり、1カ月ほど学校に行けなくなることもありましたが、それでも、家族や先生の理解もあり、無事卒業することができました。

自分の生活は自分でコントロール。人よりもこころが疲れやすいのは分かっていたので、週に1日は休んでも良いという決まりを作りました。調子の良いときは1週間休まず登校し、翌週は2日休んでも良いということにもしました。実際にその2日間を使い切ることはほとんどありませんでしたが、そのようにして自分の状態を見極めながら、「がんばるタイミング」と「無理せずに休むタイミング」を使い分けていました。

#06.高校を卒業するために自分で決めたルール


浪人生活から海外留学へ

高校を無事卒業し、浪人生活がスタートしました。楽しく充実した予備校生活でしたが、秋頃から何かが違う気がしてきました。自分のやっていることに対して現実感がなくなり、そして、大学生になった自分が想像できなくなりました。想像できないということは、起こらないということだなと感じ、ある夜、ベッドの上で将来について考え込んでいたら、「あ、留学しよう」と思いつきました。昔、夢見ていた留学。その瞬間、視界が一気に開け、冗談ではなく本当に、世界が光り輝いて見えました。これは自分の進むべき道だと確信し、翌日、留学に詳しそうな英語の先生を訪ね、英国留学プログラムを紹介してもらいました。その翌月には試験を受け、翌々月には面接に行き、そこから数週間後、留学することが決まりました。

#08.天使は突然、おじさんの姿で現れた
#09.すべての答えは自分が知っている
#10.神様による修正が入ったなと思った瞬間


海外生活で薬とさようなら

外こもり。そんな言葉を聞いたことがあります。留学中の私の生活が、まさにそれでした。周りの人は自分のことを知らないし、興味もない。今までにない解放感。良い意味で、ひとりぼっち。それがとても心地よかったのを覚えています。もちろん、こころの浮き沈みはありますし、人との触れ合いは苦手なため極力避けていましたが、それでも、一日、一日を比較的穏やかに過ごしていました。

薬はというと、抗うつ剤の処方はなくなり、自分の状態に合わせて、安定剤を頓服で服用していました。頓服とはいえ、外出前には必ず服用していたので、ほぼ毎日、薬を飲んでいました。また、出掛けた先でも調子が悪くなるかもしれないので、薬は常に持ち歩いていました。それが、ある日突然、実は10年も、薬なしでは生きられない人生を送っていることに気が付きます。そこで初めて、「自分に対して自分は何をしてきたんだろう。健康なからだで生まれて、本来なら薬なしで生きられるはずなのに。これって、なんだか異常。自分がかわいそう」という感情に襲われました。私はこの日から、薬を飲まないことにしました。

それからというもの、驚くほどに薬を飲む回数が減りました。毎日だったのが、3カ月に1回、それが、1年に1回、3年に1回と。今では、数えることも止めました。最後はいつ飲んだかなんて、覚えていません。

#14.大学の授業で視野が広がり、生きるのがさらに楽しくなった


恐怖でしかなかった人との出会いが人生の楽しみに

留学2年目が終了した夏のことです。突然、青空を見上げながら、エネルギーが充分に貯まったことを感じました。そして、思います。「ついに動く時が来た。今、動かなければ、この先動くことがさらに苦痛になる」と。そこで、当時の数少ない貴重な友人に教えてもらった、5泊6日の沖縄キャンプに参加することにしました。知っている人はいない、一人での挑戦です。

人は怖いし、大嫌い。でも、人との出会いを素晴らしいと言う人もいる。夢のような話だけど、自分もそんなことを言ってみたい。でも、そうなるためには、人と出会って、出会いは素晴らしいということを体験しないといけない。そう、恐怖を乗り越えるためには、その恐怖は恐怖でないと、自分で学ぶ必要がある。もう、恐怖の声に従うのはやめにしよう。こころがどれだけ叫んでも、今だけは、恐怖に耳を傾けるのはやめにしよう。それに耐えれるだけのエネルギーが、今はある・・・。

この作戦は大成功でした。それからは夏休みが来ると、山小屋で住み込みのバイトをしたり、海外のワークキャンプに参加したりして、積極的に多くの人と出会うようになりました。気づくと、今年はどんな出会いが待っているのだろうと、わくわくするようになっていました。

#12. 本気で動き出すタイミングはエネルギーが溜まったと感じたとき
#13. 頑張っても頑張らなくても、あなたはすでに最高の存在だ!


画像2


それから、現在

必死の勉強の末、大学もなんとか卒業することができました。ヨーロッパの雰囲気をエンジョイしたから、次はダイナミックなアジアを知りたいなと思い、アジアの大学院に進学します。その後、国際的にばりばりとかっこよく働きたいと思い、そう努めた時期もありますが、こころのどこかで「仕事は楽しいけど、なんだかなぁ・・・。今は良いけど、2,3年後は違うことをしていたいなぁ」と思っていました。

#15. 直観は神様からの贈り物。両手を広げて受け取りましょう。
#17.夢って素直だよねっていう話


いろいろと人生を模索しましたが、今はソウルを拠点に活動しています。
韓国人の旦那と二人暮らし。お互い自由に、好きなように生きています。

#07.苦労に対する考え方が変わってきたなぁという話 
#16.遠い昔、私は自分に嘘をついた


こころの平安を保つのに、今でも役立っているのが以下の教えです。

仏教の教え
苦しみとは何か。人はなぜ苦しむのか。自分とは何なのか。これらの疑問に対し、一つの答えを提示してくれます。特に般若心経の教えには救われました。「色即是空 空即是色」が好き。

スピリチュアルの教え
人によっていろいろと定義があると思いますが、私にとってのスピリチュアルは、すべての存在は愛の光であることを思い出すことです。信じられなくても、そうなんです。その生き方は「答えを外に求めず、自分で自分を導きながら、心穏やかに生きること」。はい、非常に、シンプルです。
特に『奇跡のコース(A Course in Miracles)』に出会ったときは、これ以上模索する必要は何もないと思うようになりました。

これらについても、少しずつnoteで書くことができたらなと思っています。


◆◆◆◆


ここまで長い文章を読んでいただき、ありがとうございます。

自分自身のことを語るなんて、なかなか難しいものですね。

最後に、この空間を通して出会うすべての方々へ、こころからの感謝を送りたいと思います。

引き続き、ご縁があることを願って😊

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,124件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?