ばあちゃんの話#04~学校に行かなくなった時のこと②~
前回の続きです。
4.まずは電話で
忙しい両親の代わりに祖母と大伯母が来てくれたことで、私はやっと学校を休むことができました。
ちゃんちゃん。
ーーで、終われれば良いのですが、もちろん、然うは問屋が卸しません。学校を休み始めて数日後、明らかに病欠ではないと気づいた担任から電話が掛かってきました。最初は祖母が応えていましたが、言うまでもなく、その受話器は私に渡されます。嫌でしたが、「出たくないから、何とかして」と祖母に頼むことはできませんでした。
先生からは「大丈夫か」と気遣う言葉は特になく、「なぜ来ないんだ」という問いを装った非難に続くのは、「みんなも頑張って通っているんだからお前も頑張って来い」という言葉でした。
しかし、どんな言葉も、私の心には響きません。
とにかく放って置いてほしい一心で、「明日は来いよ」という先生の言葉に、「分かりました」と心にもない返事をしました。そうでもしなければ、電話を切ってくれないと分かっていたからです。全くもって意味のない言葉です。
5.そして訪問
電話でダメなら直接家にーー。
「来る」と言っていた生徒が来ないのですから、担任としては当然のことなのだと思います。ただこれは、私にとっては最悪の方法でした。
2階の部屋にいた私は、どうやら先生が来たらしいことが分かると、一気に血の気が引くのを感じました。それはここだけは安全だと信じていた場所が、実はそうではなかったのだと知った瞬間でした。
家まで来られては逃げることもできず、私は1階に下りて先生と話をすることになりました。
先生の言うことは変わりません。ただし今までと違うのは、「明日は必ず学校に行く」と、私に言わせたいということです。何度も、何度も、学校に行くと約束するように言われました。私はその度に、そんな約束に何の意味があるのかと思いながらも、適当に、そして投げやりに「はい、行きます」と返しました。しかしその言葉を要求しているはずの先生も信じられるわけがなく、「もし来なかったら迎えに来るからな」とまで言い出す始末ーー。
今考えると、非常に滑稽な状況です。
今の自分であれば「そこまでして学校に行かせるとか、マジでうけるんですけど~」なんて笑い飛ばしそうなところですが、当時の私にとっては書いて字の如く、正に、死活問題だったのです。
「もうっ! 行くって言いようるじゃん!!!」
敬語なんてものは何処へやら。同じやり取りの繰り返しで、怒りが頂点に達していた私は「出て行け」という想いを込めて、先生に向かって怒鳴っていました。
6.すべてが崩れ去り、終わった
先生は最後まで、「約束したからな」と繰り返しました。私は必死で怒りを堪えながら先生を見送ると、すべてが崩れ去るのを感じました。
2階まで上がる気力は残っていませんでした。リビングに戻ってソファーに座ると、それまでの怒りが嘘だったかのように、今度はすっかりと消沈してしまいました。膝を抱え、頭を上げることもできず、とにかく疲れ過ぎていたのです。泣いてしまえばまだ楽になりそうなものの、涙は一滴も出てきてはくれませんでした。
そして、次の瞬間に現れたのは、なんと祖母に対する憎しみにも似た恨みの感情でした。
先生が家に入らなければこんな事態にはならなかったはずだと、心の中で激しく祖母のことを責めたのです。だから、祖母が呼び掛けても答えませんでした。
初めて、祖母を無視したのです。
そして、しばらくそのまま途方に暮れた後、一切の言葉無しに、私は自分の部屋に戻りました。
ーーこの日の晩、予定を早めに切り上げた母親が、家に戻ってきました。そして、ベッドの上でぐったりとしてる私に「心の病気に掛かっている」と伝えたのです。
このとき半分眠りこけていた私は、昼間とは違った意味で「終わった」と感じました。
7.傷ついた理由
実は祖母を無視したことが、つい最近まで、正確に言うと、前回話した「風の便り」を受け取るまでの約25年、ずっと心に引っ掛かっていました。
ーーいいえ、前言撤回。あの時のことを思い出す度に心が痛くなって涙が溢れ出ていたのですから、引っ掛かるどころではありませんね。
振り返る度に思うのです。仕方のないことだったと。でも、そういうこととは関係なく、とにかく、あの時のショックが、つい昨日起きたことのように長い間消えてくれませんでした。
理由はいくつかあります。
まず、自分の身勝手な理由で大好きな祖母を憎み、責めてしまった自分の心と行動が許せませんでした。孫が学校に行かなくなり先生が自宅を訪ねて来たのに、入れないわけにはいきません。そもそも私の異変に真っ先に気がついたのは祖母なのです。母に「とにかく早く帰って来なさい」と伝えた後も、どのように対応すべきか悩んでいたと思います。そんな祖母の気持ちを汲み取ろうともせずに責め立てて、無視してしまった自分が許せませんでした。
そしてさらに大きかったのは、祖母が私を傷つけたと感じている(と感じた)ことでした。無論、祖母はそのようなことは言いませんでした。ただ、祖母を無視してしまった時の、あの祖母の姿が、「自分のせいだ」と言っているように私の瞳には映り、それがまた、私の心を傷つけたのです。
ずっとそう言いたかったけれど、最期の最期まで、言えませんでした。
罪悪感だけではありません。これは、自分に対する失望でもありました。大好きだった祖母のことすらも恨み、責めた自分ーー。私は、自分の都合で大切な人を恨んだり、咎めたりするような人間なのだと突き付けられたのです。
今となっては、そんなことを考えていたことが可笑しくて笑ってしまいますが、当時は本当にそう感じていました。
自分自身の信頼に対する裏切り。
結局その後何年も、自分は決して善い人間ではないのだと戒めながら生きていくことになるのです。
ーーそんなことを思い出しながら走ったあの日。
でも、いつもとは違いました。あの頃のすべての出来事、すべての感情、すべての想いに対して、あれはあれで、愛ある温かい経験だったと感じ始めたのです。
するとどこからともなく、「わはは」という豪快な笑い声と共に、祖母の声が聴こえてきました。いえ、正確には、心の中に浮かんできたというのが正しい表現かも知れません。
そして、こうとも言われた気がします。
ーーそう?
ふふふ。
うん、そうね。
じゃあ、もう気にしない。
ってかね、もう既に、気にしてないかな(笑)
(#04は終わり。『ばあちゃんの話』シリーズは気ままに続く・・・)
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